大阪都住民投票とは何だったのか~提起された民主主義と地方自治をめぐる論点~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

賛否両論、真っ二つに分かれて争われた選挙で、政権側が僅差で敗北。この点では、まるで今回の米国大統領選挙のようですが、大阪都構想の敗因の一つがコロナだったことも両者の共通点かもしれません。メディアによる政権批判キャンペーンが激しかった点でも似ています。

ただ、大阪市を廃止して4つの特別区に再編する「大阪都構想」とは、本質的に有権者にどんな選択を問うものだったのか、報道こそ活発でしたが、いま一つ、わかりにくいものだったことは否めません。

住民投票の敗北を受けて、日本維新の会と大阪維新の会の代表を務める松井一郎・大阪市長は「けじめをつけなければならない」と述べ、2年半残る任期を全うして政界を引退する意向を表明しましたが、橋下徹氏が提起してからこれだけ長い間、この構想が世間を騒がせたからには、このまま、はい終わりというわけにもいかないように思います。

と言うのは、この提案には、「民主主義の学校」とも呼ばれる地方自治の現行制度や、国の統治機構に関わる重大な問題提起が含まれていたはずだからです。

この点も含め、以下、今回の住民投票とはいったい何を意味するものだったかについて、少し考えてみたいと思います。

 

●間違った試算の意図的なリークと「コロナ脳」が導いた大阪都構想の否決

 そもそも大阪都構想とは何なのか、中身をよく知らない住民が大半という調査結果もありました。維新と公明党が担ぐこの構想に対して自民党(大阪府連)と共産党などは猛反対、立憲民主党やれいわも加わり、有識者たちからも反対意見が続出、この構想をつぶそうとするキャンペーンが活発に行われました。

投票日の少し前に、松田政策研究所チャンネルで、私にとっては旧知の仲である足立康史、藤田文武という維新の両衆議院議員との鼎談を行いましたが、これは、有権者が正しい情報に基づいて自分たちの運命を選択するという本来の民主主義のあり方に対して、何某かの貢献をすべきであると考えたからでした。

私も、藤井聡氏を始め著名な反対派の主張を確かめてみましたが、(残念ながら?)、ウン、なるほど、これは使えると納得できるほどの筋の通った論理的反対理由はあまり見出されなかったように思われます。そこには感情的な維新嫌いも入り混じったネガティブキャンペーンや、既得権益擁護の要素が目立つような印象がなきにしもあらずでした。

他方、お二人の維新議員の話をよく聞いてみると、話の筋としては維新のほうが論理的な組み立て自体はしっかりしていると感じさせるものがありました。

 投票結果において決定的に維新側に打撃を与えたのが、「大阪市を四つの自治体に分割した場合、コストが218億円増える」とのメディア報道だったと言われています。これは大阪市財政局が毎日新聞社にリークしたもので、大阪市という政令市を4つの政令市に分割すると基準財政需要額がそれだけ増えるという数字でした。

しかし、今回の住民投票で問うていたのは政令市ではなく、特別区への4分割。そうであれば、交付税算定の基礎になる基準財政需要額は増えないことは、地方財政の制度を知る者であれば常識です。

プロである財政局職員がそのことを知らないはずはなく、市長の了解なきまま市役所の職員が意図的に、しかも間違った内容を流したもの。既得権益を守りたい側の労組も含めた「中之島グループ」?によるクーデターだったといえるでしょう。毎日新聞は自らが「報道機関」なのか「情報工作機関」なのか明らかにせよ…との心ある声も出ていました。公職選挙法違反の疑いすらある行為かもしれません。

ただ、少し前までは可決の公算大と言われた都構想。やはり、否決の根底にあったのはコロナだったのではないかと思います。集会もままならない中、維新側も住民への浸透に苦労していたことに加え、「コロナ脳」が人々の心理を消極的にさせ、社会全体に不安が漂う中にあって、住民に未来への積極的な選択を躊躇させたことも大きかったと思います。

なぜ、今やるのか、こんなコロナのときに?維新の側としては、次の衆院選で4つの小選挙区で候補者を立てないことで公明党を取り込んだ以上、いつ行われるかわからない解散総選挙を前に、住民投票を急がねばならない事情がありました。

 

