【伝統を壊せば、お金で支配できる】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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こないだのマラソン大会でK嬢と話してびっくりしたこと。

家族3人でご飯を2合炊いたら2日分あるらしい。

Σ(゚Д゚)

 

うちは・・・

朝晩2回炊いたりする。

 

ご・・・五合をね。

 

米が5キロあれば1か月以上持つらしい。

Σ(゚Д゚)

 

うちは・・・・

10キロでは不安。

20キロでも足りないのだ。

 

朝昼晩ほぼほぼ米を食べている。

パスタは年に数回。

うどんは月イチくらいかな。

 

米飢饉のときにうどん食べたりピザ焼いたりしてるかな。

 

主食は米!と自信を持って言える生活。

なので和食中心になるのかも。

 

日本人の伝統文化って、ホロホロと崩されちゃってんだなぁと実感したのでした。

 

 

ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

↓↓

 

【伝統を壊せば、お金で支配できる】

 

シリアのアサド大統領のインタビューを見ると、シリア紛争がどのように起こされていったのかが、とてもよくわかるのだけれど、その中には考えさせられるような内容がたくさんあった。その一つが、アメリカの諜報機関は、国のアイデンティティを壊すことで、支配しようとしてくる、ということだった。これがソ連崩壊後、90年代から強く行われてきたことで、だから国の主権を守るために、国の伝統文化や伝統的な価値観を守ることが重要になるのだと。

これもまた、ウクライナで、私たちは見てきた。もともとウクライナは、ロシアと同じ文化伝統を持つのだけれど、それが2014年のマイダン革命以降、ロシア文化を排除するように操作されていったのだ。とにかくロシア人は悪い民族だからという理由でだったのだけれど、それによってウクライナは独自の文化や伝統から引き離されていった。ウクライナはロシア正教会の信者が最も多いのに、それも禁止されることになり、ウクライナは昨年からローマカトリックやプロテスタントと同じように12月25日にクリスマスを祝うことになった。クリスマスは、伝統的に一番大きなお祭りで、土地の文化や価値観、民族的なアイデンティティと深く結びついたものなのにもかかわらず、だ。

 

何故、アメリカの諜報機関は、支配しようとする国の文化をまず壊そうとするのかというと、文化が壊れれば、国の結束を作ってきた民族としてのアイデンティティが失われてしまうからなのだという。そうなると、それまで行動の基準になっていた価値観がなくなってしまい、お金で動く人間になってしまう。こうなれば、お金でどうにでも支配できてしまうのだと。

実際、ソロスなどの国際NGOが、あちこちの国で、民主化のためといって反政府組織を作って、反政府デモを行わせたりしているけれど、多くの場合、日当を出して、デモを行わせている。デモを過激化させて、火炎瓶を投げたり、放火したりといったテロ行為さえ、お金を出してやらせている。自分の国を乗っ取らせるようなことさえも、お金がもらえるのであれば、少なからぬ人々がやってしまうのだ。

 

そうした人々を作り出すために、アメリカの諜報機関は、土地の伝統文化を壊そうとする。既存の伝統を、窮屈で抑圧的だとか、閉鎖的だとか、あるいは野蛮だとかいう風に思わせたりする。それで、アメリカやヨーロッパみたいな西側資本主義経済の国へ行けば、自由になれるかのように思わせるのだと思う。これも、ウクライナで90年代からずっと行われてきたことだった。ロシアとの繋がりを切り離して、ヨーロッパと一緒になれば、自由で豊かになれるかのように思わせていた。

 

田舎の土地を捨てて、都会に行った人たちは、都会とは、お金に縛られてしか生きられない場所だということを知る。都会では、生きるために必要なものは何もかもお金を出して買わなければならないので、お金を稼がなくては生きていけない。そして、お金を稼ぐには、雇い主の言いなりになるしかないのだ。伝統文化から自由になるとは、実はそのようなことに他ならない。

 

民族学や文化人類学を学んだことのある人なら知っていると思うけれど、伝統的な風習というものは、それだけでいいとか悪いとか、抑圧的だとか閉鎖的だとか、一概に言うことができない。すべては、社会全体の中で、網目のような構造として機能しているからなのだ。たとえば、イランでは、イスラムの風習で女性が外に出るときには、ヒジャブという黒い布を頭からかぶっていなくてはならない。これを、イランでは女性が不当に抑圧されていると言って、西側諸国は批判している。それで、ソロスのNGOとかが、イランでヒジャブ反対運動を組織したりしていたらしいのだけれど、実はほとんどのイラン女性は、ヒジャブをかぶることに反対してはいなかった。

 

イスラムの人たちは、何よりも戒律によって動いているのだけれど、それには女性を大事にしたり、貧しい人たちに施すことなども含まれていて、つまりは社会全体として自立して共生していく形なのだ。その中に、ヒジャブをかぶることなども含まれているので、それだけを取り出して、いいとか悪いとか評価することなどはできないのだと思う。だから、外から見て、いくら抑圧的に見えても、当のイラン女性たちに不満がないのなら、抑圧的だと言うことはできない。

 

