キュンパスで青森入り。
津軽地域を散策した翌日の旅日記です。
キュンなオッサン2人旅☆青森編(往路) | まつ子の気まぐれ旅日記 (ameblo.jp)
雪面の飛び魚(スノーシューズ)を履いてきた私。
前日は積雪や凍結も無く「飛び魚威力」も発揮は出来なかったものの
未明は冷え込みと降雪があった様子で新雪とブラックアイスバーンの弘前駅前。
私のスノーシューズも「氷面の飛び魚」として威力を発揮できそうです。
弘前城から南西へ歩くこと20分。黒い門の後ろには杉並木の沿道が続いています。
そう。弘前城の裏鬼門の方角。
奥に長勝寺様。その沿道には33寺が並ぶ寺町。禅林街と呼ばれる地域です。
長野の善光寺様の参道の様な雰囲気なのかな?
山門を潜らせていただき境内へ。
御本堂の画像を撮影したのですが消失。お参りもせずに撮影優先でしたから怒られてしまったのですかね?
雪積もる境内に足跡を残しつつ参拝をします。
お参りをさせていただく、賽銭箱は何処かと御本堂を進むと「 型に延びる御本堂内。
入口で御挨拶をさせていただいた気さくな ご住職様なのか「打って良いですよ」と記された鐘。
由緒あるお寺様ながらアットホームな雰囲気です。
山門の右手の高台には墓石が。満州事変以降の戦没者の魂が眠っているという。
当初は遺骨や墓石は北側の平地に野積みに放置され、真珠湾攻撃間近の夏に慰霊塔を含み合葬墓として設計が始まったという。
国策を含め、駆り出された戦時中。
当時の思想もあり、甲乙は付けられないのでしょうが
「平和」という結論を基に政治や思想の左右されることなく幸せに過ごせる明日であることを願います。
長勝寺様からは弘前城のお濠沿いを歩いて30分。
「津軽藩ねぷた村」に到着。弘前ねぷたを知れる史料館です。
館内では津軽三味線の演奏会の他「弘前ねぷた」についての解説会。
「ねぷた」も「ねぶた」も「眠たい」が訛って祭りの語源に。
当時は夏の農家の多忙時に睡魔を灯篭にみたてて、川に流した「眠り流し」の行事が起源とのこと。
他地域の山車灯篭とは違い、弘前ねぷたは扇形なのが特徴。
灯篭絵はひと夏限り。毎年、木枠の骨組みだけを残し全てを貼り替えるという。
なので、年毎に違った山車灯篭の芸術を楽しみにする市民の多いとのこと。
弘前ねぷた祭の開催は8月1~8日と青森や五所川原より長い期間催されるので
時間にゆとりがあれば、祭りのハシゴをして弘前の「ヤーヤドー」という迫力ある光景を見に訪れたいものです。
午後からは新幹線で八戸へ移動。
新幹線も気軽に乗車が出来る「キュンパス」は有難い存在です。
在来線への乗継時間でランチタイム。「八戸らーめん」をいただきます。
海の街らしく煮干しと鶏ガラや野菜で出汁を取った醬油ラーメン。
青森方面のラーメンの特徴でもある細ちぢれ麺との相性もあり、どこか懐かしい味わい。
昨日からのアルコール摂取で疲れた体内に優しく溶け込みます。
癒される美味しさに ごちそうさまでした。
食後は八戸線に乗車をし…。
鮫駅で下車。
珍しい地名ですが、この三陸沿岸地域って鮫の漁場なんですよね。
過去に沿岸の地域で鮫に触った事がありますが、紙やすりの様なお肌。鮫肌であった印象です。
漁港沿いを10分ほど歩くと蕪島(かぶしま)が見えてきます。
3月が近くなると「ウミネコ」が飛来し、春の訪れを知らせてくれます。
「島」とは名が付きますが、漁港のある集落と陸続き。
かつては橅の花(アブラナ)の咲く島でありましたが、戦時中は近隣が海軍施設であったこともあり
埋め立てられ陸続きになったそうです。
島の頂上に鎮座するのは「蕪島神社」様。
山に積もった雪以外の白色はウミネコたち。
微妙に違う毛並みのウミネコの姿。「白って200色あんねん」という名言も頷ける気がします。
狛犬の様にウミネコが鎮座
手水舎の石板とウミネコ
どこを振り向いてもウミネコの姿が目に入ります。
ウミネコからのウンを貰う前に蕪島神社様を参拝。
弁財天や漁業の守り神として知られています。
東日本大震災では境内の被害は少なかったものの、震災4年後の火災により消失。
2020年に青森県内の木材を使用したという社殿が再建され、地域の守り神とウミネコたちの繁殖の場となっています。
そろそろ夕刻。新幹線の予約時刻もあるので、
多くのウミネコたちに見送られ、八戸市内へと戻ります。
復路の新幹線。到着した車両は…H5系
数少ないJR北海道所有の車両です。
先ほど乗車をしたJR東日本のE5系と内装は共通ですが、北海道を模したロゴと帯がラベンダー色なのが特徴です。
車内で駅弁で晩餐。三八弁当をいただきます。
その名の通り、沿線の「三沢」と「八戸」で水揚げされた海鮮弁当。
三沢の昼イカと呼ばれる「赤とんぼ」の品種を一夜干しに。添付の「イカのわた」をソースにいただきます。
八戸ブランドの銀鯖は程よい酸味の〆鯖に。敷き詰められた酢飯との相性も良く箸が進む美味しさです。
車内が発酵の香りが漂ってしまうので日本酒は避けましたが、日本酒との相性は抜群な駅弁なことでしょう。
旅の最後の晩餐。大満足にごちそうさまでした。
無事帰宅。
今回は新卒の頃に務めていた旅行会社の同期とのオッサン二人旅。
お互いに仕事で各地は巡って居るのしょうが、プライベート旅とあって気兼ねなく満喫できた2日間となりました。
歴史や文化。地域の味覚と温暖化の進む環境など、学びと言う引き出しもひとつ蓄えられました。
今年もまもなく3月11日。
東日本大震災より13年という歳月を迎えます。
この旅でも「震災から復興をしたとは言うけれども、生活環境は変わった」という話を聞きました。
新年の能登半島地震では「13年前の光景を見ているかの様だった」と前置きをされ
『何故に津波警報が出ているのに車で避難するのだろう』と嘆きの声も耳にしました。
このところ、千葉県沖を震源とする地震が多くなっています。今一度過去を思い出し、減災に繋げられればと思います。
今回も旅日記の閲覧をいただきありがとうございました。