【木曽の封印のこと】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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【木曽の封印のこと】


個人セッションをやっていると、個人的な問題から始まって、なりゆきでその土地の封印まで解くことになることがときどきある。個人的な問題は、生まれ育った環境から来ていることが多いのだけれど、家族から遺伝的に来ていることもあるし、住んでいる土地に染みついている過去の時代の悲しい記憶を受け取って無意識に反応してしまっていることもある。


問題が土地に染みついている記憶から来ている場合、土地のエネルギーをまとめて解放してしまった方が、効果的なことがある。いや、そうするしかない場合の方が多い。それで、熊本城の封印を解くことになったこともあるし、京都の封印を解くことになったこともある。封印が解けたときには、そこに住んでいる人が、「息がよく吸えるようになった」と言うことがよくある。それまでは何だか空気が重くて、息を吸うのが苦しかったというのだ。土地の空気の中に、過去の時代の嫌な記憶の波動が入っていて、それが何だか息苦しい感じになるのかもしれない。


実家のエネルギーがどうもおかしいという人のセッションをやっていて、いろいろ見ていたら、どうも木曽の御嶽山から来ているように思えた。そのあたりに何かあるはずだと思って、グーグルマップで探していたら、上の方にあやしげな山があり、これが関係しているんじゃないかと思った。それが御嶽山だった。


木曽のあたりは、前から重苦しい波動があった。土地のエネルギーをリーディングしてみると、昔ながらの生活ができなくなって、やけくそになっているような男たちの姿が見えた。私は、島崎藤村の「夜明け前」のことを思い出した。本を読んだことはなく、演劇で一部をやっていたのを見たことがあるだけなのだけれど、明治維新になって山が国定公園にされてしまい、木が伐れなくなってしまった。そのために、山の木で生活していた人々が、生活手段を失ってしまったのだ。島崎藤村の小説には、それで絶望のあまり気が触れてしまう男が登場する。


島崎藤村は木曽の人で、この話は彼の家族に起こった実話だった。木曽のあたりには、現実にそうしたことがあったのだ。御嶽山の一帯には、それ以前の封印もあるのだけれど、しかしともかくも、明治時代になるまでは、人々は山の木で暮らしていくことができていたのだ。それが明治になって、山が国定公園とか国有林とかに指定されて、地元の人々が木を使うことができなくなって、いよいよ暮らしていけなくなってしまった。


山のあたりには、縄文の山人族に遡る山の民が住んでいたのだ。山にあるものを使って、カゴを編んだり、わっぱを作ったりして暮らしていた。御嶽山の北側には飛騨があるけれど、飛騨といったら飛騨の匠と言って、木工や木造建築の名人たちが出た土地だ。山で暮らす人々は、木を扱う高度な技を持っていて、それを使って豊かな生活をしていたのだ。


明治時代に国定公園を作ったのは、イギリスの真似をして、自然を守るためにという理由だったのだけれど、森と共生し、森のことを知り尽くしていた人々が生きていけなくされてしまったために、逆に環境が荒れることになった。こうしたことは、無知や愚かさから起こったことなのだろうとこれまでは思われていた。しかし、この頃いろいろな情報が入ってくると、明治政権とはつまるところ、イギリスの属国化だったということがわかってきた。してみると、自然を守るために国定公園を作らなければなどというのは、表向きのことに過ぎず、山の人々が自立した暮らしをしていけなくなることをこそ、狙って行なったことだったのだろうと思えてくる。


自然と共に自立した生活をしている人たちは、支配することができない。しかし、山で生活していくことができなくなれば、彼らは町に出て、お金を稼ぐしかなくなる。それで、最下層の工場労働者などになったわけだ。「ああ野麦峠」は、飛騨の農村の娘が製糸工場に行って、奴隷労働のようなことをさせられる話だけれど、飛騨は養蚕でも有名なところだった。合掌造りの大きな農家の屋根裏で、蚕を飼っていて、家族で絹糸を紡ぎ、機を織っていたのだ。それが、娘をそんなところへ出稼ぎに行かせなければならないほどに貧しくなったのは、山で生活できないようにされてしまったからなのだろう。


イギリスの産業革命が、産業が機械化する以前に、羊の囲い込みから始まったのは、歴史の教科書にも載っていたくらい有名な話だ。イギリスには、羊の放牧で暮らしていた人たちがたくさんいたけれど、土地を柵で囲って羊を飼うようにしたら、羊飼いたちが生きていけなくなった。それでこの人たちが雇われ人として、工場で働くようになったのだ。


