【ロシアを離れたとてもロシア的なロシア人】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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インストールしたら終わり?

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ちゅー話。


ちゅーことで

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

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    【ロシアを離れたとてもロシア的なロシア人】

アメリカのジャーナリスト、タッカー・カールソンが、ドバイでテレグラムの創始者パヴェル・デュロフに会って、インタビューした動画が、この頃、公開された。2020年に奇妙なパンデミックが始まってから、アメリカのSNSで検閲が激しくなったので、検閲のないテレグラムに大勢の人が移動し、テレグラムは世界的に重要なSNSになっていった。2022年にウクライナへのロシアの軍事介入が始まってからは、ロシアからの情報はことごとくブロックされ、テレグラムがほとんど唯一のロシアからの情報源になっていた。

アメリカのSNSの創始者たちがメディアの表舞台で注目を浴びているのに対して、テレグラムの創始者のことは、ほとんど知られていない。パヴェル・デュロフがインタビューを受けたのは、このインタビューの前は、10年前のことだったそうだ。


パヴェル・デュロフは、1980年代にソ連に生まれたロシア人だった。彼が子供のときに、家族はイタリアに移住し、ソ連崩壊後に再びロシアに戻ってきた。彼の兄は子供の頃から数学の天才で、数学チャンピオンになったりしていた。その兄がプログラムを作って、彼がまだ20歳の頃に、最初のSNSを立ち上げたのだそうだ。

それから兄弟は、ロシア政府とぶつかることになる。2011年頃に、イギリスの支援を受けた反政府組織がモスクワで大規模なデモを行っていて、その組織がデュロフ兄弟のSNSを使っていた。それであるとき警察がやってきて、その組織のSNSの使用を禁じるように言ってきた。デュロフは、これは中立なプラットフォームなのだからと言って、それを拒否した。その後2013年になって、キエフでマイダン革命に発展していく反政府運動が起きた。それでまた警察が来て、デモを組織していたグループのデータを渡すように言ってきた。デュロフは外国のユーザーの信頼を裏切ることはできないと言って拒否したのだけれど、その年が終わる頃には、ロシアを離れる決断をしなければならなかったと言っている。

デュロフにとっては、何よりも言論の自由を守ることが大事だったのだ。ソ連の中央集権的なシステムから逃げるために、イタリアに移住した家族だったから、西側には自由があるという意識があったのだと思う。だから、ロシア政府に反抗してでも、自由を守るべきだと思ったのかもしれない。

それから兄弟は、世界中を放浪することになる。まずベルリンに行き、ロンドンに行き、シンガポールに行った。だけど、どこでもさまざまな障害に出会って、事業を立ち上げることができなかった。サンフランシスコに来たときは、これでうまく行くと思ったのだけれど、当時のツイッターのオーナー、ジャック・ドーシーに会いに行ったら、その後ホテルに帰る道で、3人の暴漢に襲われた。パヴェル・デュロフは、たった一人で3人を相手にして戦い、逃げてきたそうだ。


その話が出たときに、「彼らはロシア人を襲ったことがなかったんだろう」とカールソンは言って笑っていた。3月のモスクワでのテロ事件のときにも、ロシア男性の武勇伝の数々が語られていて、それで思ったのだけれど、ロシア男性は戦う力を奪われていないのだ。パヴェル・デュロフは、決して腕力の強い男のタイプではないけれど、それでも何とか戦って身を守った。何かを守らなければならないという瞬間に、西側諸国に生まれ育った人間だったら、必ずしも戦うという選択にはならないと思う。しかしそういうとき、ロシアの男たちは、自分に損かどうかを考えて別な選択をするという考えはないように思える。

この暴漢が、ジャック・ドーシーと何か関連があるのかどうかはわからない。しかしその後、デュロフは、FBIにつけ狙われていることに気がついた。それで、やはりアメリカにもいられないということになり、アラブ首長国連邦のドバイに行った。ここは何よりも中立だし、事業の立ち上げが簡単だった。それで以来ずっとドバイに事務所を構えているそうだ。

アメリカでは、政府機関もつけ狙ってきたけれど、それよりもひどかったのはグーグルとアップルだとデュロフは言っていた。テレグラムは、外からハッキングされないように、特別なセキュリティがプログラムされている。そのコードを欲しがって、追いかけてくるのだと言っていた。

2021年1月6日のアメリカのキャピトル襲撃事件のときには、民主党の政治家から手紙が来て、デモの参加者のデータを渡さないと、憲法違反になる、と言ってきたそうだ。デュロフは弁護士に相談して、無視することにした。するとその後、今度は共和党の政治家から手紙が来て、デモの参加者のデータを渡したら、憲法違反になる、と言ってきたそうだ。

ロシアで警察にデモの組織のデータを渡せと言われたときは、西側諸国には自由があると思っていたのだろうけれど、実はアメリカの方がよほど自由がなかったということに、兄弟は気がついたのかもしれない。ロシアでは、警察が来てデータを要求しはしたけれど、それで兄弟は逮捕されたわけでも、罰金を科されたわけでもなかった。ところで、これは実際に犯罪に関わるような話だったのだ。2011年頃の反政府デモというのは、おそらくナワリヌイのことなのだと思うけれど、彼はイギリス諜報機関のエージェントで、ロシアに内紛を起こさせるために、支援を受けて活動していた。だから、テロ組織あるいは外国のエージェントとして、法的にもSNSの使用を禁じる権限があった可能性がある。

