シュリー、コルベール、テュルゴー(1) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

松井道昭の抜粋ノート

エリアナー・ロッジ & D.リット(共著)『シュリー、コルベール、テュルゴー;フランス経済史の一章』ロンドン、1931年刊

Eleannor G. Lodge & M. A. D. Litt, Sully, Colbert and Turgot; A Chapter in French Economic History, Methuen & Co. Ltd.,London, 1931.

 

p.1

第1章 序文

 方法論について著者はこう述べる。社会史ないしは思想を描くに際し当該期における政治と社会構造を考慮することが最も重要な要件となる、と。すなわち、一国家の発展は諸事件や政治様式が解きほぐせないほどに織り込まれているひとの全体史である。

p.2

  SullyならびにColbertおよびTurgot3者は共に異なった時代に生きた。社会状態に影響を及ぼす地理的な差異に加えて住民間における人種の差、中世の全体を通して永らえた地方の独立がある。

 本著書はアンリ四世の治世からではなく16世紀の初めから始まる。というのは、この世紀は近代フランスが中世との断絶する分岐点であるからである。以後、フランスがいかなる方向に自らを発展させていくのか見ていきたい。一般的にいえば、16世紀のフランスは最も繁栄した時期にあたる。国家は統一国家となった。ジャンヌダルクの精神 → 地方割拠状態の克服 → 強大な統一国家へ成長

p.3

  シャルル八世のイタリア侵略後に現れた現象はルネサンスのフランスへの伝播である。政府は強固になり、中央集権化された。君主は国家統一、国家的繁栄の擁護者となった。

 望ましい平和の時代が幕を開けると、別の新たな困難が押し寄せる。それは宗教抗争であり、国家を徐々に分裂に導いていく。カルヴァン主義の急激な発展 → 政府による抑圧 → 16世紀後半のフランスをこの一大宗教内乱の渦中に引き入れる。当時の社会発展のエネルギーは①国内抗争、②宗教内乱、③対外戦争に浪費されていく。 

 当時の国境について。1453年のガスコーニュ攻略という最後の侵略はフランス領土をピレネーにまで拡大するが、ナヴァールは依然として独立王国として健在。

p.4

ベアルン子爵領…ベアルンのアンリが王位に就くまでは独立した国家であった。ルイ六世がスペインから獲得したルシヨンはアラゴンに復帰(1494年)

アヴィニヨンとヴネサン(Venaissin)は大革命まで教皇領に属した

オランジュ…外国領土

アルザスとロレーヌ…外国領土

メッス、トウール(Toul)、ヴェルダン…1648年にフランスに帰属

Bresse, Burgey, Gex…1601年にフランスに帰属

サヴォアとニース…1792年に併合

ブルターニュ…別の州だった

 このように、フランス王国は16世紀の初めごろに強固な統一された領土を形成しつつあった。

p.5

 封土の吸収と領土の接収は中央権力の仕事であり、フランスの法制史(the constitutional history)は中央集権の徐々とした発展に関連していた。16世紀にはこうした中央集権化と統一化が形成される過程にあった。17世紀にルイ十四世は、国家の国務大臣と地方の知事に基礎を置く君主の権力を縦横に駆使した。18世紀になると、中央集権化された体制は残っていたが、王の力そのものは衰退していく。

 政体の重要な要素:国王の裁量

   諮問機関(国王参事院と国家参事院)

   裁判権…大法院(Grande Conseil)

             パリ高等法院…下級裁判所(国王や参事院の記録保存)

       Grande Chambre…貴族・官吏等に関する状態を尋問

p.6      Chambre des Enquêtes…さして重要でない訴権審理

パルルマン   Chambre de la Tournelle…小さな刑事事件

             Chambre des Requetes …急を要する小さな訴権

             Chambre de l’Etat…成立は16世紀、宗教訴権

財 政…Chambre des Comptes

税 務…Cour des Aides

三部会…第1回召集は1302年で不定期開催…この会議のみが人民の意見を代弁

    貴族部会………当該地域内の直接選出

    聖職者部会……当該地域内の直接選出

    第三身分部会…2段階投票で選出

    三部会の仕事は陳情書(Cahier)を取り上げること。元々三部会の権限は課税に関し投票券を行使してそれを阻止することにあったが、実質的にその権限は奪われていた

p.7

地方の政体

 15世紀末、各種各様だったが、依然として独立を維持。封建領主、自治都市、村落共同体などが中世を特徴づけていた。しかし、これは以前に中央権力の浸透に伴って崩壊していく。

 地方議会…三部会を似せたものだが、その権限は弱かった

 地方パルルマン…数で勝る、地方裁判を取り扱ったが、その裁判権も徐々にパリのパルルマンに移行

 15世紀にはトゥールーズ、グルノーブル、ボルドー、ディジョン

 16世紀にはルーアン、レンヌ、エクス

 17世紀にはメッス、ドゥエー、ブザンソン、ナンシー

 行政上の目的でフランスは2つに分割された:バイイ(北)&セネショー(南)

 地方に対して徐々に中央権力が浸透していくのだが、この中央集権化は当時の社会・経済生活に大きな影響を及ぼす。このことが国民の状態および貿易や産業の発展を少なからず反映していると考える必要がある。既述の3人(シュリー、コルベール、テュルゴー)の主唱内容についてもまた、彼らの国王と中央政府に対しての関係が解明されて初めて事情が分かるというものだ。p.8じっさい、彼らがおこなった政策の多くは、当時の政府がかかえる諸問題、とりわけ財政問題と密接に関わっており、彼らが社会問題を処理するにあたって直面した困難の多くは、それぞれが仕えた国王の性格や政策に起因している。