【潜在意識には浄化が必要なのか?】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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昨日やっとこゆー粒のアレを見終わった。

ひとり脳内会議はなんなんだろう。

脳内独り言はすくない気がするけどくらべようがない。

gokoみたいに歌う人は、歌ってる最中は無心なのかな?

絵を掻いてる時は構成とか仕上がりとかいろいろ考えてるなぁとか、あーだこーだ考えてしまった。


走ってる時も無心じゃないな。

本を読んでる時は脳内スクリーンが出てくるし、

なかなか思考ちゃんは消えてくれんな。


今日は積極的に身体の声を聞いてみた。

なんか喉が詰まっだ感じ。

職場で言いたいことが言えてないんだな。


え?




ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

↓↓↓

 

【潜在意識には浄化が必要なのか?】

スピリチュアルに関心がある人の多くは、潜在意識を何か悪いもののように思っていたり、浄化するべきものだという風に思っていたりする。実際、いわゆるネガティブな感情だとか、エゴイスティックな欲望だとか、そういうものが湧き上がってくるのは潜在意識からだし、それによって望まない現実を知らずに投影して、そういう現実を引き寄せていたりするのも、潜在意識から来ている。

それで、ヒューレン博士という人が考え出した、ありがとう、ごめんなさい、ゆるしてください、愛しています、という4つの言葉を唱えるという新しいメソッドが、潜在意識を浄化して、ネガティブな投影を消し去るのだと言われている。これが、ハワイの伝統であるホ・オポノポノの現代版だと言っているのだけれど、これは実はSelf I-dentity through ホ・オポノポノという登録商標付きのメソッドで、ホ・オポノポノそのものではない。そこから由来する考えを使ったアイデンティティを作る独自のメソッド、ということにすぎない。

このメソッドは、すぐにできるし、一時期いろんな人が話題にしていたので、試してみた人も多い。だけど、かなり多くの人は、わけもなく「ごめんなさい」とか「ゆるしてください」とか言うことに抵抗を感じて、やめてしまったし、ある種の効果を感じて唱えていた人も、それほど効果がないことの方が多かったりして、いつの間にか唱えなくなっていることも多い。

深層心理まで入り込んで、精神的な傷を癒やすようなヒーリングを知っている人なら、潜在意識の傷は、こんな風に浄化できるようなものではないことを、よく知っていると思う。それというのも、ネガティブな想念は、外からつけられた汚れのようなものではなく、癒えないままに残っているかさぶたのようなものだからだ。かさぶたを無理やり取り除こうとしたら、皮がはがれて、傷が新しくできてしまうだけのことだ。

 

望まないような状況が引き寄せられているのは、潜在意識の中に、罪悪感だとか、自分は愛されないとか、人に疎まれるとか、そういう記憶が癒やされないままに残っているからだ。だから、努力しているはずなのに、何かあると自分のせいにされて怒られたりとか、好きな人に距離を取られたりとか、ここぞというときに失敗するとか、そういう状況が作り出されてしまったりする。

それどころか、自分は生きていてはいけない存在なのだというような感覚が、潜在意識の中に書き込まれてしまっていることもある。幼児期に、何かの意味で虐待された人や、両親がいつも殴る蹴るのケンカをしていたとかいう人は、そういう感覚を持ってしまうことも少なくない。そういう人は、いつもモラハラに遭うとか、DVの犠牲者になるとかいう事態を引き寄せることになっていたりもする。

こういう人に、「ありがとう」とか「ゆるしてください」とか唱えるさせるのは、心理のことをちゃんと知っている人ならば、まずやってはいけないことだということを知っていると思う。それは、自分が虐待された体験に対して、感謝して受け入れて、その罪が自分にあることを認めるようなものだからだ。両親がケンカをしているのを見て育った子供は、両親がケンカするのは、自分のせいなのだと思い込む。虐待された子供も、自分が悪いのだと思い込んで、親に感謝するべきなのだと思わされていたりする。まさにこれが、望まない現実を作り出すことになっている。

子供時代に精神的に傷つけられる体験をして、そのために癒やされないトラウマが潜在意識に残っているとき、「ありがとう」とか「ゆるしてください」というのは、虐待してくる相手に、無条件降伏するようなものだと言える。すべては自分のせいだと認めて、加害者にゆるしを乞う、ということになってしまう。このように作用してしまった場合、一時的に解放されたような気分になったりはするかもしれないけれど、傷自体が癒えるわけではない。自分自身の潜在意識にさらに抑圧を加えるようなことになり、かえって状況がひどくなる危険も大きい。

 

現代に生じている問題の多くは、子供のときに何らかの意味で傷つけられ、ありのままの自分を生きることを許されなかったことから来ている。実際、現代に生まれ育った私たちは、医療システムだとか学校制度だとかに縛られて、ありのままの自分を生きることなどほとんど不可能な状況だ。だから、ほとんど誰でも、そのような傷を潜在意識に負っているのだ。その状態で、状況も関係なくただ「ありがとう」「ゆるしてください」と唱えたら、それはありのままの自分を生きられない世の中を感謝して受け入れ、それに満足できないのは自分が悪いのだと言っているようなことになる。

