松井秀夫のブログでセミナー
滋賀県にある「地震の間」に学ぶ!
その1
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http://ameblo.jp/matsui0816/entry-10199305923.html
「地震の間」がある彦根城の
楽々園を見学させて頂きました
近江の国(滋賀県)には彦根市にあります彦根城の楽々園に「地震の間」というところがあるんです。
これは、地震の間を正面から撮影させてもらったものですが、いわゆる築山になっています。
書院からここに入るのには、少し高くなっていますので、階段があるんですが、ここを高くしているのにも、なるほどというモノがある事を縁の下を見た後、学んだのですが・・・詳しくは明日のパート2で!
先に、お断りを申し上げます。
私は勝手に入って撮っていると思わないでください、そんな事はしてませんので、
キチンと近江八幡市の文化財課の方から、彦根市教育委員会の文化財課をご紹介いただいて、職員の方同行で見せて頂いてますので・・・
(近江八幡市と彦根市の文化財課にはこの場より感謝申し上げます)
さて楽々園と言えば井伊家の下屋敷との事です。
最初は「御書院」というところから入りまして、次に「地震の間」、「楽々の間」と見せて頂いたのですが、他にも「雷の間」、「新東西の間」や「鳰の間」などと称せられてます、江戸時代後期の数奇屋建築が今も現存しています。
楽々園は有名な玄宮園のもう少し奥にあり左の写真のお堀端をすこし歩いたところです。
楽々園は写真左の御書院から、それにつづき写真右の地震の間になって、さらにその他の間に続いています。
昨年もブログで石部にあります国宝の常楽寺につきまして書かせて頂いてますが、そこで国宝や重要文化財の維持の難しさについて取り上げてますが、ここにも独自の難しさがある事を知りました。
それは、市が民間に貸しておられたという事がその要因だそうですが
とにかくも、そうとは知らずにまず御書院に入りますとこんなでした!
立派な御座所ですね、それに廊下は畳敷きになってます、これは私が京都で修業していた時に南禅寺の近くにあります、九州の大名、細川公の別邸もそうでしたね。
その、御座所からの見た、外の眺めです。
説明では、左の写真の囲いのところまで、琵琶湖の湖水が来ていたそうです。
やはり、水はほしいですね。優雅な感じだったんでしょうね。
早く一般公開もして頂ければと思いますね。
その、御書院の一角に、地震の間の精巧な模型が置かれてました。
細部にわたりまして、大変良く出来ています。
お陰で構造を理解する上でとても参考になりました、有難うございました。
ただ、この写真のように、これまでの保存に問題があったために、この襖絵もそうですが、汚れや痛みがひどいところが多くあるのです。
もう少し早く市に返還されていたら、とは、今更おそいですが、
維持に関しての借りているモノへの規則は、明確にされていたのでしょうか、また借りてる方も、私的なものに考えて、維持の注意は、従になってしまったんでしょうか、
先祖の遺産には、残す側の、なぜ残すものなのかの意味を今一度明確に示す事が大事ではないかと思いました。
関連ブログ
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http://ameblo.jp/matsui0816/entry-10200079337.html
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ではまた明日!