政府暗号通貨「松田プラン」第1回~日銀保有国債が返済不要な債務になっているカラクリとは!? | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

[財政と金融の究極の一手、政府暗号通貨「松田プラン」第1回]

 最近、新聞などでも「デジタル人民元」という言葉がしばしば登場するようになった。仮想通貨(暗号資産)は「仮想」という名のとおり、私たちが日常、使っている本物の通貨、つまり、国が法律によって通用力を与えている「法定通貨」とは異なるお金だという前提が、暗黙のうちにあった。

ところが、中国はこの仮想通貨の技術基盤であるブロックチェーンを使って、デジタル人民元と呼ばれる法定通貨を、早ければ今年2020年のうちにも発行するのではないかと言われている。暗号通貨の世界にもいよいよ、法定通貨が本格的に誕生するのか…。

かたや昨年2019年にはフェイスブックがリブラ(Libra)を提起し、これも現実に発行されるのかどうか、各国の通貨当局がいま、その規制の枠組みについて議論している。欧州はじめ各国の中央銀行も、デジタル法定通貨の検討を本格化させている。

こうした暗号通貨での大きな動きが、これまでの通貨のあり方全体に大きな変革を引き起こす可能性が出てきた。

では、円を法定通貨として使っている日本はどうするのか。

筆者は、政府が暗号通貨を発行することで、日銀が大量に持っている国債を「政府暗号通貨」というお金に変える「松田プラン」を提唱してきた。これがなぜ、喫緊の課題なのかは、その具体的な内容とともに、回を改めて(本シリーズ第2回以降で)解説したい。

また、筆者は政府暗号通貨のほかに、民間がブロックチェーンを使って自由に発行する多種多様なお金を「みらいのお金」として提案している。これは、市場経済での競争を基本とする資本主義社会とはひと味異なる、人々の協働を軸とする社会、「協働型コモンズ」を実現する基盤になるものであるが、この議論も機会を改めたい。

今回は、そちらに行く前に、これらの提案の意義について十分な理解を得るために必要な共通認識を得るために、まずは現状の財政金融のメカニズムに関して論じてみたい。

それは、「いまのお金」とは、どのように生み出されているものなのか、である。

 

●いまのお金を増やしているのは日銀ではなく、市中の銀行

 いま、安倍政権の「アベノミクス」のもとで、異次元の金融緩和と言って、日本経済で流通するお金の量を増やそうとする政策が続けられている。ここで多くの人々が誤解しているのは、市中のお金を増やしているのは中央銀行である日銀である、という認識だ。日銀がお札(一万円札などの日本銀行券)を大量に刷りまくっている、などとも言われる。

実は、これは正しくない。

日本で私たちが使う法定通貨(日本円)は、現金(お札や硬貨)と銀行預金である。世の中でキャッシュレスが進んで電子マネーを使う人が増えても、それは、これら法定通貨と結びついていて、最終的には、銀行預金(場合によっては現金)で決済される。

ちなみに、仮想通貨は「円」とは異なる独自の単位で取引されていて、「通貨」には分類されていないし、法律で通用力が与えられているものではない。

日本経済全体で、市中で流通している「市中マネー」の量は、マネーストック(あるいはマネーサプライ)と呼ばれている。このマネーストックのほとんどが銀行預金である。

銀行預金にも、普通預金、当座預金、定期預金など、いろいろな種類があり、そのうち、どこまでがマネーストックに入るのかは、定義にもよるが、定期預金と違って、現金と同じように、いつでも支払いや送金に使えるのが普通預金や当座預金。これらをあわせて「要求払預金」が「お金」としてマネーストックに入ると考えると、わかりやすいだろう。

現金+要求払預金を「M1」と称するが、ざっくり言って、現金が100兆円あまり、要求払預金が700兆円程度、あわせて日本経済のお金の総量は800兆円程度である。つまり、お金のほとんどは銀行預金である。