そして、まさにこれがイギリスの産業革命の始まりだったのだ。つまり、自立して生活していた人たちを、雇われ人にしてしまい、この人たちを奴隷のように働かせることで、資本家が搾取できる構造ができたということ。産業化というのは、つまるところ、この搾取構造だった。生産手段を取り上げて、それを独占してしまうということ。産業の機械化は、その後になって初めて起こったことだった。


となると、イギリスで始まった国定公園というのも、つまりは土地を所有せず、自然とともに生きてきた人々が生活できないようにしてしまうための口実だったのかもしれない。だとすれば、それを日本でもやったのは、富国強兵のために奴隷労働する人々を作り出すためだったのだろう。そこで、「ああ野麦峠」や「夜明け前」で語られる悲劇がいたるところで起こることになったのだ。


それまでの伝統的な生き方ができなくなったとき、人は自分に対する誇りとか存在意義みたいな感覚を失ってしまう。自然のものを使って、自立した生活をしてきた人々は、集団の中での関係性や自分の役割といった感覚を大事にして生きる。そうしたものがなくなって、上からの命令で働き、収益を搾取されて、最下層の人間として暮らしていくようになると、人間は自分のお金のことしか考えなくなる。それで、互いに争ったりいがみ合ったりすることになる。後の世代の人々は、それが当たり前と思って、生まれ育ち、そんな重苦しい土地から離れたいとしか思わなくなるのだ。しかし、その土地には、かつて失われたものの記憶があり、失った悲しみや絶望、憎しみや無力感の念が染みついている。


そうした土地に生きていると、そうした絶望や無力感を無意識で受け取ってしまい、そういう状況を引き寄せてしまったりもする。そうしたところから来る抑圧感の中で次の世代が生まれ育っていくのだ。インナーチャイルドの封じ込めは、そこから来ていることが多い。だから、何代か遡ったところの封じ込めから解かなければならないことも多く、そうなると、土地全体の封じ込めとも深く関わっていたりする。


それで、御嶽山の封じ込めを解いて、もともとのエネルギーを解放してみようということになった。縄文時代には、人々は山の力と繋がって、まるで飛ぶようなスピードで山を駆け巡ったり、土地を守るために超人的な力で戦ったりすることができたのだ。その力があれば、征服されてしまうことはなかったはずだった。


山の下の地下の方に意識を向けると、そこにそうしたエネルギーが埋もれているのがわかる。封じ込められた力は、ドロドロした恐ろしげなものに見えたりするのだけれど、表に出してみると、神々しい姿を取り戻す。だから、恐ろしげな様相におじけることなく、表に出てもらえばいい。


これまでいろいろなところの封印を解いてきたせいか、あれほど重く思えていた御嶽山も、難なく開いてしまった。山からヤマタノオロチのようなものが八方へ飛んで行くようなイメージが見えた。ヤマタノオロチというよりも、八頭の龍のようだ。それが、御嶽山の中心から、八方へ頭が向かっている。これは、封印が解けて、もともとあったエネルギーの繋がりが戻ったということなのだろう。それが八頭の龍のような姿で見えているのだ。


これまで何百年、何千年という歴史の中で、土地と人々との繋がりが切り離され、支配されてきた。土地と繋がっている人々は、自然とともに守られて、自立した暮らしを営んできたのだ。ありとあるものを生産して、豊かに生きる術を知っていた。まさにそうしたものが、土地の伝統文化であり、民族の誇りであり、自分が土地と繋がり、土地と共に生きているという感覚としての愛郷心だった。


土地の封じ込めとは、まさにこの繋がりを壊して、人々が自立した生活を営んでいけないようにしてしまうことに他ならなかったのだ。そしてそれが、この何百年、何千年という支配と戦いの歴史の根底にあった。


今、土地の封印が次々と開いているのは、世界が一極支配へと向かっていく戦いと支配の時代から、多極的な共生の時代へと変わっていっているからなのだろう。自立した生活を失ったときに、人間はお金や地位のために争い合うようになる。自立した生活を取り戻したとき、土地の自然や伝統こそが一人一人のアイデンティティになり、外の価値観に自分を合わせる必要もなくなり、争ったり、相手を支配しようとする必要が、そもそもなくなるのだ。


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画像は、木曽の衛星画像。赤丸が御嶽山



 

    

 

  

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