先日行った母校の懇親会での話を思い出した。
芸術美術は特になんだけど、人と違うことが良いのにみんなと同じにされてしまう。
小学校の図画工作とかは特に美術系の勉強をしてない方が指導していたりするので、
人と違うその方には分からない表現方法とか個性は、潰されてしまうことが多い。
保育所時代に落書していた子どもの絵を見て「○○ちゃん、太陽は黄色じゃないやろ?赤で塗らんと」と言ってるお母さんもいたな。
太陽は赤くないんだけどな。
青で塗っても問題ないし。
美術系に進む子たちの8割くらいはイジメにあっていたと言われてた。
人と違うことで排除されてしまうんだろうな。
義務教育時代はいろいろあったなぁと思い出してしまった。
みんな違ってみんないい。
これからはそんな時代になるんだろうな。
うちの娘たちはまともに義務教育を受けてないけど、
全く影響なく楽しく好きなことをやって生きてる。
ちゅーことで、
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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【頭と心の繋がりと富士山】
富士山のエネルギーを解放するセッションをやってから、ハートから頭までジンジンするような感覚がずっと続いている。それはまるで、ハートと頭がようやく一つになって、喜びのあまり泣いたり笑ったりしているようで、それが一体何を意味しているのか、まだ言葉にならないというような感覚だ。
昨日の富士山の解放ワークでは、とつぜんスコールがあったり雪が降ったりということがあったのだけれど、その後、こちらでは強風が吹き荒れて、今日はすっきりと晴れ、まるで春の日差しだった。まるで、大浄化が終わって、世界がすっかり新しくなったというかのようだ。
他のところでも、雪が降ったり、晴れて暖かくなったり、いろいろあったらしい。そして、富士山がまたきれいになっていると写真を送ってきてくれる人もいたけれど、本当にさらにすっきりと澄んだ感じになっていて、まるで新しく生まれ変わったようだった。富士山だけではなく、その土地にある富士山みたいな山が、やっぱり同じように変わっていると言っていた人もいた。
レイラインのようなもので繋がっているところは、一つが開くと連鎖的に開いてくることがある。レイラインとは、アンテナの繋がりのようなものなので、一つが閉じると他のところも閉じてしまう。だから、要になっているところが開くと、まるで電線が繋がったように、他のところも連鎖的に開いてきたりする。富士山は間違いなく世界的にも大きな意味を持った山のはずなので、こういう連鎖反応が起こるのも不思議はなかったのかもしれない。
富士山が開いてから、ハートから頭までがとつぜん繋がってジンジンするような感覚がしているのだけれど、それならば今まで私たちは、まるでハートと頭が切り離されたような状態で生きてきたのだろう。これまではそれがあまりにも当たり前になっていて、おかしなことだとも思っていなかった。だけど今、ハートと頭がようやく一つになれて、抱き合ってオイオイ泣いているみたいに喜んでいるのがわかる。
実際、支配というものは、人々の頭と心とをいかに切り離すかにかかっているのだと思う。頭と心がしっかり繋がっている人間を、ペテンにかけて騙すことはできない。自分や家族を犠牲にするようなことをさせることもできない。だから支配者は、何とかして人々の頭と心を切り離して、たがいに争わせたり、戦争させたりするのだ。
ローマ帝国は、帝国主義支配というものを始めた国だけれど、ローマの政治支配に重要なのは、詭弁術で大衆を操作することだった。感情に訴えかけて、思考停止状態にさせ、扇動されるままに動いてしまう大衆を作り上げる術は、ローマ帝国の時にすでに使われていたのだ。それは、感情を操作して、心と頭を切り離してしまい、頭を乗っ取ってしまうやり方だとも言える。実際、感情で操作された人間は、もう何を言っても通じない状態になって、筋も通っていないことに駆り立てられていってしまう。
私たちは、子供の頃からずっと、自分の感覚、自分の思考を信じないようにさせられてきたのだ。親とか学校の先生とか、教科書とかテレビとか、そういうものが正しいのであって、自分で考えたようなことは正しくないのだと思い込むように条件づけられている。学校や宗教団体ばかりではなく、学術の世界でも、アートの世界でも、スピリチュアルの世界でも、それは例外ではない。
ちょうど昨日のセッションのあとで、私に個人メッセージを送ってきた人がいて、スピの世界でよく言われているようなことを、私にするようにとしつこく言ってきた。何でそんなことを言ってくるのかよくわからなかったのだけれど、私がそれについてどう考えているのかということを説明しているのに、スピの権威の誰それがこう言っているとか、そんな話ばかりを書いてくる。自分の考えとか感覚から来ている言葉が一つもなくて、誰が何を言っているということしか言ってこない。そしてしまいには、あなたは心が閉じているとか、あなたの心の問題だとか、典型的なスピ系のマウンティングをかけてきたので、そういう敬意のない言い方は不快だと言って、メッセージを削除してしまった。
スピ系の世界では、そうやって人に自分の感覚、自分の考えが信じられなくなるように、揺すぶりをかけてくる人がよくいる。自分が感じていることは間違っていて、どっかの権威が言っていることが正しいんじゃないかと思うように仕向けてくるのだ。そうやって自分を卑下し、劣等感を持つようにさせると、どうにでも操ることができるようになる。そうやって頭と心を切り離して、頭を乗っ取ってしまうのが、支配の古典的なやり方だ。
富士山のセッションのあとで、頭と心が繋がってジンジンしているような時だったので、また切り離されてたまるかとばかりに、速攻で削除してしまったのだけれど、前だったらそれほどはっきりした態度は示さなかったかもしれない。頭と心を切り離そうとする動きはあまりにも当たり前になっていて、即座に反撃したりはしないように、私たちは習慣づけられている。だけど、健全な頭と心を持っていたら、あるいは即座に切り返すのが健康な反応なのかもしれない。江戸の町人は、率直にポンポンものを言う気質があったけれど、それは富士山のエネルギーで、頭と心が健全な繋がりを持っていたからなのかもしれない。
江戸っ子気質の人というのは、自分でこうと思ったことを曲げないような鼻っ柱の強いところがあって、そういう人には、どんな権威を持ってきても通じない。頭と心を繋がっているからこそ、自分のことは自分で一番よくわかっている、という感覚をはっきりと持つことができる。そして実際、自分の感覚や自分の判断を信頼することができればできるほど、感覚は研ぎ澄まされて、精確になっていく。
これまでも、頭と心が繋がっている感覚はあったけれど、富士山のエネルギーを解放したら、実はまだまだ切り離されていたのだということがよくわかる。心と頭とは、これほどまでに一体でいられるものだったのだ。そして、頭と心が一体になっていると、すべてはとてもシンプルに思える。
この状態からすると、一体今まで、どれだけ私たちは迷わされてきたことかと思う。見かけだけの「高いもの」を追いかけさせられて、意味のない努力をしたり、競い合ったり、自己嫌悪に陥ったり、優越感を抱いたりしてきた。自分を失って、自分探しに出かけたりした。そのすべてのプロセスも、再び頭と心の健全な繋がりを取り戻して、もう切り離されないようにすることを学ぶためだったのだろうか? 戦いと支配の長い歴史も、もし人類が支配に対する免疫をつけるためのプロセスだったのならば、その免疫がようやくできつつあるということなのかもしれない。
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画像は、諏訪湖から見た富士山 撮影 しまづこうたろうさん