強くて怖い日本人に戻りたい | キセキを紡ぐ Rut of hope

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毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

旦那の実家を3時半頃出て、晩飯の買い物をして帰宅した。
弟ふたり暮しなので、手料理を作ってやれよ、との旦那のアドバイスがあったから。

実家に何があるのか分からないので、適当に目についた食材を買った。
弟④がベジタリアンで弟②がグルメ。
何を作るか迷うよねー

お義姉さんが作った煮魚を頂いていたので、それで一品。
エノキとアスパラの肉巻きで一品。
肉巻きは旦那が出汁醤油を絡めてしまった。
塩コショウで焼くつもりだったんだけど。
豆腐とエノキの味噌汁を作って、牛蒡と出汁を取った昆布のきんぴらで一品。
オカズが全部しょう油味になってしまったので、旦那実家から頂いたキムチも出した。
ちょっとだけオカズが残ったので、明日食べてもらおう。

お義姉さんの煮魚は甘かった(;´∀`)

ちょっと膝が回復している氣がするので、お盆開けからランニング再開出きるかな。
トレーニング中に足の生爪何回も剥がして、なんだか爪が浮きやすくなってしまってる。
何事もやりすぎると弊害があるんだな。

膝の違和感が、、とシャチョーに言ったら、やりすぎるから言わんこっちゃないと言われてしまった。
(;´∀`)

今日聞いたけど、旦那の遠い親戚の方が、70代のフルマラソンの記録保持者らしい。
3時間半で走るんだと。
毎日10キロ以上走るんだと。
ランニングを始めたのは定年後と言っていたような。

私はそんなとこ、目指してないけど。
😁😁😁


ちゅーことで、
トモノアキラさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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「生きてる」って思えた瞬間は、ふたつ。灼熱のフロリダで、世界一過酷な米軍のキャンプを超えると言われていた、特別なトレーニングをこなしていたとき。もうひとつは、GT-Rで240キロオーバーの世界を感じていたとき。

フロリダのときは、赤茶色の小便が出ていた。「おー、これが血のションベンか」と思ってちょっぴり嬉しかった。あとで話のネタになるからだ。足の爪は2本剥がれた。もちろん、その程度ではトレーニングは休まない。両足の親指をテーピングでぐるぐる巻きにした。ソックスは真っ赤な血で滲んでいた。ハードコートでストップ&ゴーを繰り返すため、2週間でシューズの底の親指の付け根あたりに穴が空いた。毎月のようにシューズを買い足す必要があった。

アメリカ人と共に、訓練をこなしていると、自分を含めた日本人の根性に感心してしまう。白人は泣き言を言うが、我々はどんなにキツかろうが、ただ黙々とこなす。

話は逸れるが、日本人はケンカが強い。白人とは性根が違うからだ。彼らは日本人を恐れた。

世界がどれだけ日本人の力を恐れたか。わかりやすいのは、第二次世界大戦終了後だ。
2度と逆らえないようにと、徹底的に骨抜きにされた。
国中に繁っていた麻は燃やしつくされ、生命のもととなる塩は、専売になり、精製塩しか作れないようになった。
彼らは日本人のことを心底恐れていたのだろう。
世界で戦うと、そういうこともよく理解できる。

話を戻そう。「生きてる」と思えるときは、どんなことが起きているか。頭の中が、ジンジンする。走っているとき、我慢できないほどの膝の痛みが、突然消えたりする。試合中、コートで打ち合っていると、相手と自分だけがこの世界に存在するような、不思議な感覚になることもあった。

人間には限界が無いことを、ぼくは、あのキャンプで知った。普通には出来ない体験だった。ふう、今日も暑いね。

2019.8.11