クタクタの私と、【キノコ採りの楽しみ】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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友人が木耳を採っているのを見て、「いいなぁ、どこに木耳があるの?」と聞いたら、
けっこうあちこちで見かけるよと言っていた。
うーん
見たことないなぁ。
 
と思っていたら、旦那が道向かいの枯れ木に成っている木耳を見つけたのでした。
枯れ木だからなのかもう干した木耳みたいになっていたよ。
採らなかったけど、きっと今もあるんだろうな。
徒歩10歩のとこにあるなんてねー
灯台下暗しだ。
関係ないけど 灯台下暗しと大正デモクラシーって似てると思うのは私だけ?
 
先日ジジョと農園の収穫に行ったとき、
ツルムラサキがどえらい姿になっていたのでジジョが面白がって写真を撮ってた。
そんでTwitterにUPしたらしいんだけど、即ジジョの友人が「良いっ!」とコメントしてきたらしい。
個性的な絵を描く友人で、変わった花が好きらしい。
ジジョが「野菜だよ」と教えたら驚いていたらしい。
ツルムラサキ(の種の時期)の姿が気にいったので種を買って育てるつもりらしい。
((´∀`*))ヶラヶラ
 
しょくぶつもどうぶつも、人を癒してくれてエネルギーを分け与えてくれると思う。
 
今日は一日中仕事ラッシュで、あれこれ掛け持ちしながらクタクタになって、
4時半ごろ課長にかかってきた電話が、カラー原稿がドーノコーノとか言っていたので、
もしかして私も絡む案件?とか思いながらバタバタ5時半まで仕事して、やっと終わってPCチェックしたら案の定だ。
カラー原稿依頼が入っていたよ。
つっても昨年と同デザインの文字部分を少し変更だった(それはそれでメンドクサイ)
明日も朝からバタバタだなー、と思い今日のうちにやることにした。
6時ごろに課長がやってきて「原稿依頼のメール送ったけど・・・」と言ったので「もう(原稿作って)送りました」と言うと少しばかり驚いていたようないないような(どっち?)
 
で、
クタクタになって帰宅したら、旦那がトンカツ揚げてくれてた。
(昨日材料を買って頼んでた)
 
チビッケが甘えにやってきた。
うー
疲れが取れるー
 
久しぶりにチビッケとかくれんぼして遊んだら楽しかったよ(え?
 
 
 
どうぶつとかしょくぶつとか、自然に感謝だなー
ありがとー
 
 
ちゅーことで、
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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【キノコ採りの楽しみ】
 
秋になると、森にいろんなキノコが次々と生え始める。キノコは一日くらいで地面からニョキニョキと生えてきて、次々と入れ換わっていく。それは春先に次々といろんな花が咲き始めるのとも似ているけれど、どこに何が出てくるか予想がつかないところや、数日で盛りが過ぎて崩れていくところなどは、秋のキノコの方が変化に富んでいるかもしれない。
 
毎年少しずついろんなキノコと知り合って、何がいつ頃どの辺に生えてくるのか、どんな味がするのか、どうやって料理するとおいしいのかなどを知っていく。知らないキノコを見つけては、何時間もキノコ図鑑を眺めていたりすることもある。
 
初心者でもまちがいなく判別できるキノコは、土地によって違うのだけれど、ヨーロッパではポルチーニとかのイグチ類やアンズタケがまず間違いないやつで、キノコ採りといってポルチーニかアンズタケしか採らない人もけっこう多い。
 
それとは別に、とにかくキノコが大好きで、食用だろうと何だろうと新しいキノコを見つけてはどのキノコなのかを鑑定するのが楽しみという人もいる。
 
私は野生のものは何でも、何がすべて食べられるのかにもっぱら興味があるので、食べられるキノコを見つけてきては、あれこれ食べてみるのが面白い。最初はイグチ類をソテーかスープにして食べるくらいだったけれど、そのうちナメコ風のキノコ、エノキみたいなキノコがあるのを発見したり、松茸みたいな香りのするキノコがあったり、タコそのものの食感のキノコや、白身魚や燻製ニシンそのものの味がするキノコがあるのを見つけたりした。森のキノコは、実に変化に富んだ味覚の世界を提供してくれている。
 
