動画ろんだん@松田政策研究所㉟~いまこそ知るべき日本民族のアイデンティティと歴史の真実~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

個別改革実務型と言われる菅政権、菅総理ご自身の国家観がみえないなどと言われます。しかし、米中デカップリングの国際情勢の中で、中国が日本にも「Silent Invasion」を着々と仕掛け、沖縄や北海道などでも分断工作を進めているとも指摘されているこんにち、いまこそ、政権にも私たち日本人自身にも、自国のアイデンティティについての明確な自覚が問われている時はないかもしれません。松田政策研究所チャンネルでは既に、8月の終戦記念日特集として先の大戦についての歴史の真実を探求する対談番組を何本か発信し、この動画ろんだんでもご紹介しました。

今回は、日本の歴史の真実について、さらに多角的な視座から6本の対談番組をご紹介します。登壇する論者は、

・菅総理が官房長官在任時に推進したとされるアイヌ新法が提起する深刻な問題を切り口に、日本民族の由来についての正しい認識を訴える宇山卓栄氏

・沖縄で進行する中国によるSilent Invasionの実態を赤裸々に語る仲村覚氏

・インドネシアの独立戦争を日本兵たちが戦ったことで戦後の国際秩序を築いたという日本の歴史的偉業について語る葛城奈海氏

・このインドネシアの油田確保に快挙を遂げた落下傘部隊が物語る日本の歴史の一面を鋭く指摘する奥本康大氏

・天皇がなぜ万世一系の男系でなければならないか、歴史的な根拠を説く小名木善行氏

・その天皇と国体を守ったのが明智光秀であり、歴史は改ざんされ続けていることを説いた宮崎正弘氏、

以上6人の方々です。

 

●<対談>宇山卓栄(著作家)「アイヌ人など存在しない、日本民族としての政治・教育~アイヌ先住民族説、弥生人渡来説のウソ」

保守派の期待の星だった安倍政権を継承するとしている菅政権に対して、保守派の方々が抱く懸念の一つとして指摘されているのが、菅氏が官房長官として推進したとされるアイヌ新法(昨年の国会で可決成立)。アイヌといっても多くの国民には遠い話かと思いますが、実は、沖縄と同様、外国勢力によるSilent Invasionと日本全体の安全保障に関わる深刻な問題とされています。

この法律でアイヌ人が正式に「先住民族」とされましたが、これは歴史の改ざん。こう述べる宇山氏は、単なる歴史問題だけでなく政治問題に直結してくる問題だとしています。

よく、「あなたは縄文人?弥生人?」などと酒席で盛り上がったものですが、これは日本人の由来に関する危険な「二重構造説」として、現在では科学的根拠をもって否定されています。重要なのは、私たち日本人のアイデンティティの由来について、私たち自身があまりにも知らないでいること。それは、アジアのあらゆる血筋が長い時間の混合によって形成された独自の文化文明であり、多様性の共存である。

この対談では、以前ご紹介した竹田恒泰氏との対談と同じく、日本の稲作文化の由来は中国の北部の黄河文明ではなく、南部の長江文明が淵源であって、中国や朝鮮半島の大陸文明とは異質であることも示されました。

…2019年、アイヌ人を「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法が成立→アイヌ人差別の禁止、観光や産業の振興を支援する交付金制度の創設など。こうした「先住民族」説の虚偽が成立するならば、日本はバラバラになる。アイヌに自治権を与える、自治区になる、中国共産党が接近、北海道への侵略。

沖縄でも「沖縄人」という枠組みを使って同じことが起こる可能性。民族の自治を守るなどという名目で他国に介入、大英帝国もロシア帝国、中国王朝も…世界共通の歴史の法則。日本の政治家の無知につけこんだ破壊工作の一環。

そもそもアイヌ人が「先住民族」との証拠はない。北海道に人が住みはじめたのは今から約2万年以上前のこと。これらの古代人は日本本土にも見られる縄文人であり、アイヌ人ではない。アイヌ人が縄文人よりも先に北海道に住んでいたことを示す人骨や遺跡などはない。アイヌ人の民族遺伝子はシベリアのオホーツク人と遺伝子上、近接にある。オホーツク人とは樺太北部やアムール川下流域を原住とした狩猟・漁猟民で、ニヴフ人という少数民族を直接の共通祖先とする。アイヌ人は元々、言語や文化において、オホーツク人とは異なる存在。

