ランナーと呼ぶこともおこがましい、時々ちょっと走る私も、走り過ぎつま膝やら足の裏やらよー壊します。
ランナーハイとかなったことないし、足は痛いし、暑いし、時間かかるし、なんだかんだでお金もかかる。
けどなんだろ、達成感とゆーか連帯感とゆーか、やめられない何かがある。
けど上手く言の葉にできまてんよ。
ちゅー話。
次回は春先の大会希望。
夏のトレーニングは避けたいから(;´∀`)
ちゅーことで
トモノアキラさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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痛みが過ぎると、神さまが「これ以上はやめとけ」って、スイッチを切るらしい。
94年、フロリダで朝から晩までテニスだけをしていたときがあった。後から聞いた話では、海軍か空軍か忘れたが、アメリカの軍隊で最も過酷と言われるキャンプよりもハードなトレーニングをこなしていたらしい。ただし、1年中ではない。年に2回、6週間ずつある体作りの期間だけ、コーチが鬼になる。ボクたちプレーヤーは、この合計12週間を、フィット期間と呼んでいた。
はじめの1週間は地獄。トレーニングが終わると、メシも喉を通らない。シャワーを浴びようとシャワールームに入るが、そのまま座り込んで動けなかった。数日で頬がげっそりとこげ、鏡を見るのが苦痛だった。食欲は無いが、食べ物を体に入れないと死ぬと思い、無理やり喉に押し込んだ。赤茶色のおしっこをみて、「これが血のしょんべんか」と呟いた。
10日も過ぎると、徐々に体が慣れてくる。決して楽じゃないが、シャワールームでへたりこむことは無くなった。
長年の酷使もあり、腰と右膝が痛かったが、黙ってトレーニングをこなしていた。体作り期間が4週間も過ぎたころだろうか。
ボクたちは、アパートメントから、距離にしておよそ10キロ先のテニスコートまで走るのが日課だった。
ある朝、走っていたら、突然意識を失って前のめりに倒れこんだ。アスファルトに打ち付けられたその衝撃で、すぐに意識を取り戻し、立ち上がった。
「あきらさん! 大丈夫ですか?」
心配そうに駆け寄ってくるチームメイトたちに向かって右手を上げ、大丈夫と答え、また走り出した。
アスファルトに倒れこんだときの衝撃、ゆっくり起き上がるときに、一瞬、視界に入ったジョギングシューズ、顎から滴り落ちる汗。わずか10秒ほどのシーンをよく覚えている。昨日のおかずも忘れるのに。
6週間のフィットネス期間を終え、通常モードになると、月曜から金曜は朝8時から19時半まで練習。週末は試合。そんな生活がオフシーズンまで続く。
行かないでと泣く元カノや、やはり「ホンマに行くんか」と涙を浮かべる親友シゲを振り切り、コーチのアルバイトを3つかけもちして貯めたお金で渡航。世界中のトッププロやプロの卵が集まるフロリダで2年も過ごせば少しは上手くなるだろうと自分に期待した。
結果、この世界では、何者にもなれなかった。ただ、体を壊しただけ。そして、失意の帰国。
あの当時はわからなかった。
自分が手に入れたことは、すべて、後からわかる。
あの経験があったことで、大抵のことは乗り越えられるとわかった。環境や人のせいにしない人生になった。体をケアするようになった。打ちのめされたときは、あの時のゆっくり立ち上がるシーンを思い出せばいいとわかった。
倒れたら、起きればいい。その度に、強くなる。
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