日本は白人の世界支配を終わらせ人類の自由と平等に大きな貢献をした見方も必要 | はちまんMatsuiコラム

はちまんMatsuiコラム

一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

ID:yqy414

消えぬGHQの「禍根」 教育現場に忌避の風潮 荒廃する軍人墓地

(まずは記事↑をご覧ください)



8月15日を迎えまして「英霊にこたえる会」の中條高徳会長の言葉が記事の最後のところに出てきますが


「外国の例を見ても本来戦没者の慰霊は国が責任を持ってやらなければならない話だ。

靖国も軍人墓地もいまだ多くの日本人が『軍=悪』という方程式から抜け出せない。

だが、これらは国民道徳の支柱となる大切なものだ。国のために命をささげた人への敬意を忘れてしまった国がどれほど醜いか。心配している」(安藤慶太)

この様に、「学校現場には靖国神社から生徒児童を遠ざけようとする風潮が根強く残る。」とする底辺には「靖国も軍人墓地もいまだ多くの日本人が『軍=悪』という方程式から抜け出せない」ということが言われているわけです

占領下の政策が未だに続いている事を前回のブログ

ドーク教授は中国の反日歴史攻撃は戦争に敗れた国を使い自己を正当化する為だと
http://ameblo.jp/matsui0816/entry-11592754132.html

でも取り上げまして

日本の教育理念、制度を徹底的に破壊し、国家・民族を口にすることが、あの悲惨な敗戦を齎した軍国主義に直結するものであると教育せしめたことは、高く評価されねばならない

中国共産党の日本解放第二期工作要綱から引用しまして
http://yusan.sakura.ne.jp/library/china_kousaku/


現在の日本人が未だに持つ、中條高徳会長の言葉の『軍=悪』という方程式つまり日本がすべて悪かった、この虐史観を持つのは、アメリカの教育の成果だと言っている事を申しあげました、


ですから、現在靖国参拝でも中国や韓国が歴史問題と称して日本を抑え付ける様にしているというのは、日本が二度とアメリカの敵にならないようにするという当時のアメリカの政策を中国や韓国が引き継いでいるとも言えるわけです。


そこに日本抜きの米中韓という言われるモノが存在する様になるわけです。しかし米中韓と言いましても米国には中国の脅威に対して日本に憲法改正や自衛隊の海外派兵を望む勢力も存在していますから「日本抜きの1/2の米と中韓」というべきでしょう


さてしかし、いつまでも、このおかしな状態を日本は続ける必要があるのでしょうか、日本の為に亡くなった英霊に対しても、もっと世界に対し日本がなすべき姿を見出して行くべきではないのでしょうか。


そこで今回は北野 幸伯メールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」No.956 2013/8/15よりを転載させて頂きます


★世界を変えた日本


今日は、「終戦記念日」です。


「自虐史観」に染まった人たちにとっては

「ああ、日本が侵略戦争をしたせいで、コテンパンにやられた。

反省しなくては・・・・」という日。


しかし、今回は、別の視点から歴史を見てみましょう。


▼植民地にならなかった日本


皆さんご存知のように、1853年、ペリーが来航しました。

そして、幕府は1854年、アメリカの圧力に屈し、開国を決めます。


私たちが知っておかねばいけないこと。

当時、世界のほとんどの国々は、欧米列強の植民地だった。

世界一広大な植民地をつくったのはイギリス。


そんな国が、「日本は軍国主義で、アジア諸国を侵略して迷惑をかけた」などといっているのです。

「自分はどうなんだ!?」ってことですね。


なにはともあれ、幕末。

日本も、イギリスかフランスの植民地になる可能性が高かった。

しかし、なりませんでした。

アジアで植民地にならなかったのは、日本とタイだけだそうです。


では、なぜ日本は独立を守れたのでしょうか?

まず、外的、客観的要因がありました。


日本を強制的に開国させたのはアメリカですが、同国では1861年、国を二分する「南北戦争」が起こりました。

日本にかまっている余裕がない。
 

ロシアは1854~56年、フランス・イギリス・オスマン帝国とのクリミア戦争で敗北。

さらに、ポーランドの反乱や、農奴解放問題で悩まされていた。

日本にかまっている暇はない。

 
ドイツ・イタリアは、当時分裂しており、統一運動が熱心に展開されていた。


フランス皇帝ナポレオン3世は、ドイツの統一を目指すプロシアと対立を深めていました。

 
イギリスは、清における太平天国の乱、インドのセポイの反乱で忙殺されていた。
 

要するに、欧米列強はことごとく事情があって、日本の植民地化を進められる状況になかったのです。



国内の要因もありました。

それは、日本人の質が高かったこと。

(日本は当時、識字率が世界一高い、教育超大国だった。)


