わたしたちはいつも『特別』を探しています | キセキを紡ぐ Rut of hope

キセキを紡ぐ Rut of hope

毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

特別にどっかの能力が高い人はいるけれど、その分どっかが特別に足りなかったりしないのかな?
もしかしたらそこは凄く目立たないとこかもしれないけれど。
 
チビッケは特別に美しい顔を持ってるけれど←ネコ馬鹿
壊滅的な運動神経で高いとこ(20センチくらい)でも上手く登れなかったりする。
とか、そんな感じ((´∀`))ケラケラ
 
トータルしたらみんな同じく100点だったりして。
 
 
 
ちゅーことで、
細川卓哉さんのFacebookより転載させていただきます。
↓↓
 
 
✨再投稿✨
 
わたしたちは
 
いつも『特別』を探しています。
 
『あの人は特別だ』
 
『わたしには特別な神がついている』
 
『この特別なグループにいれば大丈夫』
 
それは本当でしょうか?
 
いいえ、
 
断言します。
 
それは真っ赤なウソです。
 
僕は
 
よく雲の写真を撮りますが
 
雲はもともと水蒸気です。
 
雲になる前は
 
目に見えない空気でした。
 
空には水蒸気が
 
いっぱいありますが
 
普段は目には見えません。
 
しかし、
 
ある一定の条件を満たすと
 
目に見える雲に変わります。
 
そしてまた、
 
ある一定の条件を満たすと
 
目に見えない空に戻ります。
 
この繰り返しを
 
『輪廻転生』と言います。
 
水蒸気である雲は
 
その姿  カタチを
 
変幻自在に変えます。
 
あるときは、龍として
 
あるときは、鳥として
 
あるときは、天女として 
 
そして私たちは
 
その水蒸気が創った
 
姿  カタチを見て
 
こう言います。
 
『あっ!龍だ!』
 
『あっ!天女だ!』
 
しかし、
 
その雲がどんな姿、カタチを取ろうとも
 
雲の本質は
 
ただの水蒸気なのです。 
 
私たち人間は
 
いつも姿やカタチに囚われ
 
容姿や、学歴や、特殊能力などがあるか無いかで
 
その人物をジャッジしてしまいますが
 
どんなに珍しいカタチの雲も
 
どんなに平凡なカタチの雲も   
 
本質は
 
水蒸気であると同じように
 
私たち人間も
 
どんなに神を信じている人も
 
どんなに神を信じてない人も
 
本質は
 
その肉体では無く
 
その肉体を動かしている
 
生命そのもの
 
つまり
 
神そのものなのです 。
 
どんなカタチの雲も
 
本質は水のように
 
どんな人間も
 
本質は神そのもの。
 
だから
 
『あの人には特別な神が降りている』
 
『このグループには特別な神がいる』
 
『私たちは特別に神に選ばれた』
 
と言っている人や団体を
 
真実かどうか
 
もう少し見極めた方が良いかも知れません。
 
だってそれは
 
珍しいカタチをした雲を
 
『この雲だけが神に選ばれた特別な雲だ』
 
と言ってるのと同じなのだから
 
僕は、
 
わたしも、あなたも、みんな
 
一つの神さまから生まれた神そのものだと思います。
 
と言われている方に
 
同意、共感します。