もうすぐあの時期
— 自分の頭で考える人2.0 (@Awakend_Citizen) 2023年8月6日
日航機撃墜事件か
日航機墜落事故か
どちらが「事実」なのかは個々が調べて判断すればいい話
しかし「撃墜」を講演会で主張した元日本航空勤務の佐宗邦皇氏がその日に倒れ、翌日に急死したのは紛れもない事実 pic.twitter.com/Jf22tbuXhu
墜落事件の生存者の落合さんの証言では墜落直後はかなりの人が生きていたと証言してるが、生存者は乗客524人中たった4人。
— くぁwせdrftgyふじこlp (@koza90_145) 2023年8月6日
「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。」https://t.co/93AraLkjLX
— emi (@emichibidango3) 2023年8月6日
日航機墜落事故のデータの開示を求めた裁判で、日本航空と遺族が損害賠償請求について和解していることを挙げ、「情報提供義務があったとしてもすでに消滅した」として、東京地裁は遺族の請求を棄却。つまり、遺族に支払われた損害賠償金の中に「口止め料」が含まれている事になってしまった。 pic.twitter.com/we5zZld5ST
— あいひん (@BABYLONBU5TER) 2023年8月12日
最終話日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故真相。もうこの事故を知らない世代も多くなりました。この事故が起こったのは、1985年8月12日のことだからです。しかし、この航空事故は、日本の航空史上前代未聞の大事故です。そして、この事故には、… pic.twitter.com/hk8cJyYdHX
— 赤髪 (@akagamisp) 2023年7月12日
【今日の名言】川上 慶子(日航機墜落事故の生存者、当時12歳)
あのね、北海道の帰りに、千歳から東京まで飛行機で行ってね。東京から大阪まで飛行機で、大阪にいるおばちゃんのとこに回って寄るっていって、それで乗ったの。
突然、トイレの辺りから、ビリッと音がして、その後、パーンという音と一緒に、天井が吹っ飛んだ。斜め後ろに1メートル四方の穴が開き、白いものが、そこから前に出て来た。口の中が痛くなったけど、しばらくしたら、痺れもなくなった。
その後、後ろの穴から、プロペラみたいのが、ゆっくり回っているのが見えた。そして、酸素マスクが落ちてきたので、それを付けた。
お父さんが「慶子、頭を下げろ」と叫んで、私と妹の咲子、それにお母さんの三人を、両手で抱きかかえて、守ってくれた。そして、急降下していきました。
落ちるとき、「お父さん、苦しい」と言うと、お父さんは「ナイフを使って、ベルトを切れ」と言った。
気がつくと、真っ暗で油臭いにおいがした。子供の泣き声などがザワザワ聞こえていた。手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブラ動かせた。自分の体中を触ってみても、みんな付いており、「生きている」と思った。
みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返事した。母は答えなかった。
父に「手や足を動かしてみ」と言われて、足をバタバタさせると、靴が脱げそうになり、左手を左足の方に伸ばした。足首がぬるぬるしていて血だなと思った。父は、私の右脇から下半身に載っていた。
手足は動いても、体は動かない。「助けて」と、父に言うと、「お父ちゃんも挟まれて身動きができない」「助けてやりたいけど、どうしようもないわなぁ」と言われた。
父が動くと、おなかが死ぬほど苦しかった。「お父ちゃん、お父ちゃん、苦しい、苦しい。すごく痛い」と言っているうち、父はそのまま動かなくなった。
咲子に聞くと「お母ちゃんは冷たい。死んでるわ。お父ちゃんも死んでいる。」と答えた。左手を伸ばして触ってみるとやはり冷たかった。
その後、咲子と二人でしゃべった。咲子は「苦しい、苦しい」と言った。「足で踏んでみたら楽になるかもしらんから、やってみ」と言うと、妹の足の音がした。妹はそれでも「苦しい、苦しい。みんな助けに来てくれるのかなあ」と言うので「大丈夫、大丈夫。お父ちゃんもお母ちゃんも死んでしまったみたいだけど、島根に帰ったら、おばあちゃんとお兄ちゃんと四人で頑張って暮らそう」と答えた。
突然、咲子がゲボゲボと吐くような声を出し、喋らなくなった。一人になってしまったと思い、その後、朝まで意識が消えたり戻ったりした。
暗闇の中、ヘリコプターの音が聞こえてきて、目が覚めた。赤い灯りも見えて、真上まで来て止まって、「あぁ、これで助かるわ」と、みんなで言ってたら、ヘリは引き返した。
これで、場所が判ったから、またみんなで、たくさん来てくれると話したけど、それっきり来んようになった。そのうち、みんな話さなくなった。
その後、ヘリコプターのパタパタという音で目が覚めた。目の前を覆う部品の間から、二本の木が見え、太陽の光が差し込んできた。生きているんやな、と思った。何とか外に出て見つけてもらおうと思い、努力した。
人の気配がして、「生きている人は、手や足を動かして」という声がした。足をバタバタさせると、人が近寄って来た。ぼさぼさの頭、ショートパンツで、勘違いされたらしく、「男の子だ!」と言われた。
※1985年8月12日、日航機123便が群馬県の山中ヘ墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡、生存者は川上慶子さんを含め4人でした。墜落原因や自衛隊による捜索の遅れなどについて、今なお数々の疑問が提起されています。