例えば、以下の文をみてください。


 <修行中心得大意
一、片時も忠孝を忘れず、修行第一の事。
一、諸道具に心移り銀銭を費やさざる事。
一、色情にうつり、国家の大事を忘れ心得違ひあるまじき事。
 右三ヶ條胸中に染め修行をつみ目出度帰国専一に候。以上
 丑ノ三月吉日                         老父>


 これは、19歳の坂本龍馬が、江戸に剣術修行に出る際、父直足がしたためた訓戒書です。

 「片時も忠孝を忘れず…」の、「忠」は国家や主君、「孝」は親に尽くすことをいいます。

「常に忠孝を忘れず、修行に励みなさい」といっている。


「色情にうつり、国家の大事を忘れ心得違ひあるまじき…」。

「女にうつつを抜かして、国家のことを忘れるな」と戒めています。


どうでしょう。

現代の親で、田舎から東京に出る子どもに、「国家の大事を忘れるな」と訓戒する人がいるでしょうか?

せいぜい「しっかり勉学に励め! そうすれば、いい会社に入れるぞ」くらいでしょう。

直足の「修行中心得」を読んで、「これだから龍馬は偉人になれた」と思うでしょう。

しかし、龍馬は江戸から遠く離れた田舎の侍です。

彼の生まれ育った土佐藩には上士と下士の区別があり、下士は激しい差別を受けていた。

龍馬は下士の出身。


こんなド田舎の下級武士ですら、さらりと「国家の大事を忘れるな」と訓戒する。

龍馬家に限らず、それほど「忠孝の情」「武士道」は一般的だったと考えるのが自然ではないでしょうか?

こういう心意気が、「尊王攘夷運動」「倒幕運動」、ひいては「維新の原動力」となったといっても過言ではないでしょう。


もう一人例を。

これも江戸から遠く離れた長州生まれの吉田松陰。

松陰は1854年、弟子の金子重之助と共に、黒船に密航を試みました。

そして、「アメリカに連れていって欲しい」と懇願したのです。

もちろん拒否されましたが。

この事件について「ペリー日本遠征記」の著者フランシス・L・ホークスは、こう記しています。


<この事件は、厳しい国法を犯し、知識をふやすために生命まで賭そうとした二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すものとして、興味深いことであった。

日本人は確かに探究好きな国民で、道徳的・知的能力を増大させる機会は、これを進んで迎えたものである。

この不幸な二人の行動は、同国人に特有のものだと信じられる。

また、日本人の激しい好奇心をこれほどよく示すものは他にはあり得ない。>

(国際派日本人養成講座 H10.05.23 
http://www.mag2.com/m/0000000699.html  )


密航に失敗した松陰は、故郷の長州で松下村塾を開きます。

こんな田舎の塾から、明治維新の英雄たちが続出することになりました。

例をあげれば、

木戸孝允(参議・内務卿・文部卿)、
高杉晋作(奇兵隊総督)、
山縣有朋(元帥・陸軍大将・日露戦争時の参謀総長)、
伊藤博文(首相)、
品川弥二郎(内務大臣)、
野村和作(内務大臣)等々。

松陰は1859年、井伊直弼による安政の大獄で死刑にされていま
す。

享年わずか30歳。

新生日本を見ることはできませんでした。

彼は死の間際、辞世の歌をよんでいます。


身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂


死に臨んで、なおも祖国を守ろうとする「気概」に満ちた歌です。

松陰の生命は尽きました。

しかし、その壮絶な生涯と辞世の歌は志士たちの魂をつきうごかし、維新の原動力になったのです。


▼日ロ戦争の勝利と歴史の転換点


植民地化を逃れた日本は、すごい勢いで近代化を成し遂げていきます。

そして、他国との軋轢も出てきました。

1894年には日清戦争が起こり、日本は勝利。

アジアの超大国・清を打ち負かした日本は、世界に知られることになりました。


1904年2月、日露戦争勃発。
 
世界的軍事大国ロシアとの戦いにむかう私たちのご先祖様たちは、何を思ったのでしょうか? 
 
