テレパシーとは嘘をつかないこと | キセキを紡ぐ Rut of hope

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と思う反面、聞くのが怖いなーと思う。

サトラレってマンガがあって、サトリの反対に考えるていることが周りにだだ漏れしてしまうって病。


本人だけ気付いてない(委員会が環境を整える設定)のだけど、それはそれは大変な生き方だと、マンガを読んで考えた。
全員がサトリでサトラレならば問題無いんだろうけど。
説明下手なんでググって見て下さいね。
無料マンガありますたぶん。 

ちゅーことで
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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【テレパシーとは嘘をつかないこと】

テレパシーを使うには、嘘をつかないことだ、とアボリジニが言っていたという話が、「ミュータント・メッセージ」という本に書いてある。この本は、アボリジニとともに生活した経験を持つアメリカ女性がその体験を書いた本で、著者はアボリジニたちとともに生活するうちに、テレパシーが使えるようになっていたのだそうだ。

アボリジニたちは、声は歌うためにあるので、話すためではないと言い、仲間うちの会話はほとんどテレパシーでやっているのだそうだ。アボリジニたちは、それを「頭で話す」と言っていて、それは言語を使った会話ではなく、意識を直接交流させるような会話だ。概念とか感情とかそういうものでやりとりするコンタクトなので、言語を超えている。「ミュータント・メッセージ」の著者は、英語ができるアボリジニ男性に通訳してもらっていたのだけれど、テレパシー会話ができるようになったとき、通訳なしでアボリジニの酋長と会話をしていた。テレパシーでは、アボリジニの言語も英語も必要がないのだ。

ところで、テレパシーができるようになるには、嘘をつかなければいいだけなのだと、アボリジニは言うのだ。心に隠すものが何もなく、開いているということが必要なだけなのだと。そうした心の状態であれば、誰でも自然にテレパシーが使えるのだと。

これは、チャネリングやリーディングでも同じことが言える。チャネリングもリーディングも、テレパシーと同様に言語を超えたコンタクトで、感情とか概念とかをダイレクトに受け取って読み取っている。だから、どういう言語を話す人であっても、日本人なら日本語でやりとりしている。それは、意識で受け取って、その内容を脳が言語化しているからなのだ。だから、人によってイメージで受け取ることもあれば、声で受け取ることもある。音楽が得意な人は、音楽で受け取ったりもする。それは、受け取る人の脳が、一番意識化しやすい形に転換しているからだ。

こうしたコンタクトが可能なのは、意識というものが、頭の中に閉じ込められているわけではなくて、実はインターネットみたいに絶えず外に向かって発信されているからだ。口では嘘を言っていても、本心の方が意識のネットワークに発信されてしまっている。だから、チャネリングやリーディングでは、その人の本心の意識を読み取ることになる。意識の領域とは、まったく嘘がつけない世界なのだ。自分を裸にする覚悟がなければ、入っていくことができない。だから、「テレパシーとは、嘘をつかないことだ」ということになるわけだ。

縄文人もケルト人も、当たり前にテレパシーが使えたらしい。縄文人もケルト人も、非常に広い範囲での交易をしていたことが知られているけれど、言語で交流していたのだったら、これは不可能だと思う。テレパシー的に会話し合っていたから、それほど広い範囲で交易し、友好を結ぶことが可能だったのだ。ケルト人は、ヨーロッパ全体で交易し合っていたし、縄文人は環太平洋全域に及ぶとも言われている。近代になって共通語ができる前は、地方ごとに別な言葉を話していたのだから、言語を超えたコミュニケーション手段を使っていなかったら、こんなことはとてもできないというのが、わかると思う。

現代の私たちがテレパシーを使うことができないのは、絶えず本心を隠すように育てられてきているからなのだと思う。泣きたいときに泣いてはいけないと言われ、恐いときに恐がってはいけないと言われて、私たちは育っていく。その結果、私たちは自分が本当には何を感じているのかさえも、わからなくなってしまっている。だから、意識のコンタクトに入っていこうと思ったら、そうした感情の抑圧を一つ一つ外していくプロセスが必要になる。