彼らと混血同化していき、アイヌ人の純粋な血統は失なわれる。アイヌ人が北海道にやって来て、日本人と混血同化。もはや「これがアイヌ人である」と言えるような人はどこにも存在しない

つまり、アイヌ新法という法律で保護すべきアイヌ人など既にいない。一定の文化を持っているが、日本人と区別ない。ただ、今日、人工的、政治的都合でカテゴライズされた「アイヌ人」は日本に約2万人。こうした人工的「アイヌ人」が自治権や自治区の獲得に向けて、今後、政治闘争を仕掛けられて中国などと結びついたら大変なことに…。

「二重構造説」とは、縄文人  =「原日本人」とし、弥生時代に北方系の人々が朝鮮半島から日本に大量にやって来た、「原日本人」と混血をして、渡来系弥生人が生まれたとするもの。彼ら渡来人は面長で、一重瞼の細い目、細い眉や薄い唇が特徴。二重構造説で、日本人には「原日本人」と弥生人の二つの系列があると、1990年代に定説化されたが、こんにちの研究では、明確に否定。「二重構造説」は既に破綻した説。

「二重構造説」の虚偽とは、北方系の渡来人が先住日本人を急激かつ大規模に変化させ、この急激な変化が縄文時代の狩猟採集の生活を弥生時代の稲作生活に構造転換させたとするもの。朝鮮半島からの渡来人が稲作などの文明をもたらし、弥生の文明開花が可能になったのだという理屈が導出された。渡来人を持ち上げようとする何らかの意図がある?原日本人を下に置く議論。

もし、渡来系弥生人が今日の日本人の直接の子孫ならば、朝鮮人や中国人と遺伝子の近接があることになるが、日本人と韓国人のDNAを調べたところ、両者の遺伝的同質性は低いとの結論に。一方で、韓国人は中国人、モンゴル人、そして特に満州人との遺伝的同質性が高い。

かつて「騎馬民族征服王朝説」が1960年代から日本にはあった。天皇家の発祥とする説。東北中国の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、さらに日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に大和朝廷を建てた。なんの根拠もない。

遺伝子解析でわかったのは、北方系から南方系まで地域的な違いがあり、縄文人が共通の単一民族の基層を持っていたのではなく、既にいろんなところからやってきた雑多な民族の混合型であったということ。どこか特定の民族ではない。独自の民族。いろんな文化文明を吸収して独自のものを作ってきた。共存型の民族性。

縄文人の人の中に弥生人と言われるような人たちも初期からいた。二重構造説では、アイヌ人も琉球人もともに縄文人、北方系の弥生人が日本人。これらはウソ。縄文人も弥生人も琉球人も一つの民族。既に縄文時代から、あらゆる系統の民族が漸次的に日本にやってきて、漸次的に多民族間の混血が進んでいた。特定の地域の特定の民族が日本人を劇的に変えたというような動的な変化などなかったことが最新の遺伝子研究から判明。

文明的にも、縄文時代末期に稲作文化が漸次的に普及していき、弥生時代にそれが確立。それは穏やかで静かな変化。結論、アイヌ人は後からやって来た侵入者に過ぎない

「二重構造説」のような学会の定説と相俟って、先住民族であるかのような操作。日本人は日本人、縄文人と弥生人の区別などない。これは遺伝子だけでなく、言語からもいえること。日本語の中でも、稲作関連の語彙にオーストロアジア語族(東南アジア半島部)との多くの共通性が見られる。このオーストロアジア語族が中国南部にいた人々の言語である。長江流域にいた人々が稲作文化を日本に持ち込んだ歴史に符号。大陸国家とは一線を画してきたのが日本民族ということが裏付けられている。

黄河文明の畑作とは異質の長江文明。漢人とは違う人たちが長江一帯に住んでいた。漢字文明でも中華文明でもなかった人たち。東南アジアに近い。

定説で決めつけられないほど多様なのが日本。どの言語グループに属さない独自の言語文化、その上に成り立っている日本文明文が読字に発展してきたもの。アイヌ新法は歴史に対する日本の政治家の無知に付け込んだ政治工作。大きな教訓として考えるべし。学界、特に歴史学界は左翼思想に染め上げられ、政府や国会をサポート。信用してしまう。

…やはり、日本とは何なのか、日本の固有の価値は何なのかをわきまえた政治勢力が必要だと痛感します。参政党が台頭すべき必然性があるといえるでしょう。

 

