ロッシュとデルフォー共著「コミューンとフランスの小説」(その3) | matsui michiakiのブログ

matsui michiakiのブログ

横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

ロッシュとデルフォー共著「コミューンとフランスの小説」(その3)

 

A.ロシュ夫人

 私に当てがわれた部分は確かにジェラール・デルフォー(Gerard Delfau)氏の部分より大胆であるだろう。私はその理由を2言で述べてみる。私は形式的な要素(formel)と政治(politique)の間にあるリンクの問題を検討するようつとめた。そのリンクとはまだほとんどの場合、誤解されていて非常に不安定なものである。ソヴィエト連邦で形式主義者の本格的な研究はまだ始まったばかりである。そして、始まったといっても、ここ10年ばかりのことにすぎない。そうした研究が一致をみているとはとうてい言いがたい。一方、形式主義者の批判あるいは単純にフランスでは文学批評一般がコミューン文学に興味をほとんど示さず、あるいはまったく示していないといってもよい。したがって、原野が二重の意味で開墾されないままに残っているのだ。

 私はむしろ、研究作業の提案として追跡する考察を示したい。そして私は、われわれが今日言ったことが未来の協力の要請を刺激することになれば幸いであると思う。もう一度くり返しておきたい。私が言わんとする事がらはなおまだ素描にすぎないことを。

 形式と政治のリンクについて。コミューン小説は反コミューンと親コミューンの別を問わず、また、政治的・衒学的・教育的目標の別を問わず、p.305 すべての著者に共通の基礎、すなわち真実を描写する意志を少なからずもっている。

 ところで、本来の法則に従ってある原文が生まれ発展するという考え方はわが国の小説家にはまったく無縁のように思われる。彼らがしばしば自然主義を凌駕することはむろんよくある。リアリズムは、たとえばL.クラーデルの『INRI』の末尾と、ゾラの『大潰走』の末尾部分がそれに相当する。しかし、これらすべては原文の試行レベルにとどまり、彼らの小説理論は形式主義の、それと同時に政治的な二者択一を引きずるが、あらゆる結果をもって迫真の描写技法にとらわれている。

 私は「リアル描写の囚われ」と言った。私の目を通すと、文学は当然のことながらそれだけにおさまるものではない。しかし、神秘主義への依存はまさしく原文における戦闘的効力のみを目標とする。私は後でそれにたち戻るであろう。私は皆さん方に少々大胆すぎるこの仮説について、さしあたり私の提案を受け容れていただきたい。

 コミューンに好意的な作家は一般に形式主義の描写を警戒する。彼らはこの形式主義の探究について現実と何らの関係をもたないもの、人民大衆に何ら語りかけないものと理解している。この視角からすると、コミューン小説はその中身により革命思想の歯車となるべき作品である。形式についていうと、それはコミュナール詩人のE.シャトラン(Chatelain)によると、「正確」にして「理解しうる」ものでなくてはならない。それは「美しい」かもしれないが、著者のほうは純粋芸術に没頭する必要はない。

 われわれの目を通すと、このような態度は多くの困難を惹き起こす。それはまず第一に、このような分析の合理性と可能性さえを問うことなく、革命的基礎と伝統の継承者形式を乖離させつつ基礎と形式を区別だてすることを当たりまえとする態度である。反コミューン的、政治問題に関して反動的な小説や芸術の世界において驚くべきものは何もない。革命のためにあからさまに貢献したいと欲する親コミューン的小説がその審美観と、それに由来する形式により、結局のところ、著者の意図とまったく反対の伝統小説に終わるのはよくあることだ。

 したがって、非常に野心的方法ではあるが、提起されている問題というのは次のようなものとなろう。コミューンに好意的な小説において革命的意図と伝統的原文の間の乖離がどのように示されるのか? 2番目の問題。著者の意図と、よく起こることだが、著者の知らない間に人民大衆から理解されているという思い込みとにもたらされるこの乖離にどんな役割があるのか? 3番目の問題。p.306 コミューンに最も好意的な作家そのものにおけるこの欠乏症は彼らの社会規範と彼らの政治的分析力の不十分さとに関連するのか? 事件そのもの、すなわち失敗の角度からみたコミューンの欠乏症にそれが関連しているのか? ここで私は一つの大雑把な ― 疑問符を打っておく ― こうした破壊が何でありうるのか根本的十分に言いきわめることはわれわれには不可能といえよう。

 これらすべての原因が関与していることを認めるにしても、人はどのような序列を定めるのか?

  これらすべての疑問に答えることも、その問題を除去することさえも問題ではない。私が言いたいのは、学問に一つの解明への数歩の前進を提起したいだけのことである。私は単に一般的な幾つかの問題を提起するだけにとどめ、正確さがわれわれに要求される場合には討論を通じてこの問題にたち戻りたい。

 ルベリウー(Rebérieux)氏は先ほど歴史小説の問題性を提起した。私はそれにたち戻らない。私は単にコミューン小説が異なったジャンルの歴史小説であるという事実を押さえておきたい。まず第一に、それはたいていの場合、一時的な後退を欠く。ウォルター・スコット(Walter Scott)またはゼヴァコ(Zévaco)とは逆に、コミューンについて書いた作家は一般に事件後直ちにペンを執った。ところで、本来的意味でのコミューンが時間的に非常に限定された事件であったにしても、それは周知のように、過程の延長のゆえに、また1880年までつづく恩赦に向けての闘争のゆえに、さらにまた、コミューンの追憶が ― モデルあるいは精神的トラウマとしてコミューンが過ごした ― 長期間にパリ市民の意識の中に生きつづけているゆえに、長期間効力を発揮するリアリティをもちつづけている。多くの場合、小説は直接的にコミューン史の「日誌」として ― ヴィヨームの『私の赤い日記Mes Cahiers rouges』の場合がそうだが ― 現れることもあれば、あるいは、匿名であろうがそうでなかろうが、時間的に遠い昔からペンを執るつもりで自叙伝として現れる場合もあった。後者の例ではシュテル・ローマン(Sutter-Laumann)の『或る30ス―受取人の物語 L’Histoire d’un trente sous』、ジョルジュ・ルナール(Georges Renard)の『亡命者Un Exilé』が該当する。さらにまた、失われた時代についてのさらに突っ込んだ調査や研究の作品、リュシアン・デカーヴ(Lucien Descaves)の『老いぼれ中の老いぼれフィレモンPhilemon, vieux de la vielle』がある。