ロシアの皇帝・政治家をはじめ、日本が勝利すると考える人は、ほとんどいなかったのです。
 
しかし、日本軍は203高地の戦い・奉天大会戦・バルチック艦隊を撃破した日本海戦等、歴史に残る激戦を勝ち抜き、この戦争に勝利します。
 
1905年10月、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により、ポーツマス条約締結。

日本は、遼東半島の租借権、南満州鉄道を譲り受け、樺太半島の南半分を獲得します。

 
有色人種ではじめて白人の大国に勝った日本。

日本の勝利で人類は「自由」「平等」に大きく前進しました。
 

日ロ戦争における日本の勝利は、世界でどのように受け取られたのでしょうか?
 
私が毎回楽しみにし、「全日本国民に読ませたい」と常々願っているメルマガ「国際派日本人養成講座」(JOG)
http://www.mag2.com/m/0000000699.html  )

平成9年10月18日号から転載させていただきます。(太文字筆者)


【転載ここから】

 日露戦争の真実は、ロシアの南下をくい止めて、当時の帝国主義時代に、日本が国家の安全と独立を保った、という点にあるが、そればかりではない。当時の国際社会で、この日露戦争がどのように受け止められたか、を以下に見てみよう。


・中国の国父孫文

どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパの奴隷にならなければならないと考えたのです。(中略)

ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。

ヨーロッパに対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれがはじめてでした。

この戦争の影響がすぐ全アジアにつたわりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたのであります。[4]


・インド・初代首相ジャワハルラル・ネルー

日本の戦捷(せんしょう)は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。

(中略)五月の末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。

途中、ドーヴァーからの汽車の中で対馬沖で日本の大勝利の記事を読み耽りながら、私はとても上機嫌であった。[5]


・フィンランド大統領パーシキピ

 私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。
 
彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。

彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して聞かせた。

フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した。[6]


・トルコ

昭和四十四年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの古都ブルサに泊った時、ある古老が片言の日本語を混えて、「ジャポン! ニチロ、アラガート(日本の人たちよ! 日露戦争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。

続いて古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、息子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブールの街には、「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語ったそうであります。[7]


・ポーランド
 
大戦後、私(加瀬俊一氏)がヨーロッパの大使をしていた時に、東ヨーロッパの状態を見たいと思い、ポーランドを自動車で視察したことがあります。(中略)

それで、道を尋ねるためにある教会に立ち寄ったんです。

年輩の上品な神父が出て来てね、日本人だと言うと、「ああ、いらっしゃい。日本の車があちこち走っているって聞いてました」、そういって喜んでお茶を出してくれたんです。

そうしたら傍らに、小さい男の子が来てね。

それで私は、「君の名前はなんていうの」って聞くと、「ノギ」って言うの。

「えっ。ノギ?」。

すると神父さんが言うんです。「ノギというのは乃木大将のノギですよ。ノギとかトーゴーとかこの辺はたくさんいましてね。

ノギ集まれ、トーゴー集まれっていったらこの教会からはみだしますよ。」

「トーゴー」はもちろん東郷平八郎に因んでのことです。

ポーランドはロシアの悪政に反抗して、独立闘争に多くの血を流した歴史をもっているんです。

そのロシアを打ち倒した英雄に因んで名前をつけるわけです。
なるほどと思いました。[8]


・アメリカの黒人

日露戦争当時、黒人新聞各紙は、西洋帝国主義の重圧に苦しむ日本人を「アジアの黒人」と呼び、白人に挑む東郷艦隊を声援したり、一部の黒人社会では驚くことに、日本ブームが起きて、日本の茶器や着物も流行。

さらには、黒人野球チームの中から、「ジャップ」(当時、この言葉は日系人に対する侮蔑語ではなかった)を自称するチームも出ていたという。[9]