●<対談>仲村覚(日本沖縄政策研究フォーラム理事長)「沖縄防衛対策シリーズ 第1回 沖縄問題とは何か?」

アイヌの次は沖縄?両方ともあんまり関係ない、と思う方も多いかもしれませんが、上述の宇山氏から沖縄問題も取り上げるべきだとして、仲村氏の提案があったものです。

いま話題の中国による「Silent Invasion」は豪州が舞台ですが、豪州とて、かつては中国大歓迎、まさかここまで侵略が…ではなかったでしょうか。だからこそ「Silent」。日本国民が気付かない間に中国が日本にこれを仕掛ける必然性は十分すぎるぐらいあります。

なかでも、地政学的にみて、彼らのターゲットが沖縄であることは間違いなし。現実に、驚くべき事態が着々と進んでいるようです。

米国のシンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)が7月末に発表した「日本における中国の影響力」と題する報告書が、日本の対中国キーマンとして二階さんと、官邸にいた今井氏を名指ししていることで注目されていますが、実は、次のような記述があることはあまり報道されていません。

すなわち、このCSIS報告書は、日本の安全保障上の重要懸念の一つとして、沖縄の人々が日本政府や米国に対する不満を理由に「独立を宣言」する可能性を指摘しています。中国の最重要ターゲットも米軍基地の多い沖縄であり、外交や偽情報、投資を通じて、沖縄独立を後押ししているとのこと。

この番組で、私たちが意外と知らないでいる様々な具体的な事実を確かめていただければと思いますが、どうも、沖縄問題は政治家たちも面倒くさいとして敬遠する傾向があるそうです。しかし、沖縄問題はすべて、日本の国益をゆるがす重要問題であり、国家の問題である、いずれも某国の軍事覇権に伴う対日工作、間接侵略によって起こされた問題…まさに「超限戦」そのもの、気を許してしまっては敗ける…。

これに向き合うためには、普通の日本人が知らない様々な経緯、背景や歴史的な事実についての洞察を深める必要があるということで、松田政策研究所では、リアリズムの視点から、仲村氏による本「沖縄シリーズ」を、今後、順次、配信していく予定です。

 

●<対談>葛城奈海(ジャーナリスト)「インドネシアのスディルマン将軍と日本の大東亜戦争」

日本にとって先の大戦の終戦は1945年ではなく、実は、1949年だった…。菅総理は「現実重視の実務派」とされています。自民党の思想的立場としては、安倍前総理など保守色の強い清和会でも、リベラル色の濃い宏池会でもない、旧田中派の現世利益追求型であり、安倍政権を継承すると言っているわりには、国家観がみえないとも…。

しかし、いまの日本は、日本とは本来どんな国なのか、日本人自身が自国のアイデンティティ意識を正しい歴史認識のもとに持っていかなければ、国民の現世利益すら損なわれていく局面にあると思います。そんな意識も抱きながら、松田政策研究所チャンネルでは、先の大戦の歴史や、日本民族の由来、アイデンティティをますます破壊させかねないアイヌ問題や沖縄で進行している事態などについて発信してきました。

ここでは、日本が先の大戦を通じて、人種差別なき平等な戦後の国際秩序の形成へと世界を導くという歴史的な偉業を達成した事実を物語るものとして、インドネシアの将軍像を切り口に、その献花式実行委員会会長の葛城奈海さんと語り合いました。語り口は穏やかながら、明快に鋭く、戦後日本の本質的な問題を抽出していただいています。

…今年が6回目のスディルマン将軍の献花式、将軍像は市ヶ谷の防衛省の敷地内なのに、自衛隊の方々ですら知らない方が多い。米国との戦争の敗戦後も2,000人の日本兵がインドネシアに残り、独立戦争で戦った。うち1,000人が犠牲になった。インドネシアは1949年、この独立戦争に勝ち、オランダからの独立を果たした。

像は、東京裁判が行われた、防衛省敷地内の西の端の市谷記念館の隣という象徴的な位置に立っている。市谷記念館を睨みつけているかのよう。将軍からみれば、戦後これだけ経っても日本が真の自立を果していないことを情けなく思っているのではないか。

この独立のあと、どの国も対等な国際秩序へと世界は移行していった。日本は歴史的な偉業を果した。そのことを戦後史観で洗脳された日本国民が知らない。日本は悪いことばかりをしていたと私たちは教育を受けてきた。

東南アジアの国々は決して日本を恨んでいるのではないことは、この像がインドネシア側から寄贈されたことからもわかること。しかし、日本人が黙っているままでは、誤った歴史観が日本人だけでなく、海外にも広がっていきかねない状況がある。

