静寂の文化 | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

静寂の文化

 私は今日の講義を聴いて、日本という国の独特の文化を改めて感じた。私にとって日本という国は静の文化をつものである。代表的な日本の家は、庭にはじゃりが敷きつめられており、廊下は木の板によってできている。そして家の中にはたたみがある。そこを順に進んで行けば、庭を歩けばじゃり音をたてる。廊下を歩けばゆかがきしむ。たたみを踏めば独特な音がする。ここには静寂という無音の音が前提にあり、凛として張りつめた空気を演出するものである。このように、静を尊重する建築や文化だったからこそ、植物の匂いや風の音、季節の変わり目を敏感に感じ取ることができたのだと思う。そして、そこから生まれたのが和歌であると考えられる。日本の文化は常に静の中にあり、自然と密接に関わっている。どの国の文化も自然とは大いに関わっているだろうが、音という面で日本ほど自然をそのまま受け取められる文化はないであろう。

 

【短  評】

  エッセイ文だが、なかなかの文章力である。これを読むと、いかにも自然に囲まれた雰囲気を胸いっぱい満喫している筆者が目に浮かぶようである。即興的にこのように読者に感動を与える文が書けるとは、まったく驚きいった。筆者は論文書きよりもエッセイ文または叙情文書きに向いているとみた。

   音を主題に据えている点も一風変わった趣を醸しだしている。音を前面に出す以上、砂利踏みの音や畳の音だけでなく、もっと徹底させてみたらどうか。たとえば、床のきしむ音、風の音、季節の音、鳥の囁き、小川のせせらぎ、植物の動きにも音を絡ませた表現にしてみたらどうか。その場合、「音」という言葉を使わないのがポイントである。末尾から2行めにある「音という面で」の箇所にきて初めて「音」と言葉を使って全文をまとめあげるのだ。

 日本人が音声に敏感である証拠として、外国語には少ない擬声語擬音語が夥しいにとどまらず、外国に皆無の擬態語、擬容語,擬情語の数が多いことだ。これらはすべて音声との関連をもつ心情のあり方を示している。この情感は日本語独特のものであり、日本語に習熟した外国人にとっても難しいらしい。

 後の3例について例示してみよう。

 擬態語 … きらきら、つるつる、さっと、さっぱり、きっぱり

 擬容語 … ぶらりぶらり、のろのろ、ばたばた

 擬情語 … いらいら、ずきずき、わくわく、しんみり

 本批評文の評価は70点

 

【文章作法】 

(1)表現。5行めの「順に進んで行けば、」がそのあとのすべてにかかるように説明したほうがよい。すなわち、「順に進んで行けば、」⇒「順に進んで行くとしよう。」

 

(2)漢字表記に。3~6行めの「じゃり」「たたみ」「ゆか」はそれぞれ「砂利」「畳」「床」というふうに漢字表記にしたほうが味わいが出るのではないか。これとは逆に「持つ」はひらがな表記にしたほうがよい。目的語が抽象語の「静の文化」であるからだ。

 

(3)誤字。最終行:「受け取められる」⇒「受け止められる」または「受けとめられる」

 

(4)読点。文中で印の箇所に読点を打ち、下線の引かれた読点は削除したい。[注]接続詞のあとには読点を打ったほうがよい。

 

(5)冗語。7行めで抹消線の引かれた語句は削除したほうがよい。「無音の音」というのは形容矛盾であり、たとえレトリックだとしても、わざとらしさが出てしまう。