眉間の皺をとって空を見上げよう | キセキを紡ぐ Rut of hope

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光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

やっとこ3時休憩時間がやってきた。

今日は原稿を描いているから座り仕事。

腰には座り仕事は良く無いんだけどね。

( ̄▽ ̄;)


仕事の山をひとつ越えたので、なんだかみんなの顔が緩んでる気がするよ。

みんなで乗り越えた山。

(口だけの人もいるけど)

なんか良い感じなのです。


一人でゆるゆる描いているのは楽しいけれど、

腰がねー( ̄▽ ̄;)


と言いながら、土日のどっちかでじゃが芋植えてこようかな。

かなり楽しみだ。

(((*≧艸≦)ププッ



ちゅーことで、岡本よりたかさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

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「自己の肯定」


終わらないコロナ禍と始まろうとする戦争。そしてハイパーインフレの前触れ。


街の人々がイライラしているのが伝わってくる。ヒステリーに近いかもしれない。


眉間に皺を寄せ、焦点が定まらない目。いよいよ限界ではなかろうかと思う。


抑圧に耐えられず、自らも他者を抑圧したがる、負の連鎖。


それは、自己の肯定ができない人に多い。


常に他者からの否定に苛まれ、理不尽な事であっても素直に従う事で偽物の自己肯定を得ようとする。


自己肯定飢餓。


偽物の自己肯定は泡のように脆い。


確かな自己肯定を手に入れる良い術がある。


当たり前のことだが、他者からは決して何も奪わず、多くのものを与える事。


自己肯定というのは、自分の行為が他者の役に立っていると自覚することで得られる。


だから、まずは、決して他者から何も奪わないことだ。


貴方が誰かに売ろうとしているもの、渡そうとしているものは、本当に相手のためになっているだろうか。


何かを奪おうとする行為ではなかろうか。


何かとは、お金かもしれない、時間かもしれない。いや、その人の幸福な人生かもしれない。


奪えば奪われる、そして与えれば与えられる。


だから、自分が持ち得る多くの知識や技術や誠意や優しさを、他者に与えることに終始すればいい。


そうすれば、他者から感謝され、それが形となって自分に届いたとき、自己肯定は完結する。


自分を誇れる仕事、心からやりたいと思える仕事。そんな仕事を日常にすればいいと思う。


自分が幸福感を感じることができれば、他者に与えようとする心のゆとりが生まれ、与えた事で感謝される。


それが自己肯定に繋がるのである。


イライラするのはやめよう。眉間の皺をとって、空を見上げよう。


どんな世の中になろうが、僕は奪うよりも与える生き方をしていきたい。


自己の肯定のために。


さて、今日もお疲れ様でした。おやすみなさい。





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