うちの庭畑の片隅には、だいたい枯れ草が積んである。
抜いた草、枯れた葉っぱ、採ってきた野草の使わなかった部分、
とかはゴミじゃなくて庭の隅っこ行きなのだ。
枯れ葉ならまだしも、抜いたばかりのしょくぶつたちを、燃えるゴミとして出すのは火あぶりの刑だと思ってしまう。
葉っぱには小さな虫がついていたりするのも気になる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220824/12/matsujyundx/7f/6c/j/o0810108015164986976.jpg?caw=800)
黙って積んどいたら虫が集まって食べたり分解したりしてどんどん小さくなっていく。
そんで栄養たっぷりな肥料になるのだ(たぶん
勉強してないから勝手に思ってるだけやけど、そこにあった草ならば、そこに必要な栄養素を持っているんじゃないのかな。
野菜くずを堆肥にしようと埋めといたら、土に合うヤツは芽を出してくれる。
買った種はひとつも芽を出さなかったりするのに不思議。
自然に任せちゃうのが一番良いのかもね。
ちゅーことで、
岡本よりたかさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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「堆肥」
堆肥は良くないというコメントを見て思う。
そのように言った方に全く悪気はない。むしろとても純粋な方である。おそらく問題は、それを伝えている側にあるのだろう。
いや、伝えている方も一括りで良くないと言っているわけでもないのかもしれない。ここに伝える難しさを感じる。
僕は過去に堆肥の問題点を本に書いたことがある。それはそれで事実だからなんの後ろめたさもないのだけど、ただ酷い堆肥があるから、いっそ使わない方がいいとは言っている。
それが曲解されてしまうことで、僕も随分と叩かれた時期がある。書評などでも散々だったし、有機農家には随分と攻撃され、妨害までされた。
まぁ、それは過去の話しで、今は理解がされていると思っている。
勘違いされるのだが、僕の自然農法は堆肥を使う。常に使うわけではないが、生育が悪い時のために堆肥は常に作り続けている。
僕の定義では、自分たちが生み出す有機物は畑に戻すべきという考えがあるからだ。
だから、米ぬか、籾殻、藁、草、枯葉、野菜残渣は宝だし、もし鶏を飼って自給する餌で育てられるなら鶏糞も使いたい(実際は鶏を飼ってないので鶏糞は使わないが)。
地球というのはミネラルの塊である。石も砂も草も全ての生き物がミネラルの塊である。このミネラルと、そして窒素と炭素と水素と酸素は常に地球上を循環していなければならない。
畑や田んぼに一切のものを施してはいけないなどと定義してしまうと、このミネラルや四大元素の循環が止まりがちになる。
もちろん自然は人の施しがあるかないかなどお構いなしに強制循環してしまうのだから、現実には循環は続くが、畑単位で考えると土壌は弱っていく。
草も生やさず、一切何も施さず、ビニールで覆い、灌水すらせず、それで素晴らしい野菜を作る人はたくさんいるが、これらは全部栽培者都合でしかない。
本当に自然のことを考えるならば、草は地球にとって必要だし、人が抜き取ってしまう草の根も必要だし、持ち出そうとした野菜や穀物の残債も戻してあげないと、土壌動物や微生物たちにとっては死活問題なのである。
悪い堆肥は確かにある。今どきの大量生産型の畜産から出た家畜糞を、きっちりと発酵させずに畑に施す。
中には化学物質が含まれている可能性があり、これらは僕ら自然農法家としては、とてもじゃないが使う気にはなれない。
ただ、そう言うと、「堆肥は良くない」の一言だけが伝わってしまう。
僕ら伝える側としては、とても気をつけていかなくてはいけないところだろう。
僕は自分の野菜畑には、堆肥はほとんど使わないのだが、先に書いたように、育たない時のバックアップとして植物残渣は溜め込んでいる。
僕が教える対象は家庭菜園の方が多い。であれば無理して堆肥を使う必要はないのだが、全く堆肥を使わない方法だけを伝えると、必ず堆肥は良くないものという刷り込みができてしまう。
それに、育たない時に完全にお手上げになってしまうので、僕は堆肥の作り方を教えることにした。
そうすれば堆肥=悪という認識は薄まるし、いざという時にとても役に立つし、畑の循環も途切れないで済むからである。
以上、ふと思ったので書き連ねてみた。
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