「大東亜」とは、欧米による植民地支配秩序ではない、人種差別のない秩序を打ち立てようとする思想。ここに現れている利他の精神はアフターコロナで重要となっていく価値。

自身が予備自衛官をしていたことがある。一般人がなれる制度。訓練自体はエキサイティングだった。自衛隊の矛盾、日本社会はおかしいと感じることがあった。軍手を自衛隊の中では「手袋」と呼ばねばならない。行軍と言わずに「行進」と言わねばならない。肩身の狭い思いをしている。

日本人全員が若い時に公共のために尽くす、大賛成。例えば、50日ぐらい自衛隊に務めて「成人」とハンコを押してもらうとか。少しでもこう言うと、けしからんになる。福祉施設などのボランティアでもよい。一定の奉仕活動を経験して大人になるということがあってもよい。

戦後の日本で、いちばん失われたのは「尚武」の精神。尖閣も拉致問題も共通いるのは、戦後の事なかれ主義的体質。建国の詔に書かれている八紘一宇、世界は一家、人類は皆、兄弟、日本人を慕ってくれるような統治の仕方をしていた。和を尊ぶ平和の精神。それを脅かすものがあって、話し合いでダメなら、身を擲って戦う、それがあってこその平和。

この精神の裏付けを欠いては、尖閣は取られ、拉致問題も解決しない。自分の命を超えた大切なもののために自分を捨てる精神があってこそ、守るべきものが守られる。10年前の尖閣事件、命がけで船長を捕まえた海上保安官を裏切る国の決定、衝撃だった。

 日本が本来の姿を取り戻すためには…拉致被害者を自衛隊を使ってでも取り戻す。日本人がいいかげんに気が付かないと、被害者が次々と亡くなっていく。検討を始めましたというだけで今とは違ってくる。

いまは体たらくな日本も、諸外国からみれば、すざまじい闘いをする民族だと捉えられている。尚武の国との認識で我々は守られている面がある。日朝会談で首相の隣に自衛官が座っているだけでも。おっと、出てきた、となる。

コロナ脳で差別が起こり、利他の精神の日本人はどこに…なんでこんなに皆さん、恐れているの?なぜコロナだけこんなに騒ぐの?こうやって仕掛けることで得する人たち、恐怖による支配と社会の分断、その術中にはまってはいけない。こんなに恐れることはないということをまず、日本人が気付かねばならない。

自助、共助、公助…しかし、いざ災害などがあると公助に頼ってしまう。本来の自助、共助というものを取り戻すべき。コロナで地域共同体の力を取り戻すことも妨害されている。何かの力が働いている?

…「大東亜」とか「八紘一宇」などと言うだけで、軍国主義と結びつけられ、危険な発想だ、言わないほうがよいなどと言われてしまいます。しかし、戦争を美化する発想とは切り離して、その本来の意味から捉え直せば、そうした言葉で日本人が目指し続けてきたものとは、実は、人種差別のない平等な世界秩序であり、ポストコロナで世界がますます必要としているはずの利他や協調の精神でした。日本人自身がこのことをもっと誇りをもって自覚し、国際社会における平和秩序の構築に向けて、世界に唱道していくべき立場にすらあるかもしれません。

これがリアリズムの視点で歴史を検証して得られるメッセージのようにも思えます。これらの言葉が決して右翼ではなく、ごく普通の言葉として受け止められる日が来ることを祈るものです。

 

●<対談>奥本康大(「空の神兵」慰霊顕彰碑護持会代表理事)「知ってますか?『空の神兵』パレンバン陸軍落下傘部隊」

先の大戦で日本があそこまで戦争を戦い抜くことができたのは、奥本氏の父である奥本實中尉(当時)も参加したインドネシアのパレンバンにおける落下傘部隊の勇気ある偉業があったからだ…それなくしては、日本本土は米軍の侵略を受け、こんにちの日本はなかったであろう…。

これが単なる武勇伝ではないのは、日本が「大東亜」でめざした価値が、人種差別のない平等な国際秩序であったことについて、もっと日本人自身が知るべき事実がここに数多く示されているからです。

史実を正しく認識してこそ、日本の国家百年の計が立てられるはずです。

 

●<対談>小名木善行(国史啓蒙家)「女系天皇はなぜダメなのか?」

個別改革実務型と言われる菅内閣…菅総理から国家観がみえてこないなどと言われていますが、その実務型改革の切り込み隊長となった河野太郎・行革担当大臣が防衛大臣だったときに、女系天皇容認発言をしたことが批判されていました。

