「評価」 | キセキを紡ぐ Rut of hope

キセキを紡ぐ Rut of hope

毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

ちゅーことで、

岡本よりたかさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

↓↓↓

 

「評価」

 

珍しくセミナーのない日曜日の夜。どうでもいい事を呟いてみる…。

今から20数年前のこと。営業職のサラリーマンの友人が、居酒屋で僕に愚痴っていた。

「上司がな、俺らがしっかり下準備したから成功したプロジェクトなのに、ねぎらいの言葉ひとつもない。なんかやる気無くすなぁ。手柄独り占めかよ…」

のような事を言っていたので、僕は諭すようにこう言った。

「お前んとこ、奥さん専業主婦だっけ。奥さん、ねぎらった事ある?その下準備が上手くいったのは、健康で気力があったからだよな。仕事以外のこと考えなくて済んでだんじゃない?それは誰のおかげか考えた事ある?」

友人は、「なんだよ、それ」と返してきた。

「まず、お前が奥さんの家事についてねぎらえって話。それのおかげで仕事に没頭できてるんだろ?」

友人はバツが悪そうにして、「そうかな…。カミさんは、家事、つまらなそうな顔してやってるけどな…。まぁ、お前にはわかんねぇよ」と拗ねてしまった(笑)。

 

僕はこう見えても、家事が好きである。掃除、洗濯、片付けはもちろん、特に食事を作るのが好き。だから、家でもしょっちゅう家事の何かをしている。

料理というのは、自分で食べるだけだと気力が生まれないのだけど、誰か食べてくれるとなると、俄然楽しくなるものだ。

そして「美味しかった!」と褒められれば、その後の洗い物や片付けまで楽しくなる。

 

しかし、なんの評価もなければ、愚痴ってる友人と同じような表情になるのは当たり前だ。

人は常に誰かに評価してもらいたがっているし、誰かの視線をずっと気にしているものである。一人では気力が生まれないが、期待されれば元気も出てくる。

よほど気が効く人なら、常に評価を口にするだろうけど、実際はと言えば…

他人からの評価は常に気にし続けるが、

他人への評価は忘れ去ってしまう

のである。

 

僕は最近「おひとり農業」という本を書いたが、農業も誰かが食べてくれるから気合いが入るものである。

だから、「おひとり農業」は一人でやってはならない(笑)。

 

自分が今やっている事の評価をもらいたいとか、認めてもらいたいとか、褒めてもらいたいとか、そう思うなら、日頃から家族や他人のやっている事を評価し、認め、褒めてあげなくてはならないのである。

当たり前と言えば当たり前の話(笑)。

 

 

写真の説明はありません。

 

    

 

  

先着50名さま⇩無料ですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 
 

 

 

え?