第2次大戦、ルーズヴェルトがおかした愚行と大罪「日本よ歴(れっき)とした独立国になれ」対談その2 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

「日本よ、歴(れっき)とした独立国になれ」…著者の山下英次博士との対談の第二弾を配信しましたが、今回はルーズベルト大統領(FDR)がいかに大きな過ちをおかしたかの歴史的事実に焦点が当たりました。

対日戦争も含め、しなくてもよかった第二次大戦をソ連共産主義の掌に乗せられて仕掛け、戦後に中国共産党はじめ多数の共産主義・社会主義諸国群を誕生させてしまった。

当時の米国の初歩的、根源的な戦略的失敗が惨禍をもたらした世紀が20世紀だった。

米国が正気に戻ったのは、戦後、ジョージ・ケナンの長文電報でしたが、当時から識者たちは、米国民の意思にも反して対日戦争を仕掛けたFDR率いる米国の間違いに気づいていたようです。

私たち日本人も、「日本=悪、米国=善」との認識が根本的に逆であることを知ることから、先の大戦に対する認識や戦後史観を転換させなければならないでしょう。

FDRの過ちは国際通貨政策から始まったようです。経済も歴史も知らない、愛想だけ良い政治屋が一国のトップに立つ愚も、この番組は伝えています。

今回は本書の根幹をなす第4章について山下氏と語り合いました。

 

◆『日本よ、歴(れっき)とした独立国になれ その2 ~第2次世界大戦、フランクリン・デラーノ=ルーズヴェルト大統領がおかした愚行と大罪~』ゲスト:大阪市立大学名誉教授、国際政治経済学者 山下英次氏

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●両大戦間期は国際通貨体制の立て直し努力、それを台無しにしたFDR

・ロンドン世界経済会議、1933年6月:目的=大恐慌への対応、変動相場制になってしまった国際通貨制度の安定(立て直し)。米国も協力を期待されたが、ルーズベルト大統領は出席せず…世界経済会議の安定化努力を踏みにじった。

 

;2つの爆弾宣言(1933年3月、大統領に就任した直後)

➀1933-06、「米国は、現時点ではいかなる(通貨)安定化合意にも同意しない。」

②1933-07、「(米国としては、)あらゆる通貨と通貨の間の関係よりも、国内の健全な経済が重要である。」

「(通貨の)安定化は、いわゆる国際銀行家の古い崇拝物(old fetishes)に過ぎない。」と言い放つ。

→従来の米国の政策とは正反対のもの

→ロンドン世界経済会議は、しばらく休会に追い込まれ、最終的には何の成果も得られずに閉会

 

・結局、国際通貨の立て直しに失敗したことで、世界経済はブロック化へ。

;ポンド圏(sterling bloc)の宣言、1933年7月~

;フランス中心の金ブロック圏、1933年7月~

;ドイツの閉ざされたライヒス・マルク圏

;そもそもの原因は米国の悪名高い保護貿易主義的「スムート=ホーリー関税法」、1930-06→世界的関税引き上げ競争に。

・実体経済で関税引き上げ、通貨はブロック化。

 

・1930年代の世界経済の大恐慌の原因は、1929-10-24の米株価の大暴落(「暗黒の木曜日」)これは、1920年半ばからの米フロリダ不動産に対する米英の投機から始まり、やがて株価に波及。

・アングロ・サクソンは、ブーム&バーストを繰り返してきた。

;1800年~2008年の209年間の銀行危機の国別発生回数…

米=15回、英・仏=13回、伊=12回、カナダ=8回、日本・スペイン=7回、ドイツ・スイス=4回→いちばん多いのは米英。

 

・FDRは、その頃、ドルの大幅な切り下げを企図しており、それを実現させるために、意図的に、ロンドン世界経済会議を葬り去ったのは明らか。

・1934-01、米国の「1934年金準備法」の成立

;金本位制への復帰(1933年4月、金本位制から離脱していた)

;ドルの金平価の一方的かつ大幅な切り下げ(40.94%)金1オンス=$20.27

→ニクソンショックと似たようなこと。金1オンス=&35.00(金兌換は保証)となった。

➡37年後の1971-08-15、金兌換停止(ニクソン・ショック)

=ブレトン・ウッズ体制の崩壊

 

・大恐慌を引き起こした張本人で、世界経済全体に甚大なる影響を及ぼした米国が、両大戦間期の経済立て直し努力に背を向けた。

→ここでも、米国が第二次世界大戦勃発の誘因を作った。=FDRの愚行と大罪

 

;FDRは、そもそも経済学が分かっていない。

ニューディール政策は主として経済政策だが、経済のことが良くわからないのに実施→大失敗。自分でも失敗は分かっていて、それで戦争に…

大恐慌以前を取り戻したのは1950年代。

●FDR はどういう人物だったのか?(1)

政治家(statesman)にあらず、政治屋(politician of a sort)。

知的でなかった。大衆の人気を煽り、愛想がいいが、どうも信用できないと言われた人。

;「FDRが、まともな本を読んでいるのを見たことがない」幼な馴染みや近親者の証言

そもそも、歴史を良く知らなかった

;愛想がとてもよく、人を引き付ける魅力はある

;声に艶があり、ラジオの国民向け「炉端談話」は人気を博した。

 

・ウッドロー=ウィルソンとの共通点

;FDRは、長年、ウィルソン政権下で海軍次官を務めた

;基本的に進歩主義者…新しい枠組みを夢見る傾向

ウィルソンの国際聯盟→FDRの国際連合、国連のトップになりたかった。

ソ連と新たな世界の枠組みの構築?