日露戦争は非白人が本格的な近代戦で白人をうち負かし、世界中の抑圧されていた人々の希望に火を灯した。

20世紀は、世界の諸民族が自由と独立を勝ち取った世紀として、世界史に記述される。

日露戦争での日本の勝利は、まさにその夜明けを告げる鶏鳴であったのである。


【引用ここまで】


▼そして、世界から植民地は消えた


1929年10月24日、ニューヨーク市場で株価が大暴落したのをきっかけに、世界恐慌へ突入。
 
これに対し、広大な植民地をもつイギリス、フランスはブロック経済体制をつくります。

アメリカは、ニューディール政策で危機を乗り越えようとしました。
 

一方、植民地をあまり持たない日本、ドイツ、イタリアなどは、世界市場からしめだされ、より深刻な危機に陥っていきます。
 
苦境の中で、ドイツではヒトラーが、イタリアではムッソリーニが権力を握り、ファシズム体制を構築していきます。

 
一方、日本は米英仏を見習い「円ブロック」を形成すべく、中国大陸への進出を加速させていきました。


1932年3月、満州国建国。
 
中国はこれに反発し、国際連盟に提訴。

国連は日本の行動を「侵略」とし満州国を承認しなかったため、日本は連盟を脱退。

国際社会から孤立する中で、日本は似た立場のドイツやイタリアに接近していきます。
 
こうして日中関係は悪化しつづけ、1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまりました。

 
日本の行動は、中国利権を狙うアメリカを怒らせます。
 
1939年、アメリカは日米通商航海条約の廃棄を通告。

クズ鉄・航空機燃料の対日輸出を制限し、日本経済に打撃を与えました。
 
また、アメリカ・イギリスは、日本と戦う蒋介石の中国国民党に物資を送り支援していました。

日本は1940年9月、このルートを遮断すべく、フランス領インドシナに進駐。

また同月、日独伊三国軍事同盟を締結します。
 
これによって、アメリカは日本を完全に敵国と見なすようになり、イギリス・中国・オランダと共に、資産凍結、対日石油禁輸などの経済封鎖で日本を追い詰めます。(いわゆるABCD包囲網)

日本はアメリカと、全面戦争回避のための日米交渉をつづけていきました。

しかし、同年11月26日、アメリカ国務長官コーデル・ハルから、「中国大陸からの完全撤退」を要求する「ハル・ノート」が渡されると、日本はこれを「最後通牒」と受け取りました。
 
12月8日、日本は真珠湾を攻撃。太平洋戦争がはじまります。
 
日本は、アメリカ・イギリス・ソ連・中国の大国連合と4年の月日を戦いぬき、1945年8月15日に降伏しました。

 
この一連の流れについて、日本ではさまざまな解釈がなされています。

私はここで、二つの点に言及しておきましょう。
 

まず、第二次世界大戦は、「善の民主主義国家」(アメリカ・イギリス・ソ連等)対「悪の全体主義国家」(日本・ドイツ・イタリア等)の戦いだったというのが一般的見方です。

これは大ウソ。
 

まず、民主主義国家群に、なんでスターリンの全体主義国家ソ連が入ってるのですか?
 
さらに、インディアンを虐殺し、黒人を奴隷にしてこき使い、日本に原爆を落として20万人を大虐殺したアメリカに、「悪の日本」なんていわれる筋合いはありません。
 
イギリスだって同じこと。

世界一広大な植民地をもっていたこの国に、日本の植民地支配を非難する道徳的根拠などないのです。


 
もう一つ、「自由・平等」という観点で見てみましょう。
 
絶対勝てない戦争に突入した無謀な国・日本は、世界が「より自由に」「より平等に」なるために、何か貢献したのでしょうか?
 
強調しておかなければならないのは、アジアは第二次世界大戦勃発時、ほとんどイギリス・オランダ・フランス・アメリカの植民地だったということです。
 
日本が参戦しなければ、アジアのほとんどの地域は、いまだに欧米の植民地だったかもしれません。
 
しかし、太平洋戦争の序盤戦、日本は破竹の勢いで欧米のアジア植民地を攻撃していった。

非白人国が、白人の宗主国を打倒している。

これを目撃したアジアの人々は、白人への劣等感を克服し、後に独立を達成する大きな力になった。

こんな風に、台湾の李登輝元総統、マレーシアのマハティール元首相、インドネシアのスカルノ元大統領などが語っています。


 「日本が欧米の植民地支配を終わらせる原動力になった」


とアジアの指導者たちは認識しているのです。

 
私たちはこれまで、アメリカGHQの洗脳と、中国・韓国の反発により、「日本がすべて悪い」と思いこんできました。


しかし、別の見方があることも知っておく必要があります。
 
経営学者ドラッカーは、その著書「新しい現実」の中で、第二次大戦とその後の世界について、「自虐史観」に染まった私たちが驚愕するような事を書いています。


 
<しかし、結局のところ最後に勝ったのは日本だった。
 
日本が採った道、つまり自らの主権の下に近代化、すなわち西洋化を図るという道が、結局西洋を打ち負かした。
 
日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。
 
軍事的には日本は第二次大戦において歴史上最も決定的な敗北を喫した。
 
自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。

しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。
 
日本は西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜することに成功した。
 
その結果、西洋はアジア、次いでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。
 
第二次大戦後、世界中の非西洋諸国が一八六八年の明治維新において日本がつくりあげたモデルを範として再出発した。

いずれも自らの支配の下に西洋化を進めた。
 
まさに、これこそ反植民地主義が意味したものだった。>(41~42P)

 

どうですか?
 
