NHK大河ドラマ『真田丸』での秀吉政権滅亡の因とも言うべき関白秀次切腹事件では。 三谷幸喜の新解釈に賞賛とか新説“秀次事件”が秀逸!や歴史の謎に一石!などと高い評価の声がネットで出ています。
これまでの秀次像を違っているのに、なぜかすんなりと見入ってしまう、という感覚を持たれた方や、実際でもその様ではなかったのかなどの感想も見られます。
さて、この真田丸放映の時に、最初のバイオリン独奏から始まるテーマ曲と共に出てきますタイトルロールに

(テレビ画面の撮影写真ですので鮮明ではありません)
資料提供・矢部健太郎という名が出されていたのをご存知の方はおられるでしょうか、ビデオをお取りの方はもう一度「不信」「受難」を見直して頂きますとキチンと出ています。
國學院大學の矢部健太郎教授は「秀吉は秀次を殺すつもりはなかった」という論文を3年前に出されています。
國學院・矢部健太郎先生の歴史講座「秀次切腹事件と豊臣政権」―秀吉は秀次を殺したのか?―
この論文の内容が、腑に落ちた!と脚本に援用されたのが三谷幸喜氏です。脚本家・監督として活躍の三谷幸喜氏がなぜこれまでの秀次事件での通説に一石を投じるとも思われる新解釈を採用しようとされたのか、この事について、2016年7月14日 朝日新聞夕刊に掲載の三谷幸喜のありふれた生活:809「関白・秀次の最期を思う」で重要な事を語っておられるので、その記事の箇所を転載させて頂きます。
2016年7月14日 朝日新聞夕刊に掲載
( 略 )・・・ 最近の研究では、さらに違う説も出ている。
歴史学者 矢部健太郎さんの著書「関白秀次の切腹」によれば、秀次は切腹に追い込まれたのではなく、自ら死を選んだのではないか、
というのだ。秀吉は甥(おい)の秀次を死なせるつもりはなかったし、秀次に死ななければならない理由もなかったという新しい見方だ。
新しい説がすべて正しいとは限らないが、ドラマを書くに当たり、自分の「豊臣秀次」がどんな人間なんだろうと考えた時、僕にはこの説が一番しっくりきた。
当事者たちのほんのちょっとした思いの「ずれ」が、取り返しのつかない悲劇を生んでしまうというのは、とてもリアルだ。
僕は歴史研究家ではないので、史実との細かいすり合わせは、スタッフや時代考証 の先生方にお任せしている。
しかしそれ以前に、ドラマの設定のどこかに無理があると、台詞(せりふ)が浮かんでこない。頭の中で人物が動いてくれない。精神を集中して当時に思いを馳(は)せ、必死に秀次に自分を重ね合わせ、心の中の彼に、
なぜあなたは死ななければならなかったのか、と問い続けた結果、
なによりも腑(ふ)に落ちたのがこの解釈だった。
腑に落ちた瞬間、秀次が、秀吉が、そして真田信繁ら周囲の人々が僕の頭の中で生き生きと動きだした。
ドラマでは新納慎也さんが、繊細な演技で新しい秀次像を演じてくれている。
自分の知っている「史実」と違う!と憤る方もいらっしゃるかと思いますが、こういう説もあるということを(そして脚本家 はこれが「史実」に一番近いと思っていることを)知って頂けたら、嬉(うれ)しいです。
転載は以上です(但し強調部は松井による)
脚本家が腑に落ちた、つまり「なるほどこれだ」という事からドラマが作られていますので、今回秀次役をされた新納氏も大変な気の入れようであった事が、高野山へ行かれた新納慎也のオフィシャルブログにも書かれています。

2016年07月13日高野山で秀次公を感じる! 2016年07月14日 泣いてもたけど・・・
それにしましても三谷氏や番組スタッフは新納氏をよく抜擢されたものだと感心いたします。
新納氏が実に繊細に秀次を演じておられたからです、それに第一ダンサーで舞台をされていますし、実にカッコいいわけです。また姿勢も新納(にいろ)氏は鹿児島の士族の家系でおられますから、どこかピチッとした清潔感を持っておられます。
おかげ様で今までのどこか陰鬱な秀次像が払しょくされ、本当は親類の少ない豊臣家をご自分なりに何とか頑張ってやっていこうと思っておられたのではないか、というナチュラルな姿が脳裏に映像化されてきます。
新解釈の秀次を演じられたという事で今回の新納秀次はニュースなど多くの記事にも取り上げられていますが、言い換えれば、矢部先生の論文のおかげで得(徳)されましたね、とも申し上げたいわけです。
矢部先生と新納氏が会われています時のツーショット(私撮影)

秀次公法要時の模様はこの後のブログでご紹介させて頂きます
ですから本当に私などからしましても、本当によくやってくださいましたと、お礼を申し上げているわけでございます。

一度犯人にされると中々人々の記憶から消えないものです、犯人でもないのに犯人扱いされて、それは冤罪であると認めてもらうには、犯人ではないという証明をしないといけないわけです。
この人はいい人だ、悪い事をする人ではないといくら訴えても冤罪は消えません、犯人ではないという立証(証拠)が必要だからです。
この事は日本の戦後の歴史問題にも言える事ではありますが、新犯人からすれば冤罪の立証が出来ないようにという働きをするかもしれません
秀次事件も、秀次の謀反と言われますが、謀反の具体的なものは未だに分かっていません、しかし謀反人で切腹させられたという事になっています。
こんな不確かな事が歴史的事実の様になっています。おかしい事です。
歴史学の博士の矢部先生の一次資料(御所や秀吉)の地道な研究という事からこれまでの通説に一石を投じて頂いたことは大きな進歩だと思います。
しかしながらこれまでの通説の持つ圧力の大きさも痛切に感じざるを得ないわけで東京都知事になられた小池百合子氏が言われてます、自民党東京都連のだれが決めているのか?なぜ正せないのかなどのブラックボックスの様なものは歴史の世界にも存在しているのかもしれませんね。
歴史の真実に光を当てる・・・
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本年7/15の秀次法要の様子は以下のブログをご覧ください
2016年の秀次公顕彰法要は矢部健太郎氏や真田丸で秀次役の新納慎也氏も参加で大賑わい
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