やはり、菅内閣も日本が日本であることの根本をきちんと押さえた内閣であってほしいもの。では、なぜ、天皇陛下は万世一系、男系でなければならないのか…。

実は、そうでなければ、日本が国としての大本(おおもと)を失う…。では、なぜなのか。松田政策研究所チャンネルでは、ここで、日本を代表する国史の語り部である小名木さんに、基本に立ち返った整理をしていただきました。

男系ということは決して男性優位でも女性蔑視でもなく。むしろ、男系とは男女平等なのだ…、そのような論点も出てきます。視聴数の多さに皆様の関心の高さを感じます。一度はご覧いただきたい番組です。

…もし、悠仁親王に男子が生まれなかったら、男系の皇位継承者が途絶えたときのことを考えねばならない、だからと言って女系天皇も考えねばならないという河野大臣は、この件については駄目ですね。曲学阿世の徒に洗脳されている。

なにが大事かというと、古いということ。英国王室の権威は900年の伝統。デンマークは約2,000年、ローマ法王庁2,000年、日本の天皇は2,680年。エンペラーという政治権力以上の存在。このことを無視して、現在の都合で決めるのは駄目。

GHQが変えた皇室典範を元に戻すだけのこと。万一のことが起こったときに日本から天皇家が自然消滅するように意図的にGHQが仕組んだもの。日本の国をなくしてしまおう…と。日本は独立国になったのであれば、皇室典範ぐらい変えられる。皇室の範囲を男系男子のもとで広げられるようになる。政治家はこのことを考えるべし。

日本の天皇は権力者ではない。この点が欧州の王様や中国の皇帝とは違う。中国の皇帝は天帝から任命。天帝がもっているすべての権力の代行者。欧州も神から与えられた権力。あらゆることに命令できる。神の代理人だから。そこで、神が複数いては困ることになる。欧州が一神教であった原因はそこにある。

日本では皇帝の役割は太政大臣や将軍。天皇から任命されたから、権力を行使できる。今も、自民党総裁選では内閣総理大臣の資格をもらえるだけで、天皇の任命で初めて権力を行使できる。権威が権力者に一定の権力を授けるというもの。

国家最高の権力者は、国家国民を私物化できない。なぜなら、権威から授かったものだから。その仕組みの下で民衆が安心して暮らせる国を創ろう。南北に長い国土で災害が多い。助け合いで食料を地域間で融通。お宮の庫。お米の蔵が「都」。そこにお米を回して列島全体で食べられるようにする。昭和44年までその仕組みが日本ではずっと続いていた。コメの分配のために政府ができた。

世界中どの国も征服と制圧で国家が出来上がっている。日本だけ助け合いをベースに国が出来上がった。国がちゃんと面倒見てくれるから震災でも略奪が起こらなかった。

政府の役割は天皇の大御宝である民衆を大事にすること。

女性だけが子供を産むことができる。でも、女性だけだと妊娠できない。卵ができるが何もしなければ流れてしまう。「タマタマ」で霊(たましい)、それが女性の胎内に入ることで子供ができる。だから、男の大事なところはたましい。これを女性に注ぎ込む。

天照大神の直系が天皇。それは霊統。霊から生まれる。霊を天照大神から受け継いでいる。天皇から生まれた女の子も霊(ひ)を持っている。しかし、その女性が他の男性の子供を産むと、別の霊の子になる。

天照大神のご神体からつながっている霊の流れが天皇陛下。算術で「ひーふーみー…」なのも、何事も「ひ」から始まるから。よく言われる染色体での説明については、Y遺伝子の相続は素晴らしい見解だが、2,600年前の人たちがY遺伝子を知っていたか…?左大臣は「ひ」だりだから右大臣より上。

男女が平等であるからこそ、男系が大事。「ひ」を注ぐのは男子しかできない。でも、天皇の子を産むのは女性なら誰でもできる。男性は皇族以外、天皇にはなれない。しかし、女性なら、普通の人でも皇后陛下になれる。男系によって、女性にものすごいチャンスを与えている。女性が天皇のときに日本は輝いた。女性天皇はむしろ歓迎すべき。男系なら。

