「あずかり知らぬ」 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

昨日ゆりりんの畑を見せていただき

土曜日、もうひとりの畑を借りる方と待ち合わせて、どこを使うか決めることになった。


ワクワクするなぁ。

何を植えようかな。

いつまで借りれるのか分からない畑なので、野良野菜にならない野菜を育てよう。

え?


ムクナマメをたくさんいただいてるので、チャレンジしようかな。

大豆も植えたいな。


そして今年はイネ科の野草を食べまくりたいな。

なんか作ったり食べたりするごとに、不安が消えていく感。


ちゅーことで

岡本よりたかさんのFacebookより転載させていだきます。

いつもありがとうございます。

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 「あずかり知らぬ」


自給が大切だよね、なんて、30年前の自分が見たら鼻で笑うだろうなぁ。


と思いながら、「おひとり農業」と言う本を書き上げた先月。


その昔、IT技術者だった僕は分業の大切さを謳っていた。全てを一人でこなすよりも、専門的な技術に特化した才能を集めた方が、より良いものができる。


確かに多くの仕事では、それが正しい。


だから、美しく立派な野菜を作れる人や見事な味付けをする料理人がいるのだから、僕がわざわざやる必要もない。


それらをお金で買うために働いているのだから、当たり前の話。


でも、体調不良になり、その考えが危うい事だったのだと気づいたのが、たった25年前。


不定愁訴。※最下列参照


何件病院を回ったか分からないぐらいたらい回しにされて、結局、原因不明の不定愁訴。


色々悩みまくって、解決に導いてくれたのは、自給的な農業だった。


要は、何を食べてるか分からない状態で続けてきた食事に問題があったと言うことなのだろう。


何が入ってるのか知る由もない。どこで採れたのかも知る由もない。どうやって作られているのかも知る由もない。


だって、見ず知らずの他人がやったことなのだから。


「あずかり知らぬ」


与り(あずかり)、つまり関与しないと言う意味。


そうか、自分の身体を作る原材料に、僕は関与していなかったわけだ、今まで。


自分の身体なのに。


家を建ててもらって関与しなかったら、手抜き工事されていても分からない。あずかり知らぬなのだから、責任は工務店にはないと言う事になる。


自分の家なのに。それでいいの?


貴方の着ているコットンのシャツなんだけど、どこで栽培されたものか知ってる?インドで作られた遺伝子組換えのコットンで、農作業者が畑に入ると湿疹がでるとか言われている。


そのコットンの服着ていて、平気なの?自分で着る服なのに。


いや、ほとんど場合、平気なんだと思う。衣食住。どれも、遅効性だから(笑)。


「直ちに、健康に被害を及ぼすことはない」


それを信じてきた結果が今の日本。


そのうち手遅れになる。


「買う」から「作る」へシフトする。この先、ひとりで生きていける知恵と知識があるかないか。


「消費」から「生産」へ。


おそらく生死を分けるのは、そこだと思う。もうそろそろ気づいた方がいいと思うよ。


生死なんて大袈裟な?


本当に大袈裟かな?


※岡本よりたか著 新刊本「おひとり農業 」

Amazonにて予約販売開始(発送は6/25より)

https://amzn.asia/d/8ml3Ajo


※不定愁訴とは、 『「なんとなく体調が悪い」という強く主観的な多岐にわたる自覚症状の訴えがあるものの、検査をしても客観的所見に乏しく、原因となる病気が見つからない状態を指す。』Wikipediaより

    

 

  

毎週どこかで上映会⇩

 

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

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え?