では、この銀行預金を供給しているのは誰なのか?人々がお札を銀行に預金すれば、預金が生まれるが、そのお札も、もともとは、誰かが生産活動をして生み出したお金であり、たいていの場合、それは銀行に預金されていたもの。預金から引き出した現金がまた、預金されていくわけである。

では、そもそも生産活動をするためにはお金が必要だが、そのお金は、どうやって生み出されているのか?少なくとも日銀ではない。

それは、銀行が、生産活動をする企業や人にお金を貸すことによって生まれている。銀行がお金を貸すことを「信用創造」と言う。マネーストックは、日銀ではなく、銀行による「信用創造」によって生まれ、信用創造によって増えていくものなのである。

銀行からお金を借りた方ならどなたでもご存知だと思うが、銀行がお金を貸すとき、預金通帳を作ってください、と言われる。その預金通帳に銀行が貸し付けるお金の額の数字が打ち込まれる。人々が使えるお金が、これで誕生する。

金本位制の時代には、お金を銀行に持って行って金(きん)と交換してもらえたので、金の裏付けのないお金を好きなだけ生み出すことはできなかった。いまは金などの裏付けがなくても、電子的に通帳に記帳すればお金は生まれるが、一応、預金の引き出しにそなえる準備のため、銀行は「準備預金」を日本銀行に積んでいる。

この準備預金は、銀行が日本銀行にもっている「日銀当座預金」に積んでいるお金だが、銀行預金のうち一定比率は、準備預金としてこの口座に積まなければならない。銀行の窓口で預金をおろせなくなると、信用問題になるからである。

準備預金の銀行預金に対する比率は「法定準備率」と呼ばれているが、現状では極めて低い水準で、現実には、銀行が信用創造をする制約になるようなレベルではない。

 

●儲け無きところにおカネ無し、いまのお金は資本主義のお金

ならば、銀行はいくらでも好きなだけ、お金を貸すことでマネーストックを増やすことができるのか?といえば、そうではない。銀行は債務として、預金を預かり、預金者に金利を支払っている。この金利は銀行にとってコストだ。銀行も商売なのだから、コストを上回る収入がなければ、銀行業はできない。

そこで、銀行は、貸したお金に金利をつけて返してくれると判断できる先にしか、お金を貸せないことになる。金利収入が得られなければ、銀行は商売にならないからだ。お金を借りた企業や個人は、借入期間の間に、元本だけでなく金利をつけて銀行にお金を返すために、お金儲けをしなければならない。

つまり、「儲け無きところにおカネ無し」、カネ儲けができるところにお金が生まれる…。まさに、いまのお金は資本主義のお金なのである。資本主義社会では、人々は金利を返すために、金利に追われて一生を過ごす、などとも言われる。経済活動に欠かせないお金は、債務が発生することで生まれる。いまのお金は「金利付き債務貨幣」とも言われている。

筆者が提唱する「みらいのお金」は、いずれ機会を改めて解説するが、これとはまったく異なる仕組みで生まれるものなのである。

 

●金融緩和で日銀はお札を刷りまくっている、というのは真っ赤なウソ

このように、お金を増やしているのが日銀ではなく、市中の銀行だとすれば、アベノミクスの異次元の金融緩和で黒田日銀総裁は、どうやってお金を増やそうとしてきたのか。少し難しい言葉だが、そのメカニズムは「ポートフォリオ・リバランス」と言われる。

日銀がいまの金融緩和でお金を増やすために何をしているかと言うと、それは主として、日銀が金融市場で金融機関から国債を買うという手段で行われている。

日銀にも資産と負債を計上するバランスシートがある。資産と負債とのつじつまが合っていなければならない。日銀が国債を買うと、それは日銀の資産を増やす。

他方で、日銀は国債の購入代金を、さきほど触れた日銀当座預金に振り込むことになる。これは日銀の負債になる。日銀は国債を市場から買うことで、その金額だけ、資産と負債を両建てで増やしていることになる。