偉大な経営学者ドラッカーが、「世界から植民地が消えたのは日本のおかげだ」と断言しているのです。


▼今、私たちは「歴史」を創っている


どうですか?

歴史には、いろいろな事実があります。

しかし、同じ事実を、「日本が全部悪い」とみることもできるし、「日本は人類がよくなるのに貢献してきた」とみることもできます。


私がご紹介したのは、


「日本は、白人の世界支配を終わらせ、

人類の自由と平等に大きな貢献をした」


という見方です。


そして、今に生きる私たちが自覚しなければならないこと。

それは、「歴史は今もつづいている」ということ。

「私たち自身が歴史を創っている」ということ。


日本では今、「歴史見直し」がブームになっています。

私が今回書いた内容も、いってみれば「歴史の見直し」でしょう。

もちろん、歴史を見直して、ご先祖様を解放することは大切です。


しかし、さらに大事なのは、「よりよい未来」を作ること。


日本のために命を捨ててくださったご先祖様たちが、


「がんばってるな!

日本はいい国、世界で尊敬される国になっているな。

俺が命を捨てたかいがあったぞ!」


と誇りに思ってもらえる、国を創ることです。


終戦記念日の今日。


私たちは、日本を守るために戦ってくださったご先祖様に心から感謝します。

そして誓います。


私たちも、日本を守ることを。

そして、よりよい世界を創ることを。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
転載は以上です



相手の国を尊敬したり配慮したりしない国に対し、日本が配慮し続け、言うべき事も控えるというのは世界に対しては日本が誤解して下さいと言っている様なものになってしまいます。


中国や韓国の戦争に関しての批判など本来できる立場ではありません、なぜなら中国つまり毛沢東の中国(中共)も韓国も戦後に出来た国です、日本と戦った国ではありません、


当時の中国には蒋介石・王兆名・毛沢東という3つの勢力に分かれていたのであって中国政府というモノは存在していません、ですから日本が戦ったと言えば蒋介石の国民党であり、その蒋介石を追い出したのが今の中共ですから、日本は彼らの対象ではありません、


また韓国も戦争当時は日本と共に戦ったわけで、日本と戦ったわけではないのです。


それが両者とも日本と戦争をして来たかの様な論調を世界に吹聴しています、何故彼らがこうもするか、これはあくまで日本人の考える常識ではなく、中国の覇権を狙う国の方針として敵対する様に持って行こうとしているわけで、自身が戦争をしたいのを相手を怒らせて戦争をけしかけ戦争責任を相手に負わせるという国家的作戦を追行しようとしているわけですから、仲良くとか、分かり合うなどという事は出来ようがないわけです。


特に中国・韓国とも内情は益々悪くなりつつありますから、国内の不満を外に向けるべく日本を戦争に引き込もうとする中韓政府の意向は強くなっても弱まる気配はないと思われます。


特に中国に関しては宮崎正弘の国際ニュース・早読み」http://melma.com/backnumber_45206_5874183/

平成25年8月11日通巻第3998号

で興味深い中国の内情を書かれています

(抽出開始)

日中戦争勃発の可能性である。

可能性は高いが、中国の其れはむしろ「借刀殺人」である、という。
 

ベトナム戦争しかり。中国は対越戦争を懲罰戦争などと言いつのりトウ小平は、じつは林彪の部隊を最前線に送り込んで、「ベトナム軍の力をかりて殺して貰う目的があった


 ということは尖閣戦争でも、「それは習近平が日本の手を借りて団派(中国共産主義青年団出身者からなる派閥)や上海閥を消滅するのが目的」に置き換わるだろう、と大胆な分析予測を展開する。


 なんとも中国人が本当に考えていることは複雑で面妖なのである。なにせ戦争を煽って部隊に司令しながらまっさきに逃げるのは司令官。それが中国の戦争の遣り方だった。「愛国」などと虚言を吐く連中が、BMWやベンツに乗り、どら息子らはフェラーリやらランバルギーニに乗っている矛盾をわれわれは日々、目撃しているように。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(転載は以上強調部は末による)


興味深い宮崎氏の指摘ではないでしょうか、

この様な状況を考えますと、8/15を起点として、反日や抗日を言う中国や韓国の2国の意図に利用されない事はもちろんですが、日本がどのような国か、アジア諸国にも日本がいるから大丈夫と思われる様な体制作りが迫られているのではと思われる分けなのです。





はげみになりますので宜しくお願いいたします

ブログランキング・にほんブログ村へ ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村



ニコニコ記事一覧http://ameblo.jp/matsui0816/entrylist.html