テレビを見ない 平和な日々 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

ここんとこ毎日眠くて眠くて、普段よりかなり早めに寝ている毎日。

PCを開かない夜もあるΣ(・ω・ノ)ノ!

 

もしや野草効果?

ただ疲れているだけ?

 

めっちゃ気を使う仕事をしているので、体力は使ってないけど神経がすり減っているのかも。

その上工程上の指導的なこともしているのでますます疲れているのかも。

 

テレビをほとんど見てないので、社会状況が分からないけど、

キタチョーセンのミサイル発射とかは嘘くさいなーと思うようになった。

都合のいい時にウソの発表をして不安や怒りを持つようにミスリードされているんじゃないのかな?

 

北の将軍様の顔を見ても、怒りを感じないようになった。

みんながテレビや新聞から離れることが、平和への近道だったりして。

((´∀`))ケラケラ

 

 

 

 

ちゅーことで、郷右近丸彦さんのFacebookより転載↓↓

 

「上位概念」というものがあります。

ある概念(コンセプト)に対して

それよりも上回る考え方が

あった場合、

下位の概念に囚われていた人は

上位の概念には敵わない

ということです。

 

今まで人類は

世界平和こそが

最も素晴らしい考えだと

思ってきましたが

実は世界平和には

大きな欠陥があったという

話です。

 

 

《世界平和の限界》

 

「ほんたうの幸ひ」に

至るためには

正しいのではなくて

「正確」に理解することが大切です。

 

「世界平和」という言葉は

今まで、私たちが生活する上で

もっとも大切な言葉と

教えられてきましたが

それは正確な理解ではありません。

 

言葉はとても大切です。

そこには「言霊」といって

様々な意識が宿るからです。

そのことを知るためには

普段なにげなく使っている

言葉の意味、

語源やどのような背景をもって

使われてきたのかを

知る必要があるのです。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

ではまず「世界平和」の

語源から解説しましょう。

「世界平和」という言葉、

考え方は人類にとって比較的

新しい考え方です。

 

いつ生まれたのかというと

第二次世界大戦以降に

生まれた言葉なのです。

この言葉の意味することを

学問として「平和学」という定義で

1965年に国際平和研究学会(IPRA)が発足し

1973年に日本平和学会(PSAJ)が創立されました。

 

「平和」とは

戦争が発生していない状態を意味し、

元来、戦争は宣戦布告に始まり

平和(講和)条約をもって終了し、

これにより平和が到来すると

定義されています。

(wikipediaより)

 

つまり「平和」という言葉

そのものの意味は「戦争をしない」

という意味です。

 

またこの言葉の奥には

「人種差別をしない」

という意味も含まれています。

 

「平けく和する」ということは

平らかなので

均等で等しいという意味を

持ちます。

 

ところがこの世の中は

「平らかではない」し

「平等ではない」のが

自然界の法則です。

 

いろいろと本質を理解していくと

わかりますが

自然界は理不尽なものです。

だから突如として

大津波や地震という災害も起きるのです。

 

つまり「平和」という言葉は

「人類視点の言葉」であるということです。

戦後に植え付けられた

「自由と平等」という

幻想に基づいた言霊なのです。

 

また「世界」とは何を指しているかというと

「人類の世界」ということなのです。

 

私は神道を伝える者として

「言霊」ということの意味も

伝えていますが

「世界平和」という

言葉に込められた

「言霊」の力も存在すると

判断しています。

神道界の認識でいうならば

この世は

平等ではなく

未知なる力に対して

恐れ敬うことで

安らかな状態が保たれます。

「世界平和」は必ずしも

私たちの「ほんたうの幸ひ」を

表す言葉ではない

ということです。

 

かつて世界的規模で戦争が

行われた時点では

「世界平和」を全人類の

スローガンとすることには

とても大きな意味がありました。

 

けれども

20世紀を過ぎて21世紀となった

現代ではすでに状況が変わっている

ということにも氣づいて欲しいのです。

 

今必要な思想・哲学は

「世界が平和であること」

よりも

「地球に存在する

全ての生命が共存すること」

です。

 

「人の命は尊い」

それはその通りです。

けれども同時に

「人以外の生命も尊い」

ということにも

そろそろ人類は

氣づかなくてはならないのです。

 

10年前の世界の人口は

約60億人でした。

現在の世界の人口は

約73億人です。

たったの10年間で

13億人も人類は増えてしまいました。

一方人類が増える影で

死滅する生物種は

一年間で一万種を超えるまでに

なっているのが

現代の事実です。

 

このことの理解までに

いたっていない人に

「世界平和」は時代遅れの言葉に

なっているということを

お話ししたところ

あなたの考えは傲慢だ

少し謙虚になった方が良いと

思いますよ。

 

ということを

昨日、私に言って

くださった方がおりました。

 

自分の知識が正しく

あなたの知識はまちがっている

と主張するとこうなります。

 

その方は

「知る」「智慧」ということにおいて

まだ途中段階の理解にいる

というように思えます。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

「無知は罪である」

という言葉は

紀元前に生きた哲学者の

ソクラテスが言った言葉です。

 

この言葉には実は

さらに続きがあります。

「知は空虚なり、

叡智を持つもの英雄なり」

です。

 

「叡智」とは

「情報を知る」ことを超えて

もっと上位にある概念、

つまり「神の智慧」に

たどりつくことです。

この「叡智にたどり着く」

ためにはどうしたら善いのか?

それは

現在自分の知っている情報・知識は

最上のものであるかどうか?

を常に検証していくことでもあります。

 

ともするとほとんどの人は

現在自分がもっている知識を

正しいと勘違いしてしまい

自分の知識と違うことを

主張する人を

あなたはまちがっている

と攻撃することがあります。

 

かつてガリレオが

地動説を唱えた時に

時の権力者たちは

天が動いているのであって

ガリレオは異端だと

ガリレオを投獄

してしまいました。

 

現代ではどうでしょう?

病氣になったら薬を飲む。

牛乳は健康に善い。

電子レンジは便利だ。

という知識を鵜呑みにしていませんか?

 

これらの古い情報を

リセットすることが

あなたを進化させることに

なるとは思いませんか?

 

そしてこのことは

「知っただけではなく」

「行動すること」なんです。

 

私はこの

「世界平和」の先にある

考え方・哲学を表す言葉が

「天地彌榮(あめつちいやさか)」

であると理解しています。

 

「天と地が共に栄えること」

 

「宇宙(神)と地球(全ての生命)が

 一つにつながり

 未来永劫、持続する繁栄をすること」

という意味の言霊です。

 

天地彌榮とは

私がつくった言葉ではなく

古代からの日本に伝わる

叡智が込められた言葉なのです。

 

 

今日も一日

あなたが幸わせを感じていられますように。

 

 

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