自給自足は通用するか? | キセキを紡ぐ Rut of hope

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今日は朝からヒメコバンソウ茶を煮出したよ。
 

水に炒ったヒメコバンソウを入れて煮出し中。
炒って塩を振って食べてもサクサクして美味し。
 
 
沸騰したらすぐに色濃くなったので、欲を出して水を足した。
 
 
グラグラ煮詰めまぁす。
我慢できずに少し飲んでみた。
 
うーん、水を足したせいか味が薄いや。
このまましばらく置いといて、ゆっくり味を出してもらおう。
ヒメコバンソウをもっとたくさん入れたら、香ばしくなると思う。
また採って来て炒って保管しとこ。
 
農園の枯葉のお茶も作って飲んだけど、なんの葉っぱなのか分からないままだったので、
自分一人で飲みほしたよ。
 
イネ科の野草がたくさんあるから、時間が取れたら食べたり飲んだりしてみたい。
そんでみんなに食べられることを知って欲しい。
むやみやたらと除草剤で排除して、土を殺すのを止めてほしい。
もっと自然を守ることを考えてほしい。

 

ちゅーことで、

内海聡さんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

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自給自足は通用するか?

日本の不条理をなんとなく自覚している人が対策として思うことに、「自給自足して自分で食べるものを作っていく」というのがあります。

サバイバルという観点からすると良いように思えるかもしれません。

実際、私も2015年ころまで自給自足は意味があると思っていました。

しかし最近その考え方は甘いと考えるようになりました。

 

確かに国やシステムが信用できないのだから、自分で作って生きていくという考えは悪くありません。

しかしこの自給自足という考え方もお花畑の世界観の中で育まれた、温室の考え方だと述べているわけです。

 

理由は簡単、そんな時代が来たら権力は自給自足をこそ潰しに来るからです。

方法はこれまでにもいくつもありました。

自給自足する人々をオカルトや新興宗教のように扱ってしまうが一つの手です。

 

モンサントがやっていたように特許侵害的に扱うこともできますし、法律違反しているように持って行ってしまってもいいです。

とにかく自給自足という考え方は、日本がなくなるという前提に立って考えているのとは、実は違うのだということに気づかないといけません。

 

もう一つは自給自足という考え方は、テレビを捨てればいいという考え方と一緒で、自分がよければいいという考え方に根差しています。

サバイバルの時代では自分を大事にするのは最も重要であり、その点において批判はしません。

 

批判するところがあるとすれば、結局それはマイノリティであり、マイノリティの極致なのに自分たちの権利は守られて当然だという、慣れ切った人権主義に浸ってしまっているということなのです。

日本がなくなる時代は人権なんてないと言っているのです。

 

繰り返しですが自給自足が悪いわけではありません。

これがサバイバル術になるためには、やっても大丈夫だという背景を作ることが重要です。

 

不条理で権利のない奴隷国家の中で、自給自足程度はせめて許されるような、小市民としてお金と権力を持ち、同意者が多いコミュニティとなりながらカルト感覚を感じさせない、そういう世渡りのずる賢さが必要不可欠だと考えています。

 

<2025年日本滅亡説より抜粋>

    

 

  

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表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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次回マルシェのご案内↓

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よゆーがあれば6月16日のオーガニックマルシェ筵に委託販売頼むかも。

まだ何にも作ってないけど(;'∀')

 

え?