【多極化と文化ギャップ】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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【多極化と文化ギャップ】

 

チベットのことが話題になると、中国が弾圧したという話が必ず出てきて、そこで中国に対するさまざまな思いが湧き上がってくることになる。だいたい隣の国というのは、どこでも昔から戦争したりした歴史があるので、根強い敵対意識や競争意識があるのがつねだ。同じような民族であるほど、ちょっとした違いが気に障って、敵対していたりする。だから、オーストリア人はドイツ人が嫌いだし、フランス人はイギリス人が嫌いだ。だけど、嫌いだと言いながら、何かしら羨望もあったりして、コンプレックスを抱えていたりもする。

 

ところで、ロシア人というのは不思議な人たちで、何人だからといって好きとか嫌いとか考えない人たちらしいのだ。ドイツは第二次世界大戦のときにロシアに攻めていって、さんざんなことをしてきたのだから、ロシアではドイツ人は嫌われてもよさそうなのに、誰もドイツ人だからといって、差別しはしないのだと、ロシア在住のドイツ人ジャーナリストのトーマス・レーパーは言っていた。どうしてなのかと尋ねると、「国がしたことは人とは関係ないでしょ? あなたに責任があったわけじゃないでしょ?」と言うのだそうだ。これは、アメリカ人に対してもそうらしく、今などロシアはアメリカ政府に経済制裁かけまくられて、さんざんな目に遭わされているのに、誰もアメリカ人が嫌いだとは言わない。ジャーナリストがいろいろな人に「アメリカ人は嫌いですか?」と聞いて回る動画があったのだけれど、皆、即座に「嫌いじゃないよ」と答えていた。いったい何でそんな質問をするのかわからない、といった風だった。そもそも何人だから好きとか嫌いとか考えるのがナンセンスだと思っているようだ。

 

人は誰でも、自分が生まれ育った文化の価値基準でものを考えるので、他の文化に行くと、その価値基準と合わない状況に出くわすことになる。それで、どこの国の人間は態度がでかいとか、生意気だとか、あるいは恐いとか気色悪いとかいう感覚を持つ。それで、日本人だからバカにされているのかもしれないとか、足元を見ているのかとか思ったりする。もちろん、そういうこともあるけれど、多くの場合、それよりも単に文化ギャップのことが多い。これは、親密な関係になればなるほど、微妙な違いが大問題に発展したりする。国際結婚している人たちの夫婦げんかは、ほとんどがその類だと言っていい。だいたいがごく些細なことから始まって、大喧嘩に発展するのだけれど、二人ともどうしてこんな小さなことで、どうしてこんな喧嘩になっているんだかわからない、ということが多い。こういうのは、だいたい微妙な感情表現の文化的な違いから来ているのにすぎない。

 

どこまでが許容の範囲で、どこからが失礼に当たる、というのが、それぞれの文化で微妙に違うのだ。だから、親密な関係になったときに、「ここまではいい」というギリギリのところに入ってくると、それが相手の文化では「これはもうダメ」というものだったりする。それで、何でこんなことを言うのか、私のことが嫌いなのか、バカにしているのか、と思って、腹を立てる。そうすると向こうは、何でこんなことでそんなに怒るのか、どうしてこんなことでいちいち文句言われなきゃならないのか、と恐くなり、必死で言い返すことになる。国際結婚の夫婦げんかは、ほとんどがそういうのだ。

 

しかしそれも、私たちが自分の文化の価値基準で世界を見ているということに気がついていないから起こるわけなので、それぞれ違う文化の違うやり方があるのだとわかっていると、いちいちカッカしなくても、ニュートラルに見られるようになる。縄文民族やケルト民族が、広大な範囲で交流していたのは、おそらくテレパシックなコミュニケーションを使っていたからなのだと思う。テレパシーまで行かなくても、意識エネルギーにアクセスして、リーディングしたりチャネリングしたりをした人ならわかると思うけれど、意識エネルギーのコンタクトでは、言語や文化の違いを超えて、人間と人間としてコミュニケーションすることができる。縄文の時代、共通語なんていうものだってないのに、太平洋全域まで交易し合っていたのだから、何かしらテレパシックなやり方で、魂と魂が出会うように交流していたのだと思う。

 

中国とは、日本人にとって近くて遠い国なのかもしれない。多くの文化を共有している一方で、反目もまた大きい。そしてまた、その距離につけ込んで、たがいに戦争させそうとしているアメリカの組織があったりもする。だから、表面的にどう見えるのかを越えて、テレパシックに見通す力が、また必要になってくるのかもしれない。表面的な感情のレベルで反応するのではなくて、少し深い領域、次元の一段高いところから、状況を見抜くということが、必要なのかもしれない。

 

中国が少数民族を弾圧しているのかどうかというのは、なかなか微妙なものがある。言われていることには、作られた情報もあれば、誇張しているものもある。それに、情報は正しくても、何をどう解釈するかで、まったく違った絵が見えてくる。証言している人たちも、どれが本当のことを言っていて、どれが演技なのか、どれが信じ込まされているのか、それをどう見分けるかで、まったく違う話になる。そういうときに、潜在的に持っている恐怖感とか、競争意識とか、民族のプライドみたいなものとか、さまざまな心理が作用して、バイアスをかけていく。そして、まさにそうした心理につけ込んで、大衆を操作しようとしている組織があるというのも事実なのだ。実際、この100年くらいの間に起こった戦争のほとんどは、そうした心理操作で起こされていたことが、この頃では表に出てきている。