たましいの存在を認めるべき。これが日本人の誇り。だから、人が見ていないところでも精いっぱい尽くす。たましいという存在を信じている。それを失うと日本の国を失う。

…私たちが日本の国民性や国柄を単なる空気として感じているだけなら、それはきっと脆いものでしょう。歴史的根拠から日本人として正しい知識を持ち、そこに誇りをもってこそ、国を守り、経済の発展と民生の安定を確保できるという基本を忘れてはならない。これはイデオロギーではなく、世界の常識。

衆議員議員時代に内閣委員会で菅官房長官には数えきれないほど質疑をいたしましたが、いまなら国会で国家観について聞いてみたくなります。きっと、当時と同様、実務型の答弁が返ってくると思いますが…。

 

●<対談>宮崎正弘(評論家)「歴史検証!明智光秀は本当に謀反人だったのか!?」

歴史認識といえば、先の大戦のことをイメージする方が多いと思いますが、いまから4~500年前の日本に時計の針を戻すと、そこにも後の権力による歴史の改ざんがあった…。歴史は時代時代で書き換えられるもの。

今回は評論家の宮崎正弘さんに明智光秀に関する歴史改ざん?を切り口に、この問題を語っていただきました。謀反者としてネガティブなイメージで語られる明智光秀。実際には、光秀は、欧州勢の侵略、当時のSilent Invasionから皇室や国体を守った英雄だった。

いつもホットな国際情勢を語っていただいている宮崎氏が歴史をみる視点は、さすがに鋭いです。こんにちの日本が最も意を用いなければならない視点を提供してくれています。

…我々は今、東京裁判史観。では、GHQが歴史を書き換える前はどうだったか。明治時代は江戸時代の否定でなければならなかった。だから、豊臣秀吉が美化された。しかし、信長は江戸時代には全く評価されていなかった。徳川は秀吉を否定した。日本でも歴史の改ざんが行われていた。中国だけでない。

光秀の生きていた時代、イエズス会とはこんにちのアルカイダ。侵略の先兵。この国は取れるか様子をみている。日本は取れないとあきらめる派閥とそうでない派閥に分かれていく。「彼は陰謀家で密談が好き」これはイエズス会側からみた光秀。イエズス会からみて厄介な存在だった。光秀は一神教は危険とみていた。要するに、GHQだった。

江戸時代に光秀はちゃんと評価されていた。早々と神様にまつり上げられていた。

光秀が詠んだ連句「ときはいま 天(あめ)が下(しも)ふる 五月かな」

「天の下」、「しらしめす」とは天皇の統治を意味する。「ときはいま」は「チャンスは今だ」。「五月かな」は端午の節句、つまり尚武の精神の喚起を意味している。、

すなわち、天皇陛下の治める国に復興しよう、いまが勝負のチャンス…この連歌の場は決起集会だった。

戦前の価値観と戦後の価値観でも、小説に描かれる人物像は変わる。よいところ悪いところを並べて判断していくべき。総合的に。司馬遼太郎の小説だけ読んで明智はダメではダメ。日本の歴史学も考古学も…。自分の学説と違う遺跡が出てくると、考古学は埋めてしまう。公文書改ざんのようなもの。世の中に目を覚ませとの精神的クーデターという面では三島由紀夫にも通じるところあり。

…私たちも色々なエビデンスで歴史を検証する時期に来ています。その上で、光秀の歴史の改ざんは参考になると思います。

下記は、この対談を企画するきっかけになった産経新聞(本年8月23日)に宮崎正弘氏が寄せた記事から切り出したものです。

「明智光秀は、天皇の上に立とうとし、比叡山延暦寺の焼き討ちなどで神仏を軽んじ、当時、ヨーロッパ諸国のアジア侵略と深く関係していたキリスト教にも接近する信長から日本を守ろうとしたのである。…

明治維新後は、薩長史観で徳川幕府の功績が消され、秀吉が課題に評価された結果、信長が過剰評価される一方で、光秀はただ謀反者にしか見られなくなった。…

歴史学界には一種独特な『空気』があり、学閥が蔓延り、学者らは視野狭窄に陥っている。いまも左翼、マルクス主義的な解釈がはびこる憲法学界を例にすれば、…東大法学部の大物学者が言い出した間違いだらけの憲法解釈は…

同様に戦後の歴史学界は左翼学者が主流となって…メディアは彼らの主張しか取り上げなかった。…秀吉がなした歴史改ざんを見抜くことができなかった…尊王のために諫死した光秀の蹶起意図は曖昧にならざるを得なかった。…

本能寺の変とは一種の精神的クーデターであり、当時の日本文化の防衛であった。」