日銀当座預金は、銀行が日銀に預けているお金なので、銀行からみれば資産になる。ところが、その資産は基本的に金利を生まない。日銀当座預金の金利は、準備預金に相当する部分はゼロ、それ以外は、0.1%という、大変低い金利である。数年前から「マイナス金利」といって、一部はマイナス0.1%という金利になっている。

お金を貸すなど、資産の運用で金利収入を得ることが商売の銀行にとっては、これは金利を生まない「ノン・パフォーミング・ローン」、つまり、不良債権のようなものだ。これがあまりに増えるようだと、銀行の収益率が下がり、商売にならなくなる。

そこで、銀行は金利収入を得るために、企業や個人に対する貸し付けを増やすことを迫られることになる。銀行は自らのポートフォリオ、つまり運用資産の構成を、より高い金利がついている資産の比率を高めることで、日銀当座預金が増えることでいったん崩れたバランスを取り戻す「リバランス」をするだろう。その結果としてお金が増える。

つまり、お金の量を増やすための金融政策といっても、日銀が直接、お金を増やすのではなく、お金を生み出す主体である銀行が、お金を増やすような環境をつくるという、間接的な方法でお金を増やそうとしてきたわけである。

少なくとも、日銀が「量的緩和」の金融政策でお札を刷りまくっているというのがウソであることが、おわかりであろう。現に、異次元の金融緩和が開始された直前の2013年3月末から、昨年2019年の3月末までの数字をみると、お札(一万円札などの「日本銀行券」)の量は約83兆円から約108兆円へと25兆円しか増えていまない。

「しか」と言うのは、お札と同じく日銀の負債である日銀当座預金のほうは、約58兆円から約394兆円へと336兆円も増えているからである。こちらは6年間で7倍近くになっている。

ちなみに、日銀の資産のほうは、この6年間で、国債が約125兆円から約470兆円へと345兆円も増えている。日銀当座預金は国債購入代金で増えてきたので、両者はほぼ同額の増え方となることになる。

 

●金融政策を理解するカギとなる「日銀当座預金」とは?

では、400兆円近くまで増えた日銀当座預金とは何なのか?日銀はこちらの方のお金はこんなに増やしているではないか?という疑問がわくだろう。

日銀は「銀行の銀行」であり、「政府の銀行」である。人々が直接、口座を作って取り引きできる銀行ではない。従って、日銀当座預金は、企業や個人がお金として使えるお金ではない。これを増やしても、それで人々のお金が増えるのではなく、あくまで日銀の帳簿上のお金である。

具体的には、日銀に口座を持っている銀行と銀行との間、あるいは、政府と銀行との間でのお金のやり取りを決済している口座が日銀当座預金だ。

Aさんがa銀行に持っている口座から、Bさんがb銀行に持っている口座に100万円を振り込めば、a銀行の日銀当座預金からb銀行の日銀当座預金に100万円、移る。これは日銀当座預金のなかでのお金のやり取りなので、これによって日銀当座預金の全体の額は増減しない。

Cさんが政府に100万円の税金をc銀行の口座から納めれば、c銀行の日銀当座預金から日銀の政府口座に100万円、移る。政府が財政支出をするときには、どこかの銀行の預金口座にお金が振り込まれるので、日銀の政府口座から、その銀行の日銀当座預金にお金が振り込まれ、それと同時に、同額分、銀行の預金口座にお金が振り込まれる。

納税であれ、国債の発行であれ、民間から入ったお金は、何らかの形で財政支出に回されるので、結果として、日銀の政府口座と日銀当座預金との間の資金のやり取りはチャラになることになる。結果として、日銀当座預金は全体として増減しない。

もちろん、預金者が銀行から預金を引き出すとき、銀行に手持ちの現金が不足するしている場合は、この当座預金(のうち準備預金)を銀行が取り崩すことで、日銀は銀行にお札を渡すことになる。このとき、日銀の負債は、日銀当座預金が減り、その分、これも日銀の負債であるお札の供給が増えることになり、日銀の負債の構成が日銀当座預金から日本銀行券へと変わるが、日銀の負債の金額は全体して変わらない。

