たいてい毎週日土水農園に行ってるのだけど、今週は土曜日出勤だったし、
今日やりたいことがあるので畑仕事はお休みにした。
まだ掘り残しの芋があるんだけどね。
掘り残しと言うか・・
農家さんが聞いたら怒られそうなんだけど、
じゃが芋さつま芋里芋は、周りから土ごと大きく掘り上げて、
大きな芋だけ採って小さな芋は残してそっと埋め戻しているのでした(え?
なのでまだ掘り終わってない。
去年さつま芋を掘った時、あんまりにも小さくてガッカリしていたんだけど、
思い切ってそのまま放置してみたのでした。
先週掘ってみたら凄く大きくなっていたのでよっしゃー!と一人心でガッツポーズ。
間違ったやり方なんだろうけど、自家消費なのでそれでいいのだ。
農園で育っていた野菜を庭の隅っこの畑に少し移植した。
サニーレタスは食べる分だけ葉っぱを千切って食べると、長ーく食べるとこが出来るし、
白菜は結球しないかもしれないけれど、蕾がどんどん出てくるので、それを焼いて食べるのです。
毎日のお弁当に使っても、追いつかないくらいに蕾が出てくるよ。
アブラナ科の野菜は全部蕾が出てくるので、見た目は同じだけど甘かったり苦かったりして楽しい。
使い損ねて芽が出たじゃが芋は台所に放置して、暖かくなったら日土水農園に植える。
わざわざ植えなくても掘り残したじゃが芋が毎年あちこちから出てくるんだけどね。
食糧難が気になるのならば、備蓄と同時進行で土に穴を掘って芋を植えることをお勧めします。
ちゅーことで、
岡本よりともさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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「小さな農」
致死率100%の現象がある。それを老衰と呼ぶ。
死をどの程度現実として受け止めているかが、今の自分の行動に変化を与える。
人はいずれ死ぬ。その事実を、多くの人は親の死によって認識する。
刹那的に生きるのか、それとも死を意識して今の行動を変えるのか。今、その帰路に立たされている。
年明け早々、多くの死を知ってしまった。
遠くの人であり見知らぬ人かもしれないが、使命を持って行動していた多くの人…。
そんな人々の死を感じで、心が震える想いがするのは僕だけじゃない。
知り合いがシェアしていたとある記事を読んだ。
小農が消えると言う話。
今の国は小さな農家は消えるべきだと考えている。
小規模に農作物を作り、それを農協経由で卸す。
しかし、価格が安く、小農では生活できないと言う。
国は小農には補助金を出さず、大規模な圃場整備をして大規模化に補助金を使う。
確かに、これでは日本の小農がどんどん消えて行くだろう。
だが、そもそもが間違っている。
小規模農家が、何故大規模に農産物を流通させる農協に販売を委託するのか。
今の農協は、もう農業協同組合ではない。
行政に紐付く、単なる大規模流通業でしかない。
何故、小さな農業が顔の見えない商売をするのか。
何故、農作物を現金に替えることばかり考えるのか。
何故、補助金が出ないと嘆くのか。
何故、大切な農産物を、卸し、仲卸、小売と、転々とさせるのか。
顔の見えない生産者の食材でも構わないとか、安定供給だけを頼りにしたいとかなら、それは大規模農家に任せておけばいい。
そこで国の補助金を使って、安定供給できるなら、それはそれでいいじゃないか。
小農は、農作物をお金に替えるという感覚から、
大切な人の身体に替えるという思考をするべきだ。
愛する人、信頼する人、顔の見える人たちに供給すればいい。
卸、仲卸、小売をすっ飛ばし、直接手渡し出来れば、暮らしていけないということはない。
それが本来の小農であり、自作農なのである。
人は、いずれ死ぬ。
今の暮らしだけに目を向けていていいのだろうか。
僕は今こそ、立ち上がるべき時だと思う。
農作物と国とを切り離してしまえ。
どのくらいの時間が残されているのかは分からないが、自分のために農業をすればいい。
愛する人のために農作物を作ればいい。
信頼する人、心を許す人、応援してくれる人のために、田畑に向かえばいい。
今こそ、誰もが国に頼らない、小さな農を始める時である。
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表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓
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告知です。
オーガニック広場ひふみさんの創業祭に出店します。
日土水農園で作った野菜入りおでんと角打ち。
もしかして、間に合えば、日土水むら日本酒プロジェクトで作った純米酒を提供します。
個人でもちょっと出店します。
近く!方も他県の方も遊びにきて下さいねー