何が本当の論点だったのか

大阪の住民には「大阪市」がなくなることや、行政サービスが低下しないかとの不安があったようですが、提案者たる維新としての論旨を私なりにまとめてみると、

①今回の提案は行政体制を変更しようとする組織論に過ぎず、これによって住民への行政サービスが変わるものではなく、それは論点ではない。

②推進派と反対派の間で論争の焦点となっている財源論、つまり、二重行政をなくすことによってこれだけの財源が浮いて、それだけ投資を増やして豊かになれる…との試算値の是非は、推計のパラメーターをどう置くかによって結論はいかようにも変わりうるものであって、水掛け論の域を出ない。

③行政の担い手として大阪府と政令指定都市である大阪市との両者が併存することで、行政や各種プロジェクトに不整合が発生するのは、現在のようにいずれの首長もが同じ維新のもとでも、組織の論理として不可避である。ただ、それも運用のやり方いかんによる面があり、本質論ではない。

④現在の大阪市エリアが政令指定都市ではなくなることによって、政令指定都市が基礎自治体(市町村や東京都の各特別区)を上回って有している機能や財源が大阪都に移譲されてしまい、それが府下の、現在の大阪市エリア以外の各市に回ってしまうことで、大阪エリアの住民は損をすることになるとの傾聴すべき反対論がある。

しかし、現実をみれば、大阪市は他のエリアと城壁で隔絶された地域ではない。むしろ、経済活動も日常生活も、周囲の「衛星都市」との間でヒト、モノ、カネが行き交う中で成り立っている。大阪市の昼間人口は夜間人口をはるかに上回っている。人々の活動が広域化すれば、行政もより広域の単位で営んだほうが資源配分の全体最適を達成しやすくなる。

行政制度とは本来、これを実態に合わせるよう不断の努力がなされるべきものである。大阪市は自らのエリアを超えて、周辺との間でより広い相互依存関係にある。鉄道や道路、エネルギー供給などのインフラ整備を思い浮かべても、相互依存関係にある地域において全体として最適化が図られることが、現在の大阪エリアの住民にも、それ以外の住民にも裨益することは明らかであろう。

ただ、主として基礎自治体が担っている福祉や義務教育といった住民に身近な行政サービスは、上記の意味での一種の「規模の経済」とは異なる論理の世界である。これらは住民に身近なところで、きめ細かく提供されることが望ましい分野だ。

⑤むしろ、今回の住民投票で本質的に問われていた選択とは、こうした基礎自治体における住民自治の強化を選択するかしないかであった。

 

●問われていたのは「民主主義の学校」としての住民自治の強化であった

もともと私も(旧「たちあがれ日本」系とはいえ)維新所属の国会議員として大阪都構想を担いで、前々回の堺市長選のときなどは党の指令で堺市に乗り込んで住民に直接、アピールしたことすらありました。そのときに私が強調していたのが、この住民自治の視点でした。当時、接触した堺市民は、その話は初めて聞いた、それならわかる、でも、もう遅い…その時も堺市長選は維新が敗けでした。今回、足立、藤田両氏の話を聞いて、維新自身がよく住民に説明しきれていないのは、いまも同じではないかと感じたものです。

つまり、私自身がかつて横浜市で育ち、横浜を政治活動の地盤にしていた経験からみると、同市は全国一の人口375万人で一人の首長(横浜市長)を住民が選挙で選んでおり、自治体首長を選ぶ住民の一票が最も軽い自治体であることになります。私の選挙区であった同市の港北区とか都筑区の区長は、人事ローテーションで交代する横浜市役所の職員。住民が選んだ長ではなく、住民が選挙で選ぶ区議会もありません。

これと同じ意味で、全国二番目に住民の一票の重みが軽いのが、人口が274万人と全国で二番目の大阪市。これを東京都と同じく、住民が首長も議会も選挙で選べる4つの特別区へと分割して、住民がより少ない人口でより身近なところで民主主義をやって、住民自治を実現できるようにすることが大阪都構想の本質であるはずです。

つまり、いまの大阪市の住民からみれば、住民が主役となって住民の声を行政によりきめ細かく反映できる体制にしようとすることが、この構想の肝。

その結果として、全体としての行政経費が何百億円増えようが減ろうが、それは新体制のもとで新しい首長や議員たちが決めることであって、それよりも、「民主主義の学校」とも言われる地方自治の機能をもっと徹底させようとするかどうかが問われたのが、今回の住民投票だったのだと思います。

このことを良しとするかどうかは大阪の有権者が選択すればよいことです。大事なことは、今度の住民投票で何が本質的に問われているのかを有権者が理解していたのかどうかでしょう。

 

●重要なのは国家観と全体ビジョン…これを示せない維新は地域政党にとどまる

ただ、これだけ維新が反対派から叩かれてきたことについては、維新の側にも色々と問題があるからであるのも事実。今回の選択が、維新が掲げてきたような道州制につながる一歩だったとすれば、全国レベルで関心を持つべきは、そうした統治機構全体について維新がどう考えているかのほうです。

と言うのは、問題があると述べた一例として、最近、橋下徹氏や大村愛知県知事が「関西と中京は将来、国からの独立を目指すべきだ」と発言していることが挙げられます。地方の自立は大事ですが、これでは、国家を分断して「独立」…?