キノコの判別は、植物の見分け方とも違った特殊な世界で、同じキノコでも成長のステージや生えている場所で色や形がいろいろだったりするし、同じようなキノコはいくらでもあるので、最初はどの属に属するとかの見当もつかないまま、キノコ図鑑を最初から最初まで何度もめくっていたりする。これだろうと見当をつけて、キノコのグループに聞いてみても、ぜんぜん見当外れだったことがわかったりもする。そんな具合で、最初のうちは一体どうやってどのキノコなのかがわかるのか、不思議としか思えないこともある。
 
だけど、キノコというのは実に不思議なもので、何度か見つけて食べてみるうちには、友達の顔を間違えないのと同じくらいの確実さで見分けがつくようになるのだ。いちいち引っくり返して見なくても、上から見ただけでどのキノコだかわかる。イロガワリもポルチーニもウラベニイロガワリも、どれも茶色いカサをしたイグチ類で、上から見たらどれも同じようなのだけれど、それでもポルチーニはポルチーニで、イロガワリはイロガワリだと確実にわかる。カサの色合いが微妙に違うし、質感が違う。それをゲシュタルト認識みたいな感じで認識しているようなのだけれど、どこがどう違うとなかなか説明できない。だけど、顔なじみの人間がわかるのと同じように、確かにそうとわかるのだ。
 
森の家の庭にきれいなオレンジ色のキノコが生えてきていて、キツネタケの類だろうと見当をつけて調べてみたら、確かにキツネタケのようだ。キツネタケの類には、ムラサキ色のウラムラサキやオレンジ色のキツネタケがあって、どれも食べられる。
 
 
それでとにかくどんな味なのか食べてみようと思って、他のキノコと一緒に炒めてみることにした。ちょうどアイタケが一本だけあったので、それも入れて、この間採ってきたハナビラタケと一緒に炒め物にしてみた。キツネタケはこれといった味はなかったけれど、食感がエノキみたいな感じだから、たくさん生えていたら、醤油とみりんで煮たらよさそうだ。
 
ハナビラタケは日本では幻のキノコと言われているけれど、このあたりにはけっこういくらでも生えている。これはアカマツの根元のところに生えるので、だいだい毎年同じところに生えてくる。香りがいいので、お吸い物にするといい出汁が出るし、炒め物にしてもいい。生のを炒め物でたっぷり食べて、残りは干しておいて、お汁の出汁にする。
 
 
晩秋になってくると、タコみたいな食感のニンギョウタケが生えてくる頃だし、松茸みたいな香りのシシタケも生えてくる。天然のエノキも生えてくる。
 
だんだんどんなキノコが生えてくるのかがわかってくると、森が提供してくれる食材は、実に多様で豊かなものだということに気づく。何がどこに生えていて、どんな味がするのか、そういうことがリアルな感触としてわかるようになると、森の世界の深みが見えてくる。現実の世界を経験する面白さとは、まさにそうした認識を持つことに他ならなのじゃないかと思う。
 
 
 
そういう世界を子どもはよく知っていて、大人になるにつれてそういう世界から離れていく。そして、成績だの収入だのを基準に世界を経験するようになるのだけれど、そうなると世界が実に退屈になる。中学に入った頃から、人生が退屈で退屈でたまらないような感覚を持ち始め、何のために生きるのかと考えるようになったりしていたのを思い出す。
 
5年前に森林地帯に引っ越してから、人生の意味など考えること自体が、退屈な世界に生きている徴なのだということがわかってきた。成績やら収入やらで成り立っている世界は、一つしか基準がない虚構の世界で、だから実に退屈なのだ。それに対して、自然なリアルな世界は、実に多様で豊かだし、争ったり奪い合ったりしなくても、次々とありあまるほどに与えられる親愛さに満ちた世界だ。そして、知れば知るほど無限の深さを持っていて、そこには限りがない。しかも、知れば知るほど親しさと繋がりの感覚は増していくのだ。
 
そこにこそ、私たち人間が地上に生きる意味があるんじゃないかと私は思う。そこから切り離されていたから、人生は退屈で、意味がないもののように思えていたのだ。離れていたからこそ、その貴重さが身にしみてわかる。この半世紀ほど、人類はそこから離れていく途方もない旅をしていたのかもしれない。
 
 
 
 
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