土地との繋がりの力 | キセキを紡ぐ Rut of hope

キセキを紡ぐ Rut of hope

毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

先日のお話会で、今住んでいる所は、凄いとこなんだと聞いた。
家具工房さんの上あたりに、凄い遺跡があるらしい。
そこは上を歩けば命が無いと言われているので、
地元の方は近付かないらしい。
土地を守るための伝説かな。

水は空海が絡んでで(聞いたけど詳しく覚えてない)
ラジウムを含んでいるらしい。
ルルドの泉的な水らしい、

え?


で、
我が家は井戸水なので、その水を飲んでいるらしい。

え?


そんでその当たりは空気が違うと言われたけれど、
近すぎて分からない私。
😸😸😸😸

土地を汚さないように、出来ることをコツコツやっていきまぁす。

ちゅーことで、
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
↓↓↓

【土地との繋がりの力】

宮島のエネルギーを解放したときに、人間は土地と繋がって生きるものなのだということを体感として感じた。土地というか地殻とだ。土が乗っている岩盤層の上に私たちは生きていて、岩盤層に支えられ、エネルギーをもらい、岩盤層を通じて他の土地の人々と繋がっているのだという不思議な連帯意識を感じたのだ。

それだからなのか、宮島を解放して以来、これまでは当たり前すぎて意識にも上らなかったことが、奇妙なことのように思えるようになってきた。

北海道の土地が外国資本に買い漁られているという話を聞いて、土地のエネルギーとアクセスしてみようと羊蹄山や大雪山の画像をあれこれと見ていたとき、土地と住んでいる人間との繋がりが切り離されているというのを痛いくらいに感じ始めた。北海道の土地は、もともとアイヌの人たちが土地と繋がって生きていた時期がわりと最近まであるので、土地と人間との繋がりの感覚がかなり強く残っている。それが切り離された歴史の記憶が、土地の中にまだ生々しく残っているような感覚がある。

ある土地を支配しようとするとき、支配者はまず土地と人との繋がりを断ち切ろうとする。土地としっかりと繋がって生きている人を支配することはできないからだ。その土地の人が大事にしている聖地を破壊したり、支配者の神々につけ替えてしまったりする。そうやって、その土地との深い共生関係の中で生きていた人々を、土地との繋がりから切り離してしまうのだ。

そうやって、北海道の土地は本州からやってきた日本人たちに占領されていった。そして、時代とともにその土地が、お金で取引されるようになったのだ。お金になるからという理由で土地が売り買いされ、農地になったりホテルが建ったりリゾート地ができたりした。それが今、経済的に強くなった外国資本に買い漁られているというのだ。

日本の資本家たちも、かつては外国の土地を買い占めて、リゾート地を作ったり、転売したりしていた。その土地の住人が土地とどういう繋がりで生きているのかなど、まるで考えてはいなかった。ただお金になるかどうかだけで、土地が買い占められ、造成され、開発されていった。お金を持っている方が支配するというのが、自由経済であり、民主主義だというわけなのだ。そして、その自由と民主主義にのっとって、お金で何でもやってきた。土地と人との神聖な繋がりはそうやって次々と破壊されていった。

それが今は、北海道の土地が外国資本に買いあさられているという。自分に許したことは、人にも許すことになる。よその土地をお金で支配してもよいのだと自分に許したならば、いずれ自分が同じことをされることになる。そのゲームを一度始めてしまったら、いずれ相手が同じことをするのは、止めることができない。

しかし、何よりもこの事態を招いているのは、人と土地との繋がりがどうしようもなく断ち切れてしまっているという事実なのだと思う。お金の価値だけが独り歩きして、環境を破壊するのを止められないようなことになっている今、外国資本を非難する前に、私たちは人と土地との繋がりをこそ取り戻すべきなんじゃないかと思う。

よく言われることだけれど、つまるところお金はいくらあっても食べることはできない。私たちはお金ではなく、土地に生かされているのだということを思い出すべきだ。
いわゆるブルジョワ革命以降の民主主義の時代は、この土地との繋がりを破壊してしまったというところがある。それ以前のいわゆる封建社会では、土地との繋がりはともかくも大事にされていて、環境が保たれるように管理されてきた。それは、領主が土地を所有していて、お金で売り買いされていなかったからだ。ともかくも領主はその土地の環境を守り、生産性を保っておく責任があった。ところが、封建社会から近代国家になってから、何でもお金で売り買いすることができるようになり、お金になりさえすれば、自然環境が破壊されるようなこともまかり通るようになってしまったのだ。

お金のゲームが終末的な破壊性を示している今、住んでいる土地に養い守られていることをこそ、私たちは思い出すべきなのだと思う。健康な土さえあれば、食べ物はいくらでも得ることができる。生活に必要なものは、何でも自然が与えてくれるのだ。そのことを思い出して、土地と繋がって生きることを思い出すべきだ。

土地と繋がって、自然とともに生きてきた人たちは、地面の下を水脈が通り、マグマがどこを通っていくのかを知っていた。そうやって土地が水や地熱で生き物を養ってくれるのを知っていた。北海道の山の画像などを見ていると、かつてそうした共生関係があったこと、そしてそれが失われていることが、痛いくらいに感じ取れる。山の神、水の神、火山の神とともに、その声を聞きながら、生きていた人々がいた歴史があった。今の私たちは、土地と切り離され、自然と切り離されてしまったために、自然の神々の声を聞くことも、話をすることも忘れてしまった。

私たちは、お金で生きるようになって多くのことが可能になり、自在になったと思っているけれど、土地との繋がりを失ったために、いったいどれだけの力を失ったかわからない。自然の神々と交流し、守られ養われて生きていた人たちは、お金ではけっして自由にできないような、多くの力を使うことができていた。

宮島のエネルギーを解放したことと関係があるのかないのか、土地との繋がりの力というものが、単に概念としてではなく、まったく現実的なリアルなものとして、感じられるようになったのだ。岩盤層の持つエネルギーや、水脈や火山のマグマの力、そしてそれが植生や生き物たちに作用している力をだ。これほどの大きな力を私たちがこれまで忘れていたことに、むしろ驚かされるような感覚がある。その力、土地と繋がったときに自在になるこのすべての力が、お金経済が崩壊しようとしている今こそ、私たちに差し出されているということなのかもしれない。

転載ここまで…


関係ないけど、
世界遺産のあのあたりで出てきた国宝レプリカ↓




ガラス工房さんが作った素材を彫りました。
これは私作。

国宝と一緒に宝物殿に展示されております。