瞑想のときに、まず呼吸法で身体の力を抜いていくのは、それによって感情の抑圧を一時的に外すことができるからだ。私たちは、ある感情にとらわれているとき、その感情を抑圧しようとして格闘している。そういうときには、必ず身体のどこかに力が入っている。それは、何かから身を守ろうとするときに、自然に身体に力が入って、筋肉が収縮するのと同じだ。何か危険があると感じているときには、筋肉を緩めるのは恐ろしい。しかし、力を完全に抜いてしまうと、身を開け渡したような状態になる。この身を開け渡したような意識の状態が必要なのだ。そうなったとき、ある感情にとらわれることなく、意識を外に開くことができる。

神さまや天使、精霊、あるいは宇宙人とコンタクトするときも、やはり私たちはテレパシー的な意識のコンタクトを使っている。絶望的な状況に陥っている人たちが、よくこうした存在とコンタクトしているのは、こういうとき私たちは、もう何も守るものがないという心境になっているからなのだと思う。もう気取っている場合でもなく、隠すものなど何もないというような意識の状態になっている。私たちは、世間でうまくやっていこうとするとき、嘘でかためたような意識の状態に一番なりやすいわけだけれど、絶望的な状況になっている人は、もうそんなものは捨ててしまう用意ができている。だから、そういうときに、人は意識の世界に開かれて、神さまの声を聞いたり、宇宙人とコンタクトしたりできる意識の状態になるのだと思う。

だから、危機のときには、目覚める人が増えるのだ。日本では311のあと、意識の世界に目覚める人が増え、宇宙人コンタクトする人が増えた。3年前に奇妙なパンデミックが始まってからも、世間的な価値観から離れていく人が増え、意識の領域に関心を持つ人が増えた。それは、これまでの世間常識に従っている場合ではなくなり、社会的ステータスなど捨ててしまってもいいような心境になるからなのだと思う。

言語によるコミュニケーションでもそうだけれど、受け取る人が何をどう解釈するかは、その人の意識によって大きく左右される。テレパシックな意識のコンタクトだと、これがさらに強くなる。私たちは人それぞれ、世界とはこのようなものだというような概念を持っているけれど、意識のコンタクトをするとき、私たちは無意識にその世界観に沿った解釈をするのだ。だから、世界には悪い存在がいて、そうしたものから身を守らなければならないという世界観で生きている人は、何かしら怨念がついているとか、悪い霊がついているとかいうメッセージを受け取る。世界には悪いものなどはなく、すべてには意味があるという世界観で生きている人は、同じことでも、何かの変化のプロセスが差し出されているというメッセージとして受け取る。

宇宙人コンタクトになると、伝えてくる概念が高次の意識のものであったりするので、受け取る人がどの次元で受け取るかで、実にさまざまな解釈が出てくる。現在、地球の世界では、金銭による経済が普通だけれど、宇宙人コンタクトだと、そういう経済の概念ではとらえられない内容が出てきたりする。たとえば、愛によって豊かさが循環する、という概念を伝えてきているとき、私たち地球人はそれを地球の三次元的な概念で解釈して、「大金が配られる」というメッセージとして受け取ってしまったりする。これは、文化ギャップを理解していないと、とんでもない誤訳が生まれる、というのとも似ている。宇宙人コンタクトでは、次元ギャップを理解していないと、とんでもないチャネリングメッセージが出てきてしまうのだ。銀河連盟が宇宙船で地球に降りてきて、世界政府ができるというようなメッセージが、一時期まことしやかに伝えられていたこともあったけれど、あれもその類の誤解釈だったと思う。高次元の概念を、地球の三次元的な概念で解釈したために、世界政府だとか宇宙船が降りてくるとかいうような、何だか奇妙な話になってしまったのだと思う。