2013年のキエフのデモの話も同様なことで、あれは翌年クーデターに発展して、政権を乗っ取る国家反逆行為に繋がっていく。その結果、ウクライナはロシアに対するテロ国家のようになっていったのだ。そのことから考えたら、あのときロシア警察がデュロフ兄弟に要求したデータは、国際的な犯罪組織に関わるものだったことになる。

それでもロシアでは、警察が来てデータを渡すように要求しただけだったのだ。デュロフ兄弟は訴えられもしなければ、逮捕されもしなかった。ところがアメリカでは、追いかけ回されて暴漢に襲われたり、憲法違反になると言って脅されたりする。それも、犯罪対策のためなどではなく、国民を監視するためなのだ。そうしたことは、アメリカ政府が公にやっているわけではないけれど、だからこそ、ロシアよりもさらにひどく自由が制限されるようなことになっている。

デュロフは、中立なプラットフォームを提供することが彼にとって何よりも大事なので、どちらの側にもつかないと言う。テレグラムは宣伝もしないし、株もすべて彼らが所有していて、外の投資者を一切持っていない。何にも依存しないことが大事なのだと彼は言う。実際、西側諸国のメディアがほとんどすべて投資者によって支配されていて、事実上グローバリストの言いなりになっていることを考えれば、中立なコミュニケーションの場を保とうと思ったら、他からの資本に一切頼らない姿勢が必要になるのだろう。

彼は、お金を儲けることには興味がないし、不動産とかジェット機を買うことにも興味がないという。実際、そうしたものは一切持っていない。豪邸とか買ったら、インテリアの色を選んだりするようなことに時間と労力を取られるけれど、そんなことは時間の無駄だと彼は言う。彼にとって大事なのは、自由と独立を守ることだ。彼は、中立なプラットフォームを提供することで、最も貢献できると思うから、それが大事なことなのだと言っている。

お金とか成功とか、そういうものよりも、自分がするべきことをしているということが大事なのだ。ソ連時代のコメディ映画を何本か見ていて思ったけれど、こうした意識のあり方も、すごくロシア人的だと私は思う。西側諸国のコメディ映画に出てくる人物は、自分のお金とか名誉とか成功とか、そういう自分の得になることを動機にして動いているけれど、ソ連のコメディ映画では、そうではないのだ。登場人物は、全体に意識が向いていて、自分がその場でできることは何なのかを考えて動いているようなところがある。そして、それを追求するためには、かなり頑固になったりもする。承認欲求でさえないのだ。それはむしろ、共生感覚といったようなものから来ているように思える。

デュロフは、中立なSNSを提供し続けることが、彼にとって大事なことで、それによって彼は最も貢献することができるのだと言っていた。それを聞いて、やっぱりロシア人だなと私は思った。こういう風に考える人は、西側世界にはまずいない。少なくとも、事業者の中にはいない。社会の中で、つねに権威に妥協することを強いられてきて、自分の意志を生きる満足感が得られないので、お金や成功や名声みたいなものを代償にするようなことになっているのかもしれない。だけど、ソ連に生まれたロシア人の彼は、たとえロシアを離れていても、やはり自分の意志に従って生きることの方が、利益や成功よりも大事だと考えるのだ。

テレグラムは、今や世界的な事業なのにもかかわらず、ほんの30人ほどの技術スタッフで切り回していて、パヴェル・デュロフは今でもマネージャーとして、すべてを仕切っているのだそうだ。製品の性能がよければ、宣伝などしなくても顧客は増えていくからと、宣伝にも労力を投じていない。すべてをシンプルにして、効率よく仕事をしているのだという。テレグラムでITコンテストを開催して、優秀な人材を集めているから、人事部も必要がない。スタッフはすべて彼が個人的に知っていて、共同のチームとして動いている。

デュロフは、ツイッターだって同様にやれば20人でできるとドーシーに言ったそうだ。ドーシーは同意した。だけど、今さら従業員を大量解雇したら、株が下がるから、そうはいかないのだとドーシーは言ったそうだ。もちろん、大勢の従業員を抱えていたら、工作員に入り込まれてもなかなかわからないわけなので、テレグラムほどの中立とセキュリティを保つことは難しいということになるのだと思う。

検閲の嵐のようになっているSNS業界の中で、テレグラムが中立を保ち、言論の自由を守り続けることは、おそらく容易なことではないのだろう。それはパヴェル・デュロフの緊迫した表情からも読み取れる。事業に不利になるようなことは言うまいとして、言葉を選んでものを言っている。その難事業を、彼はまさにロシア人的な意志の力でやり遂げているのだ。そしてまさにそれこそが、唯一守られたパイプのように、西側の情報操作網を破り続けている。

パヴェル・デュロフはまだ30代の若い事業家だけれど、これからの世界の事業はこういう風になっていくのかと思わせるものがあった。お金とか名声みたいなもので動くのが、これまでの資本主義経済の世界だったけれど、そうしたものを餌にして、私たちは国が滅びるほどに依存させられてきたのだ。これほど生産性が上がった世の中で、お金や名声はもう本当に人を動かすだけの力を失っている。若い世代は、それよりも本当に自分の仕事と言えるようなことをすることに飢えているのじゃないかと思う。

パヴェル・デュロフみたいなやり方をする事業家が増えていけば、世界はずっと透明性があって、共生の原理で動いていくものになるのだろう。競争ではなくて共生だ。それがまさにロシア的だと私は思うのだけれど、これがこれからの多極化世界の原理になっていくのじゃないかと思っている。

 

 

 

 

 

 

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