 

多くの人は、そこで拒否感を感じて、唱えるのをやめる。しかし、そこでやめないで、唱え続けていると、潜在意識に書き込まれてしまうことになる。そうなると、世の中が悪いのはすべて自分が悪いとか、どんなにひどい状況でも感謝して受け入れるべきだとかいう意識ができて、それが現実を引き寄せ始めることになる。この結果、ますますモラハラを受けることになったり、自分の素直な感情からも切り離されてしまって、「喜びと感謝の念しか感じない」と引きつった笑顔で言うようになったりもする。

 

スピリチュアルの世界で浄化浄化というのも、こうしたことを考えると、一種のヒステリックな不潔恐怖症を作り出しているようにも思える。何か悪いことが起こったら、それはすべて自分の潜在意識が汚れているからだと罪の意識を持って、だから浄化しなければならないのだと思い込んだりする。実際、多くのセラピストみたいな人たちが、そういう風に人々を駆り立てていたりする。そのように考えないのは、エゴイスティックなことで、素直な人間ではないみたいに思わせてきたりもする。

 

インナーチャイルドを解放するセッションをやっていると、ありとある原初的なトラウマの形に遭遇する。そういうときに、起きた状況を受け入れるとか、虐待した親をゆるすとか、ポジティブな面を見るとか、そんなことは付け焼き刃にすぎない。そんなことでは、傷そのものは癒やされない。単に、しばらく痛みをごまかすことができるだけだ。

 

根底にある問題は、「ありのままの自分を生きられない・生きてはいけない」と潜在意識に書き込まれてしまったということにある。だから、それを癒やして、本当のありのままの自我を解放するには、「ありのままの自分を生きてもいい」と書き換えるしかない。だから、こういう事情があったからしかたがなかったとか、そういうことではなくて、どんな事情があったにしても、子供をこんな風に扱うことをゆるしてはいけない、ということを認めるしかない。

 

それで、インナーチャイルドを解放するセッションでは、過去に戻っていって、状況をかえてしまい、幸せな育ち方をしたことにしてみたり、親が違う対応をしたことにするとか、理想的な親に育てられたことにしてしまうとか、ときにはぜんぜん別な時代、別な世界で育ったことにしてしまったりもする。過去を変えるのは、やったことがない人は、そんなことで効くのかと思うかもしれないけれど、とにかくそれで、インナーチャイルドの傷が癒やされて、望まない現実を作り出すオーラを出さなくなるのだ。

これは、うつむきがちの姿勢が変わって、背筋が伸び、胸が開いて堂々とした態度に変わったり、くもりがちだった額が輝き始めたりするからわかる。当人も、胸が軽くなったり、息が深く吸えるのを感じたりする。自分のエネルギーの状態を感じ取るのに慣れている人は、喉のあたりで詰まっていたのが外れて、エネルギーの流れが繋がった、とか言ったりする。

 

これによって、確かにネガティブな記憶の投影みたいなものが消えはするけれど、これは殺菌するみたいにして浄化するから消えるというようなものではないのがわかると思う。むしろ、傷によって抑え込まれていた抵抗力を解放するようなことだ。浄化浄化といって、まるで汚れとかバイキンみたいなものがついているように思って、殺菌するみたいに消し去ろうとしても、かえって菌バランスが崩れてしまって、傷が治らなくなるのと同じようなことだ。

 

漢方とかホメオパシーみたいなもので、病気を治そうとするときは、何かを除去するのではなくて、抵抗力を強めることによって、身体が自ずとバランスが取れるようにする。潜在意識の癒やされない傷も、そのようなやり方でなければ、本当に癒えることはない。それというのも、そもそも傷が癒やされないで残ったのは、抵抗力が奪われてしまったために、かさぶたのまま残ったようなものなのだから。奪われた抵抗力を取り戻す以外に、このかさぶたを治す手はないのだ。

 

それを考えるならば、「ありがとう」とか「ゆるしてください」とか言うのは、対症療法のようなものでしかないことが、よくわかると思う。本当の解放は、むしろ「ゆるしてはいけない」という認識から来る。それによって初めて、自分の内なる傷ついたインナーチャイルドを、本当に愛することができるようになるからだ。

 

水泳、カメの画像のようです

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 告知です。

 

 

2月23日の天皇誕生日に、日土水農園で野草を摘んで、

オーガニック広場ひふみさんで野草おにぎりなどを作って食べましょう。

 

13時オーガニック広場ひふみさんに集合。

乗り合わせで日土水農園〜野草摘み〜ひふみさんで簡単調理〜実食

 

調味料代・米代・場所代等諸経費が掛かるので有料です。

2,000円または1,500ケーロ(その場でケーロを買っても大丈夫です。たぶん)

 

少人数での開催となります。

ご予約はオーガニック広場ひふみさんまで。