きっかけは、経験よりも大切なもの | キセキを紡ぐ Rut of hope

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毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

ようやくやっとスカスカマスク(販売用)が完成しそう。

と言ってもたったの4枚(え?

 

儲けようとか思って作ってなくて、自然食品の店主が面白がってくれたのが嬉しくて、面白いなーと思って作ってる。

必要ないけど面白いラベルも作ろうかなーと考え中。

 

儲けにならないと分かっている旦那も、私が楽しんでいるのを知っているので(たぶん)

今日は唐揚げを作ってくれてる。

嬉しいなー

 

「作って売ります!」と言ってないのに注文を取った店主と、

どうする?と聞かれて「じゃあ作ってみようかなー」と答える私。

どっちも同じくらいにゆるゆる脳みそ(きっと)

 

先日行ったゆうめし屋さんで「何か頼まれても断らないですよね」と言われてしまった(笑

いやいや、

先日会社で経営計画発表会に司会して?と言われた時は即断りましたけど。

表でアレコレより裏方の方が好きなのだ。

 

超人見知りだった私が、人の輪をがんがん広げてる。

きっかけは・・・

楽しそうだったから。

楽しそうだなーと見ている人じゃなくて、楽しいことをやっている人になりたかったから。

そう決めただけでそうなったよ。

 

ちゅーことで、岡本よりたかさんのFBより転載↓↓いつもありがとうございます。

 

 

「きっかけは、経験よりも大切なもの」

 

だいたい何かを始めて、一息ついた頃に、ふとこれで良かったのかと疑問に思うことがある。

無肥料栽培を始めた時もそうだった。6年経って、ある程度の目処が立った時に、この生き方で良かったのかなと思うようになった。

最近でも、岐阜県郡上市に越して、今の活動を始めたのは、結果良かったことなのかなとか、古民家改修なんて始めて、金銭的に大丈夫なのかなぁとかね(笑)。

 

まぁ、そんな経験ってみんな必ずあるんだけど、その時、どう心の処理をしようか悩むよね。

一切考えない、忘れる、言い聞かせるなど、人それぞれ考え方はあると思うけど、今選んだ選択肢は、多くの場合、正しい選択だったと思っていい。

 

今の自分があるのは、過去の選択があったからで、無事生き延びて、この記事を読んでいるのだからね(笑)。

 

僕は、こう思う。

常に人は選択を迫られていて、どの選択肢が正しいかは、その時点では分からない。

一つの選択肢を選んで進んで来たことでも、他の選択肢の方が良かったんじゃないかと、不安になる。

 

でもね、大切なのは経験や結果ではなく、きっかけそのもの。

そのきっかけに出会ったことと、そのきっかけで人生の一部を切り替えられたという、紛れもない事実ではないだろうか。

 

僕が無肥料栽培を始めたのは、体調が壊れ心が壊れたから。でも、そのきっかけがあったからこそ、今がある。

実家に帰る選択肢もあったし、別な仕事を始める選択肢もあった。

もちろんそのまま続ける選択肢もあった。

でも、別の選択肢の先に何があったかまでは分からない。

 

今の選択肢の結果がどうあれ、あの時にあのきっかけが与えられたことにより、別な方向に進めたという事実が、今ここにある。

人生には転換期というものが必ずあり、正しく生きていれば、その転換期へのきっかけが与えられる。

それは、誰にでも平等に与えられるわけではない、苦しむ人にほど、多くのきっかけが与えられる。

 

長年積み上げた経験を捨ててでも、その大切なきっかけは、絶対に無視するべきではないと僕は思う。

きっかけはチャンスそのものだし、そのチャンスに出会えた事に、もっと感謝すべきなのである。

感謝して、おやすみなさい。

 

アウトドアの画像のようです

 

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