【阿蘇と8番目のチャクラ】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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    【阿蘇と8番目のチャクラ】

熊本の人とセッションをやっていて、阿蘇を開けることになった。インナーチャイルドを解放するセッションをやっているうちに、意識の封じ込めは、多くの場合、土地の封じ込めと関係があることがわかった。とりわけ代々引き継がれている性癖から来ている問題だと、土地の封印を解かないとどうしようもないことも多い。


大和朝廷は九州から征服を始めたという説もあるから、おそらくは阿蘇は最も原初的な封じ込めがなされた場所なのだろう。ここは何といっても卑弥呼の伝説がある土地で、古代には女性が呪術的な力で国を治めていた場所なのだ。女性が祈りの力で国を守り、男は女性を物理的に守るという関係があった。

大和朝廷に支配されたとき、この関係が壊されていき、男たちは女たちに呪術の力を使わせないように抑え込む役をやらされることになったのだと思う。とにかく、九州で封印解きをやっていると、そうしたイメージがよく現れてくる。極端な男尊女卑の伝統や女性に対する暴力などの歪んだ男女関係は、元を探っていくと、その辺から来ているようなのだ。

阿蘇は、一年くらい前に封印解きクラブで開けたのだけれど、そのときは封印がきつくて、開けるのは容易ではなかった。それでも何とか開いたときには、まるでまったく違う次元の意識が現れてきたかのようで、一体何なのかもわからないくらいだった。しかし、第3チャクラとサードアイが一緒に開いた感覚があり、サードアイのポイントだなと思った。セッションの最後には、参加者の顔が皆、サードアイが開いたように、額のあたりがピカッと光っている感じになっていた。


今回は、すでに封印は解けていたので、シンプルに阿蘇の中心の地下に意識を向けて、中にいる存在に出てきてもらっただけだったのだけれど、外輪山まですべて覆うような巨大な光の柱が立ったのを感じた。ルートチャクラが開いて大地と繋がり、地熱を感じるような熱さを感じ、それと同時に、頭のさらに上のところのチャクラで宇宙と繋がっているのを感じた。

古代の女性たちが大勢出てきたようなのだけれど、とても美しく着飾っていて、高度な文明があるのを感じさせた。彼女たちは、イシスの像にあるように、頭の上に大きな玉がついていた。頭よりも少し大きいくらいの玉で、それは装飾具であるというよりも、身体の一部であるように思えた。イシスの像に出てくる頭上の玉は、おそらくは頭の上のところにある宇宙意識を受け取るチャクラの表現なのだろう。阿蘇の神女たちは、そのチャクラで宇宙と繋がることで、国を守っていたようなのだ。


封印解きクラブでイランのライシ大統領のエネルギーにアクセスしたときも、このチャクラが開くのを感じた。こんなところが開くのは、初めて経験した。それで開きやすくなっていたからなのかもしれないけれど、阿蘇に光の柱が立ったとき、まさに同じチャクラが開いたのだ。

縄文末期に支配の時代が始まるまでは、1万年ほども平和な時代が続いていたと言われているけれど、それはおそらく、人々が宇宙意識と繋がって生きていたからなのだろう。人を支配するには、恐怖や欲で動かせるようにしなければならない。だけど、宇宙意識と繋がっている人間を、恐怖や欲で動かすことは不可能だ。だから、支配の時代が始まったとき、この繋がりを断ち切るために、次々と聖地が破壊されたり、神女たちが滅ぼされたりしていったのだと思う。

頭頂チャクラの上にさらにもう一つチャクラがあるのかと思って調べてみたら、そういうものがあるということが書いてあるサイトがいくつかあった。身体や感情、精神のレベルを超えて、魂のレベルで宇宙と繋がるチャクラで、身体的心理的には感じることができないような至福の感覚や満足感を感じることができるとあった。色は紫かマゼンタ、あるいはシルバーだと書いてあった。まさに、ライシ大統領のエネルギーにアクセスしたときに出てきたものと同じだ。

まさにこの、身体や精神のレベルを超えた至福感、満足感なのだ。これに導かれて生きていたら、私欲や恐怖みたいなものは、つまらないものにしか思えない。そんなもので魂を売るなど、愚かなことだということがわかってしまうだろう。頭の上の意識のセンターに導かれて生きていくのは、私欲や恐怖を超えて、大きな全体の中でバランスを取りながら生きていくようなことだと思う。そうした大きな視野を持っていたら、自ずとそうしたバランス感覚が養われていくはずだ。その結果、戦いも支配もない、平和な時代が一万年も続くようなことも可能になる。

何と、阿蘇はサードアイではなく、この第8チャクラだったのだ。ルートチャクラで大地と繋がり、頭の真ん中の松果体のあたりから頭上の第8のチャクラに繋がりができる。それが、地底から宇宙まで繋がる巨大な光の柱のように感じられる。

頭上のチャクラを感じながら、阿蘇のエネルギーにアクセスしていると、古代人のような声で「あぁそぅ」と言っている言葉が繰り返し聞こえてきた。言葉というよりも、「あそ」が何を意味しているのかを伝えているようだ。「あぁ」というのは、頭、あるいは自分の意識のことを言っているようだ。そして「そぅ」とは、底のことでもあり、空のことでもあるようだ。つまり、「あそ」とは、自分と地球、自分と宇宙との繋がりのことを言っているらしい。

「あそ」とは、アイヌ語で火を吐く山という意味なのだそうだ。「あ」とは燃えるという意味で、「そ」とは床のことだと書いてあった。「あそ」の意味についてはいろいろな説があって、どれが真実なのかは定かでないようだけれど、燃える床と言ったら、大地から天へ向かって伸びる光の柱のことのようにも取れるような気がする。

何なのかはわからないけれど、その古代人がのんびりした口調で「あぁそぅ」と言っている声を思い出すと、頭上にある玉みたいなチャクラを中心に生きる感覚を感じるのだ。それは、世界全体を見下ろすような巨人の視点で生きるような感覚で、同時に身体がマグマの地熱を感じているように熱くなる。「あぁそぅ」。

何が起きたのかまだよくわからないのだけれど、阿蘇のあたりの衛星画像が、妙に明るくなったようだ。封印が解けたとき、同じ画像が明るく見えるということは、よくあった。過去に撮った同じ写真だから、物理的には変わるはずはないのだけれど、何故だか明るく見え始めるのだ。それは、私たちの知覚は、実は物理的なものだけではなく、多次元的なものも見て取っているからなのかもしれない。封印解きクラブの人たちに見せると、やはり明るくなっていると言っていた。阿蘇から金色の光の柱が立っているのがわかると言っていた人もいた。



金色の光。阿蘇から立ち上る光の柱は、まさにそうしたものだ。豊かさであり、太陽の光のような暖かさ、喜ばしさ。何があるから豊かだというよりも、太陽があり水があり、あらゆる植物、動物がいて、完璧な世界があるという豊かさだ。まったく日常的な現実の中に、永遠の世界があるのがわかるという豊かさ。それこそは、地上の生が持つ本来の輝きなのだ。

地球の人類が、このエデンの園から出て、何千年もの支配と戦いの冒険を始めたのは、何故だったのだろう? そのとき私たちは、頭上にある玉のようなチャクラ、宇宙意識の感覚器との繋がりを失ったのだ。そして、この冒険の果てに、私たちは今、支配と戦いの時代を終わらせるために、この8番目のチャクラとの繋がりを取り戻そうとしているらしい。

 

  

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表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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え?