預金の取り付け騒ぎでも起こらない限り、現金を銀行に預け入れる額と銀行から現金を引き出す額は、そう大きく違わないだろうから、日銀当座預金全体が大きく増減することはあまりないだろう。

以上のような性格の日銀当座預金は、銀行が、これを取り崩して信用創造などの運用に回すというものではない。よく「ブタ積み」という言葉が聞かれる。これは、日銀当座預金が積み上がっているのに、銀行がそのお金を信用創造に回さない、銀行は十分な貸付努力をしていない、ということを言い表すときに使われる言葉だが、これも誤解である。

日銀はインフレ目標2%を達成するためにお金を一生懸命増やそうとしているが、物価が上昇するためには、先にみたマネーストック、つまり、経済に回っているお金が増えなければならない。ところが、異次元緩和が始まってから7年近く経ったいまも、2%目標達成の目途は、いまだに立っていない。

なぜなら、日銀が増やしたのは経済に回らない日銀当座預金であって、銀行しか増やすことができないマネーストックではないからである。銀行としては、金利を付けて返済してくれる先にしか信用創造ができないため、もっと経済全体の需要が増えて採算が成り立つ事業が生まれてこないと、お金を貸して増やすということができないことになる。

日銀が直接、その量を動かせるお金をマネタリーベース(あるいはベースマネー)と言う。これは、お札(日本銀行券)の発行残高と日銀当座預金を合計したものだ。つまり、日銀の負債の規模のことである。お札の量は市中からの需要によって決まるので、日銀は国債などを売ったり買ったりして、日銀当座預金を増やしたり減らしたりすることで、マネタリーベースの規模をコントロールしている。

結局、日銀当座預金が全体として増えたり減ったりするのは、①日銀が国債などの資産を民間との間で売買したとき、②日銀の政府口座と銀行との間でお金のやり取りがあったとき、③預金者が銀行から預金を引き出して現金に換えた、あるいは現金を銀行に預金したとき(日銀の負債の中で日銀当座預金⇔銀行券という振替が起こる)という3つの場合に限られる。

このなかで、先にみたように、②と③では実際に日銀当座預金の全体の額が大きく増減しないので、日銀当座預金が増減するのは①の場合だけと考えてよいだろう。

 

●日銀が保有する国債は返済不要な債務へと姿を変えている

よく考えてみると、この日銀当座預金とは、銀行に対する日銀の債務ではあっても、日銀の帳簿上の負債に過ぎず、返済義務のない負債だということになる。この負債がなぜ、2019年末時点で400兆円近くまで増えたかというと、日銀が国債を大量に買ったからだ。

「統合政府」という考え方がある。これは、政府と日銀のバランスシートを連結して、一つの会社のバランスシートとしてみる見方である。統合政府でみれば、政府の負債である普通国債の発行残高は2020年度末で約900兆円だが、そのうち半分以上の470兆円は日銀が持っているので、それについては、政府の日銀に対する債務とは、日銀の政府に対する債権でもあり、一つの会社のなかで相殺されてチャラになる。

では、国債は日銀が持つことで、何に姿を変えているか、といえば、それは統合政府の負債である日銀当座預金に姿を変えていることになる。この日銀当座預金は返済不要な負債だ。これは、政府が将来、民間に対して税金で返済しなければならない普通国債のうち半分以上が、返済不要の帳簿上の債務に転換していることを意味する。

言い換えれば、アベノミクスの成果のおかげで、国債の半分以上が事実上、消滅していることになる。これ以上の財政再建はないであろう。

実は、筆者が提唱する政府暗号通貨とは、国の借金をお金に転換してしまうマジックを用いて発行されることになるものだ。なぜ、そんなマジックができるのか?以上をお読みいただいた方にはご理解いただけることになると思うが、詳しくはぜひ、次回(第2回以降)をお楽しみに…。

 

(本稿はmymoへの筆者の寄稿↓に筆者自らが手を加えたものである)

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