宇宙人コンタクトの話を書くと、悪い宇宙人はいるのかいないのかということがよく話題になるのだけれど、これは、「悪い」ということをどの次元でとらえるかによるのだと思う。悪い人というのは、つまり自分に危害を加える存在なわけだ。だから、その人を懲らしめるなり牢屋に入れるなり、追放するなりすれば、それで自分は楽になる、と思うような存在を、私たちは「悪い人」と言っている。

しかしこれは、自分の利益や自分の望みを軸にして考えたときにだけ出てくる概念なのだ。自分が進もうとしている方向をふさいで邪魔をしている人物を、私たちは「悪い存在」と解釈する。しかし、もっと視野を広げていくと、単に「悪い人」というのではない、別なものが見えてくる。悪い人と見えていたその人は、自分が進もうとしている方向に危険が隠れていることを知らせようとして、邪魔をしていた人なのかもしれない。あるいは、その人は自分が知らない可能性を見せようとしていたのだけれど、それが世間的に「悪い」と言われていることだったのかもしれない。あるいはその人は、攻撃されていると思い込んで、攻撃し返していたのかもしれない。そうした場合、私たちは何かしらその人から学ぶこともできるわけだ。つまり、「悪い」のではなく、学ぶ機会だという風に解釈することができる。

あるいは、その人は本当に悪い人、つまり意図的に人を傷つけようとする人なのかもしれない。その場合、その人は私たちを次のステージへ導くために、そうした役を演じさせられていることがある。現実は私たちの意識が作っていると言うけれど、私たちは、次のステージに行くときが来ているとき、何かしら背中を押してくれるようなできごとを引き寄せていることがある。こうしたことは、波乱な人生を歩んできた人なら、よく経験していることだと思う。悪意とも言えるような邪魔が入って、どうしても思ったようにならないときには、思ってもみなかったようなところへ導かれていくことがある。こうしたことは、あとになったら、あのときああなってよかったと心から思えるようなことだったりする。

世界を三次元的にではなく、多次元的に見た場合、「すべてには意味がある」と言われることが、まったく現実的にそのとおりなのだということがわかる。いいか悪いかは、何を目的にして進んでいるかによって違うわけだし、だから自分の目的だけではなく、もっと大きな世界が見えてきたときには、悪いと思えるものも、全体の循環の中で必要なものだということがわかったりする。

だから、いいか悪いかという判断は、三次元的な意識で現実を見たときだけに出てくることなのだ。そういう意識で見るからこそ、私たちはいつも戦ったり争ったりすることになる。そして、自分の目的のために戦ったり争ったりしているとき、私たちは身体に力が入っていて、心に隠すものがある状態になっている。その状態だと、テレパシー的な意識のコンタクトには入れない。だから、テレパシー的なコンタクトが機能するためには、「すべてには意味がある」という世界観を受け入れていることが条件になる。そうでない状態で意識のコンタクトを行うと、受け取った概念を誤訳することになり、奇妙なチャネリングメッセージになってしまうわけだ。

テレパシー的なコミュニケーションをしている宇宙人たちは、太陽系の外に向かって発信しているわけだから、銀河意識に開かれている人たちだということになる。自分の利益のために戦っている人たちは、自分の惑星での利害に夢中になっているから、そこまでとても意識が向かっていないはずだ。NASAがフェイク映像ばかり作っていて、どうやら地球軌道にさえろくに行けていないようなのは、まさにそのためなのだろう。アメリカ政府は地球での軍事的優位だとかお金の経済だとかの方が重要なので、地球全体のことにも意識が開かれていないのだ。それで、宇宙ロケットを打ち上げているふりをして、集めた税金を腐敗に使っていたりするのかもしれない。

その一方で、地球全体や銀河全体に意識が開かれている人たちは、たがいにテレパシー的な意識のコンタクトをしているわけだけれど、そこでは三次元を超えた意識のやりとりがある。だから、宇宙人コンタクトは無条件の愛の体験そのものなのだと思う。宇宙には愛しかないと思えるのは、おそらくはそのためだ。それは、善悪とか利害とか戦いとか支配とかの次元を超えた人たちの、銀河レベルのネットワークなのだ。

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アボリジニの絵 dreamtime sisters ドリームタイムの姉妹