 だが、カスー(Cassou)あるいはシャブレ(Chabret)がコミューン小説を書くとき、彼らが歴史的置換の問題を提起している事がらは明瞭である。

p.307   したがって、カスーやシャトレは明らかに事件を体験しなかったが、特に1871年を通して両名は、1930年代、1968年代に生起していることを述べている。したがって、『パリの大虐殺』または『友愛の大砲』は二重の書物、託された事がらにコミューンとしての機能と同時に著者の歴史的状況の機能との両方をもたなければならなかった。シャブロールはこれについて他の著作でつねに強調している。G.デルフォーは先ほど『ジェルミナール』と『93年』の場合について述べたため、私はそれにたち戻ることはしない。ゾラとユゴーの原文によって要求されるのは同じ種類の二重の書物である。したがって、このことは小説の歴史への関わり方が複雑であることを意味する。皆さんはすでに幾つかのレベルでそれが位置することをご存じのはずである。

 さて、要点、つまり小説の歴史への関わり方の検討に移ろう。それは純粋にして単純な否定の秩序でありうる。歴史は「私的」となる。歴史は一つの枠組、一つの装飾にすぎず、したがって、それ以上のものではない。このような現象が1871年以後に現れることはない。それは1850年代に始まる。しかし、1871年以降の作品においてはこの現象が悪化するのを見るのは意義深いことだ。コミューン反対派の作家にとっては、事件を彼の歴史的意味から空っぽにすることが問題となる。歴史はもちろん何かを示している。なぜなら、それを完全に除去するのはできないからだ。だが、それは空洞の生じた顕れ、浸食された顕れであろう。反コミューン派小説はたいていの場合、愛の歴史である。その主役は一般に上層階級に属し、歴史とまったく同じく、労働世界は除去されることになる。さらにまた、偽造の対象となり、事物の偽造呈示となるだろう。

 私は大急ぎで歴史の私小説化のかなり代表的な作品のコペ著の『籠城期における短篇詩Une Idille pendant le Siège』を例にとってみたい。登場人物および著者において愛の精神分裂症があらわれる。つまり、著者と同じく英雄は2つの計画の上に生き、彼らは歴史から分断されている。したがって、歴史は対位法として存在しない。そして、コミューンは原文の中では「相聞牧歌」の真只中での通りすがりの嘆かわしい事故(偶発事件)としてしか現れない。この相聞牧歌に読者が参加するよう誘われるのだ。この原文においては物語に罪がなくはないことは明瞭である。コミューンをこのような条件下に置くこと、言い換えると、それにブルジョア的筋立ての単なる装飾を施すということは政治的行為である。著者コペはそれにとどまらない。コミュナールを滑稽極まりない、あるいは悍ましい陽の下に措くことはあまりに容易なことだったであろう。 ― 登場人物カザバン(Cazaban)とヘンリー(Henry)夫人がそれである。コペが「外国人の目から見て耽溺する」内乱の「愚挙」を嘆くことによって中身から抜き取ろうとしたのは事件そのものである。まさしくそこにこそ、人を唖然とさせる議論が潜むのだ! コペはむろん、国民衛兵の愛国心を認めるが、p.308 彼はこの愛国主義が行き着くところの「行きすぎ」を残念がる。むろん、ここではコミューンの社会的内容は無視されている。

 コペのあまり知られていない中編小説『若気のいたりToute une Jounesse』では事件は余談の中に入れられている。人はそれを最後に中編小説または小説の量において再び見出すだろう。これらの小説でコミューン期における行為はアナトール・フランスの『ジャン・セルヴィアン』、テレーズ(Thérèse)の『ある愛の罪 Un Crime d’Amour』、セザリーヌ(Césarine)の『月曜物語Les Contes du Lundi』として位置づけられている。人はこの背景選択が偽装されているために、効果的な政治的な一つの選択によって規定されていることを忘れる一方で、これらの原文に口実(Prétexte)を設けようとする。

 これとは反対に、コミューン派の小説においては歴史は機能しなければならず、すなわち、強い意味では個人的運命の真実の寿命を構成しなければならない。じっさい、作品を検討してみると、そこではめったに実現されることのない理想が問題視されていることが判る。たとえば、デカーヴの『円柱』では歴史ドラマと登場人物の間に繋がりがあり、主人公ラブイユ(Rabouille)の運命を直接的に左右するのは円柱の倒壊である。しかし、デカーヴがコミューン全体のなかで確かに意味深く、しかし、1871年蜂起の全範囲をけっして覆いつくすことのないエピソードを孤立させたのではない。したがって、野心的で、しかも完全なこの小説よりも、われわれはデカーヴと同様に『フィレモン』のほうを好むであろう。デカーヴと同様、われわれは彼から小説家アントワーヌ・ラヴェルニュ(Antoine Lavergne)宛ての未発表の手紙をもっている。後者はデカーヴに『円柱』を送ってくれるよう要請。これに答えて言う。「あなたは『フィレモン』を私に請求しない。私はこのほうに愛着をもっているのだが」、と。