そんな発想につながるものがあるとすれば、地方から日本国家の分断を現に図ろうとしている中国共産党が喜ぶだけ。従来より、党の幹部から、およそ国家観の感じられない不見識ぶりが露呈することが多かったことが、せっかくの保守系の維新への応援を盤石なものにできないできた一因だと思います。

私が維新にいた頃は、道州制を担ぐ条件として、地方にできることは地方に任せるとして、他方で、国には国にしかできない機能がある。これまで戦後システムのもとで弱体化していた国家機能の強化が伴わねば、道州制はあり得ないことを主張していました。

この車の両輪あってこその地方の自立。そうでなければ地方の繁栄もありえないのが現在の国際情勢。これは中国によるSilent Invasionの実態ひとつとっても明らかです。

豪州でも、日本では大阪市にあたるメルボルン市を州都とするビクトリア州が勝手に独自の外交に走ることで、中国による一帯一路に豪州が組み込まれかねない事態が発生したという事例があります。もし、理屈の面では大阪都構想に軍配が上がるとしても、国家全体の統治をどうするのかということと整合的な説明ができないようでは、維新はいつまでも大阪の地域政党にとどまってしまうのではないでしょうか。

いずれにしても、今回の大阪都構想をこのままで終わらせれば、日本は既得権益を前に未来への選択ができない衰退国家というレッテルが貼られてしまうかもしれません。

 

●問われるべきは地方制度の全体像の議論

もともと都道府県とほぼ対等の権限を持つ政令指定都市制度には、論ずべき点が多々あります。それは三つの政令指定都市(横浜市、川崎市、相模原市)で大きな穴だらけの神奈川県の知事が「私は西部県知事」(松沢成文・前神奈川県知事)と自嘲していた通りです。

横浜市などが提案しているように、政令指定都市を都道府県から切り離して独立させる「大都市制度」も、選択肢の一つとして議論すべきかもしれません。

大阪市でいえば、大阪府から大阪市が独立して、大阪府は大阪市以外のエリアのみとなることになります。しかし、都道府県を代表する政令指定都市が抜けて、ど真ん中が空洞化した都道府県とはいったい何なのか?という素朴な疑問が出そうです。都道府県制度全体の見直しに発展する議論になりそうです。

いずれにせよ、「大阪都」も、神奈川県から独立した「横浜都」?も、これと道州制との関係が不明です。下手をすると、現在は「国-都道府県-市町村」という3層構造になっていますが、これが、「国-道州-州都としての大阪都や横浜都や東京都-それらの特別区や市町村(基礎的自治体)」という4層構造になりかねません。これは避けるべきでしょう。

ならば、「〇〇都」は道州から独立した存在になるのか?そうなると、今度は、道州制の基本設計と矛盾することになります。と言うのは、そもそも道州制とは、中心地(州都)での集積のための裾野を広くとって、中心地の集積を通じて発展することで、世界に伍する競争力を有する広域経済圏を生み出すことが、その本質的なエコノミクスだからです。

下図は、私が維新の国会議員の頃に、国会審議用に作成していたものです。

少なくとも道州制を唱える限り、こうした全体像をまず明らかにすべきですが、私が知る限り、維新から何らビジョンが示されてこなかったことも付言しておきたいと思います。

 

以上、今回の大阪都構想住民投票に関しては、以下の動画をご参照ください。

 

松田政策研究所チャンネルより

・「足立、藤田両議員に訊く、決戦間近!どうなる大阪都構想」(ゲスト:日本維新の会 衆議院議員 足立康史氏・藤田文武氏)↓

 

・【松田学】号外【ニュースを斬る!】大阪都構想否決!地方自治の今後と菅政権への影響↓

 

・「大阪都構想否決!菅政権への影響は?」(ゲスト:アゴラ編集長 新田哲史氏)↓

 

チャンネル桜ビデオレターより

・【松田学】欧州のロックダウンと集団免疫 / 大阪都構想を巡る議論の問題点 / 米大統領選挙の行方[R2/11/10]