 

地球の頭頂チャクラであるというチベットのカイラス山のエネルギーを解放するセッションをやってから、頭頂でも松果体でもなく、ハートが開いた感覚があることに、驚いている。頭頂チャクラの力とは、実はこの無限の愛の力だったのだ。ナザレのイエスは、天の父が無条件に無限の愛を与えているのだということを言っていたけれど、まさにそうした無限の愛が与えられているという感覚があり、それと同時に、ハートから無限の愛が湧いてくる感覚がある。受け取ることは、与えることと同時に起こるのだ。これは、意識エネルギーの領域では、即座にわかる。受け取ると同時に与えている。ブロックが外れて流れができるとき、入ってくるものがあると同時に、外に流れていくものもあるのと同じことなのだ。ただ、循環が起きるのだ。

 

この無条件の無限の愛とは、何かを悪者にすることとは、ちょうど反対のことだ。何かを悪者にするのは、ハートが閉じる方向にある。しかし、無条件の無限の愛とは、相手が悪いとか正しいとかいうことで区別をしないのだ。だから、無条件の無限の愛を受け取るとき、すべての罪を赦されることとすべての罪のを赦すこととを、自分に許すことになる。

 

つまるところ、重要なのは、誰が悪いのかを決めることではなくて、いかにして調和を作るかだ。事実をあいまいにするのではなく、一段上の次元から見て、どう調和を作るのかを考えること。その視点こそは、今求められているものなんじゃないかと思う。

 

3月24日、コソボ紛争のNATO介入の24周年に、ベルグラードのアメリカ大使が、「あのときの恨みをセルビアが忘れられるようにと思います」と言ったのに対して、セルビアのヴチッチ大統領は、「セルビアが存在するかぎり、決して忘れません」と言ったのだそうだ。ユーゴスラビアが分裂して崩壊することになった始まりが、コソボ紛争へのNATOによる不法な介入だった。NATOがセルビアを空爆し、その際に15トンもの劣化ウラン弾を使ったということだった。そのため、セルビアは原爆投下直後の広島長崎よりもひどい状態になっていたそうだ。今イギリスがウクライナに送ろうとしている劣化ウラン弾をだ。

 

セルビアがコソボを弾圧しているというのが、NATOの軍事介入の表向きの理由だったのだけれど、実のところは、ユーゴスラビアがアメリカ政府が望むように反ロシアのスタンスを取らなかったのが、本当の理由なのだ。それでアメリカ政府は、ユーゴスラビアを切り崩して、NATO側につけようとした。その作戦は見事に成功した。そしてそのために、セルビアに15トンもの核兵器が使われることになったのだ。

 

このことをアメリカ政府は謝罪してもいなければ、賠償もしていない。本来ならば、戦争犯罪として責任者が裁かれるべきところだけれど、それもなされていない。その状態で、恨みを忘れろなど、あり得ない。忘れるのは、同じことが繰り返されないような状態になったときのことだ。それまでは、しっかり覚えておく必要がある。そしてアメリカ政府は、今のウクライナへの対応を見ても、まったく同じことを繰り返していることがはっきりしている。

 

一方、2月の国連安全保障理事会で、元CIAのレイモンド・マクガヴァンが、ウクライナへのロシアの軍事介入やノルド・ストリーム爆破のこと、イラク戦争やセルビアの空爆のことまで、デクラスそのものの発言をしている動画が、英語とドイツ語で拡散されていた。彼は、子供たちを犠牲にするようなことを繰り返してはいけないと言い、「敵を愛することを決してやめてはいけない」というアメリカの古い歌を歌って、攻撃ではなく、たがいに手を伸ばすべきなのです、と言っていた。

 

結局のところ、たがいに理解し合う姿勢がなければ、どちらが悪いのかの議論が延々と続くだけのことだ。どうしたら犠牲を繰り返さないようにできるのか、その地点に立ったとき、相手の立場を理解することも可能になる。これが、テーゼとアンチテーゼの争い終わらせるジンテーゼへの移行ということなので、つまり次元シフトとも言える。

 

これまで2000年の魚座の時代から水瓶座の時代に入ったということなのだけれど、魚座の時代は、この愛憎絡み合う闘争の経験を私たち人類はあえてやっていたのかもしれない。それが水瓶座の時代になって、たがいに理解し合い、調和を作っていく方向に変わってきているのかもしれない。誰が悪いのかとか、どういう罰にふさわしいのかとかいうことではなく、どうしたら調和するのか、という視点にシフトしていくこと。あるいはこれが集合意識的に起こってくれば、世界は速やかに変わっていくのかもしれないと思っている。

 

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元CIAのレイモンド・マクガヴァンの国連安全保障理事会での発言(英語)

 

 

 

画像は、レイモンド・マクガヴァンが国連安全保障理事会での発言中、

「CIAに入るとき、憲法を守り、国民を敵から守るという宣誓をしました。この宣誓を守っている人は残念ながら多くはありません」と言っているところ。

 

1人、、「RAYMOND RAMGER McGOVERN OVERN」というテキストの画像のようです

 

 
 
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