社会全体で繋がっていることを、一つだけ取り出して、抑圧的だと思わせ、その伝統を壊してしまうと、社会全体として機能していた共生の原理も破壊されてしまうのだと思う。男と女のバランスの取れた関係性が壊れ、共同体の中で支え合っていた関係が壊れてしまう。そうなると、都会へ行って、お金に縛られて生きる方向へ、容易に持って行かれてしまうことになる。アサド大統領が言っている、国の伝統文化を壊して、国のアイデンティティを破壊するとは、つまりはこうしたことなのだと思う。

 

日本では、村の共同体が閉鎖的だとか家父長制が抑圧的だというようなことが言われて、特に戦後、多くの人々は自由を求めて都会に出ていった。しかしそこで、土地や家族親族、村の人々などと支え合っていた関係がなくなって、お金でどうにでも動くような人間にされてしまったのだ。村の共同体が、自立的に共生していく原理として機能しているようなところでは、人は容易に外のお金で動かされはしない。そういうところでは、お金よりも、土地の関係性に支えられて生きていくのだから、そこでの価値観に沿って生きていくことの方が大事なことなのだ。

 

国のアイデンティティがあれば、ノーを言うことができるのだ、とアサド大統領はインタビューで言っていた。何でもアメリカ政府が言う通りに従ったりはしない。国の主権を守るために抵抗することができる。だから、国の文化や伝統的な価値観を守り、国のアイデンティティを守ることが、今日では国の主権と独立を守るために、重要なことなのだと。

 

日本ではとりわけ戦後、核家族化が進み、人が孤立していくようになっていった。昔だったら、困ったことや悩みごとがあったら、まわりに相談に乗ってくれる人がいくらでもいて、人肌脱いでくれる人もいた。だけど、核家族化が進んでいった結果、悩みごとの相談をするにも、しかるべき職業の人のところへ行って、お金を払わなければならなくなっている。それを考えると、私たちはいかに人工的に孤立させられてきたかがわかる。義理や人情みたいな価値観も、抑圧的で窮屈なように言われてきたけれど、まさにそうした価値観を大事にする人々が、たがいに支え合って生きていく原理を作り出していたのだ。そうしたものが抑圧的だとか不自由だとか言われて捨て去られたあと、人々は孤立して、自分のお金のことしか考えないようになっていった。

 

2020年に始まった奇妙なパンデミックで、お金がもらえるからとか、お金がもらえなくなるからというので、人権侵害になるようなことや犯罪のようなこと、自分や家族を傷つけるようなことにさえ従ってしまう人々がいかに多いかを思い知らされた。もちろん、操作されたメディアを信じてやっていた人たちも多いのだけれど、そこでは、伝統的に存在していた自分や家族の健康を守るための知識や、自立的に生活していく原理といったものが失われていて、テレビに出てくる権威の人の言うことに無条件に信じてしまうようになっていた状況がある。

明治生まれの世代くらいまでは、田舎のおばちゃんとかでも、自分で自分の健康を管理する感覚というものを持っていた。代々伝わる健康法みたいなものがあったし、薬草を採ってきて使うこととか、お灸のツボとか知っている人も多かった。それが、何でも医学の言う通り、政府の言う通りに従うようになったのは、伝統的な自立的な生き方から人々を引き離そうとして、メディアや学校を使って操作してきたからだ。

 

つまるところ、リベラリズムというものは、伝統的な生き方を古いとか抑圧的だとか自由がないとか言って、壊してしまう論理だったらしい。それで、あらゆる既存の価値観を破壊するようなことが、新しくてかっこいいと思われていたのだけれど、つまるところそれは、お金に依存して生きる生活にすぎなかったのだ。何故なら、伝統的な生き方とは、自立した共生する生活の形に他ならなかったのだから。自由になったつもりでも、実は野生の世界を出てしまって、飼い馴らされた動物のようなものだった。

 

かつてのソ連や東欧、あるいはイスラム世界は、西側から入り込んでくるリベラリズムの危険を知っていたのだと思う。ソ連では80年代までロックが禁止だったし、そうしたものは、資本主義の堕落した文化だと言われていた。それを西側世界では、ソ連は共産主義だから自由がないのだと言っていたけれど、今にして、あれが文字通り資本主義の堕落の文化だったのだということがわかる。堕落というより、お金に依存する奴隷にしてしまうための、悪魔の誘惑のようなものだと言った方がいいかもしれない。既存の伝統文化をすべて壊してしまえというのが、そこに入れ込まれたメッセージだったから。

 

90年代の初めに私が東京からオーストリアに移り住んだのは、あの頃まだヨーロッパには、伝統的な価値観というものが生きていたからだった。バブルの頃の東京を経験して、すべてがお金で動いていくことに息が詰まりそうだった。それでヨーロッパに行ってみて、ここではまだ筋が通った価値観が生きていると思ったのだ。ところが、ソ連崩壊後、ヨーロッパでも徐々にそうした価値観が破壊されていき、同時に伝統的な自立した生き方もできなくなっていってしまった。

 

結局のところ、人間としてやっちゃいけないことはやっちゃいけない、というようなことなのだけれど、それができるためには、自立し共生する生き方が機能している社会があることが必要だったのだ。それが失われたら、個々人は自由になったと思っていても、自分で考えることさえできず、正常な危機感を持つことさえもできない集団ができてしまうだけだった。

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画像は、ロシアに棲息する野生のユキヒョウの家族

 

チーター、大型のネコ科動物の画像のようです

 

 

    

 

  

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