;両者とも、独裁的な政権運営、かなり偽善的

・両者の違い…ウィルソン…実力で博士号を取った唯一の歴代大統領。

;FDR…平たく言うと、余り勉強が好きではない。

 

●第二次世界大戦は避けられた不必要な戦争だった

・ウィンストン・チャーチルがそう言っている。

;1942年のある日、FDRからこの戦争を何と呼ぶべきか問われ、即座に、「不必要な戦争」(”the unnecessary war”)と答える(『第二次世界大戦回顧録』第1巻)

;「今度の戦争ほど、防止することが容易だった戦争はかつてなかった。」

 

・チャールズ・ウィロビー少将(GHQ/ G2部長)、マッカーサーの部下

「この回想記を書くにあたって、私がまず第一に言いたいことは、太平洋戦争は行われるべきではなかった、と言うことである。米日は、戦うべきではなかったのだ。日本は、米軍にとって本当の敵ではなかったし、米国は日本にとっての本当の敵ではなかったはずである。」(『知られざる日本占領』、pp. 15-16)

「あの不幸な戦争の結果、ソ連の指導による破壊が今は我々の頭痛のタネ。」

・ドイツ=欧州における共産主義の防壁だったはず。日本=アジアにおける共産主義の防壁だったはず。

→米国の初歩的、根源的戦略的間違い

 

・終戦後、直ぐに東西冷戦が開始

=FDRが、そもそも戦うべき敵を取り違えたことの証左

;チャーチルの「鉄のカーテン」演説、1946-03

;対ソ封じ込めの「トルーマン・ドクトリン」1947-03-12

*これらの動きの契機=1946-02-22、ジョージ・ケナンの「長文電報」(8,000ワーズ)

;ソ連は味方ではなく、警戒すべき存在であるとする内容を、モスクワからワシントン D.C.に打電→大きな影響

→米国がようやく正気に戻った瞬間

 

●レーニンの掌で踊らされたFDR

・1920-12「レーニンの基本準則」;「資本主義国同士を戦わせ、互いに弱体化させた上で、ソ連が最後の一撃を加え、世界革命を実現させる。」

→FDRは、このシナリオ通りに動いてしまった=資本主義の強国同士の戦争

・ソ連にとっては、願ってもないことが起こった。

 

●戦うべき相手を取り違えたFDR

・1930年代後半、欧州の指導者の多くは、「スターリンよりヒトラーの方がまし」と考えていた(A. J. P. テイラー『第二次大戦の起源』、1961年)。すなわち、

・スターリン;1936年8月、第1回モスクワ裁判=大粛清の開始。

;第2回モスクワ裁判(1937年1月)、第3回=1938年3月

→この時点で百数十万人を虐殺していた。

・これに対し、ヒトラー;ユダヤ人の虐殺は、WW 2 開始(1939-09-01)後

→ 欧州の指導者たちの判断は当然のことだった。

 

・それにもかかわらず、ソ連を味方につけ、日独を叩くことを決めたFDR

;全体主義国は許さないと言ったが、ソ連は、全体主義国ではないとでも言うのか?

共産主義を理解していなかった。

「役に立つ間抜け」(共産主義者から見ると)

 

・WW2 前の社会主義国=ソ連とモンゴル人民共和国の2カ国

→WW2 後の社会主義国=ピーク時には41カ国

→ 自由主義世界全体にとって大惨事 !!

;ひとえに、FDRの愚行によるもの=「20世紀最大の愚行」=初歩的かつ根源的な誤り

 

・WW2の勝者

;ソ連・・・社会主義圏の大幅な拡大へ

;中国・・・中華人民共和国の誕生←米国の失策による

・日欧などは勝者とはいえない。

・戦後、GHQ政策の180度旋回、レッド・パージなど←FDRの過ちの証左

 

・東京裁判で、米国が日本を「平和に対する罪」で裁いたなど笑止千万 !!

;裁かれるべきは、FDRと彼を4選までして選んだ米国民

;日本は、米国に対して悪びれる必要など全くない

・米国民をも欺いたFDR、今でも米国民は騙されている。

;戦争前に、85%の米国民、75%の連邦議会議員が米国の参戦に反対。

;米国民を欺き、戦争に引きずって行ったFDR

 

・1945-11-26、「ハル・ノート」の秘匿

1945-11-25、6者会議(FDR、ハル国務長官、陸軍長官、陸軍参謀総長、海軍長官、海軍作戦部長)

→日本にいかに最初の一撃を撃たせるかを協議、結果としてハル・ノートになった。