消費増税について(その1)~景気に良くない日本の特殊事情:増税の趣旨は道義にあり~松田学の論考 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

来年度予算が決まり、201910月に消費税率が8%から10%に引き上げられることが、まず間違いない状況となりました。このところ、消費増税を控え、特に保守系から増税反対論が噴出するなど、財務省批判も併せて色々な議論が噴出していましたので、2回にわたり、消費増税の本質とは何なのか、来年度予算での措置なども併せて論じてみます。

●消費税率引上げが景気回復を遅らせた日本の特殊事情

安倍総理が20181015日の臨時閣議で、消費増税を予定通り実施すると明言したことが今回の論争の発端ですが、この増税表明は、あちこちで意外感をもって受け止められました。二度にわたって増税を延期した総理、二度あることは三度あると思っていたら、今度は三度めの正直?

もう来年10月の税率引上げまで1年を切ったこの時期にはっきりしないと、増税を前提に講じる子育て支援策などを盛り込んだ形で来年度予算は編成できなくなる。軽減税率の導入も、もしかしたらまた延期…?とのんびりしていた全国の無数の事業者の方々の準備が間に合わなくなる。

二度の増税延期は2014年の3%引上げ後の消費低迷のトラウマによるものでした。

財務省嫌い?のリフレ派?の安倍総理からみれば、その時の増税はもともと、民主党野田政権時の三党合意「社会保障と税の一体改革」に従ったもので、アベノミクスとは異質。今回、自らのイニシアチブで、新たな歳出増には増税分の2割しか充てない三党合意の枠組みを崩して、教育無償化などでそれを増税分の半分ぐらいまでは増やす。景気への影響を回避するさまざまな措置も入れ込む。こうして増税をアベノミクスと矛盾しない自分の経済政策の枠組みへと仕立て上げる。だから、今回は、やれる…。このような思考回路だったと思います。

では、そもそもなぜ、日本では消費増税はこんなに景気に悪いのでしょうか。欧州諸国は税率が20%前後、大デフレになっているはずではないか?と、素朴な疑問が浮かびます。

今号では、そのカラクリの一つを以下、述べてみます。

消費税収は全額、年金、医療、介護、少子化対策といった社会保障費に充てられています。社会保障というのは一種の保険システムです。それは保険料で賄われるのが基本ですが、人口構成が高齢化して、現役世代が負担する保険料では賄いきれず、国や地方自治体から多額の公費が投入されています。

その公費に消費税収入の全額を充てても半分ぐらいにしか届かず、残りは赤字国債で次の世代にツケ回しています。

さて、国民の誰かが負担した消費税は、国民の誰かへと社会保障給付の形で回りますので、国民の懐から懐へとおカネが移転しているもの。ですから、本来はそのような消費税を増税しても、社会保障給付がその分増えれば、景気には中立になります。政府は国民の間のおカネの流れを仲介しているだけで、政府の懐におカネが入っているわけではありません。


しかし、日本のように社会保障給付に対して税収が圧倒的に足りない状態で消費増税をするとどうなるか。社会保障給付は増えないのに、財源だけが、次世代の負担(国債)から自分たちが消費税で負担する形に置き換わる、この部分が大きくなります。

それは三党合意では8割でした。景気にマイナスなのは、その部分です。

つまり、増税による景気悪化とは、これまで必要な増税を先送りしてきたツケが現れたものだといえます。今回、安倍総理は、増税分のうち新たな歳出の増加に充てる部分を増やし、このマイナス部分を小さくしました。

政府も与党も「借金の返済に回す部分を減らした」と説明しましたが、間違いです。これでは消費税収が全額、社会保障に充てられているという従来の説明がウソになります。

借金返済ではなく、社会保障の財源のうち国債から消費税に置き換わる部分(これが国民負担の純増です)が減り、毎年度の国債発行額が減る分が減るというのが正確な説明です。

 

●消費税は企業のコストの一つ、増税による景気悪化を回避する策を考えると…、

もう一つ、日本で消費増税が景気にマイナスとなってきた理由があります。それは、増税の実施日、例えば8%のときは201441日に、増税幅(その時は3%)の分だけ一斉に価格転嫁が行われてきたことです。

そのため、増税直前には駆け込み需要、その後は、需要の先食いの結果、消費が大きく落ち込む、特にデフレ基調の経済のもとでは、落ち込んだ消費が元に戻るのに何年もかかるという現象が起こってしまいました。

しかし、例えば欧州などでは付加価値税(日本の消費税)は、企業にとってのさまざまなコストの一つに過ぎないという位置づけになっているようです。原油価格や資材価格、あるいは人件費などが上がっても、コスト増。それをどの時期にどこまで売上価格に転嫁するか、あるいは企業がどこまで合理化で飲み込んで価格転嫁しないようにするかは、まさに経営判断。需要と供給との関係で企業は価格設定をするでしょう。価格決定は、自由主義経済では企業にとって最高の経営判断であるはずのものです。

こうした消費税の本来の性格を踏まえて、今回の税率引き上げに当たっては、転嫁について企業の弾力的な判断に委ねるという方針が政府から示されています。


もう一つ、消費税は間接税ですが、間接税ということであれば、その本来の趣旨を活かして、小売店での価格表示はできるだけ内税方式にするのが望ましいのではないでしょうか。例えばビールには高率な酒税が課税されていますが、ビールを買うときに値段のうちどれぐらいが税金であるかは分かりませんし、ビールを飲んでいるときに、自分は税負担をしているのだと感じながら飲んでいる人はほとんどいないでしょう。

消費を楽しみながら、いつの間にか税負担をしている、それが間接税の特性です。日本の場合、本来は税痛感を感じながら納めるべきものである直接税である所得税は、ほとんどの方が会社で源泉徴収され、税務署に自ら申告する方は少ないので、こちらのほうが税痛感は薄く、逆に、レジや小売店での支払いのときに消費税を上乗せされて税痛感を感じる。直接税と間接税とが逆転しているようです。

内税方式なら、2%以内の値上がりは、諸物価の値上がりの範疇と認識されて、税負担増の意識は軽減されると思います。かつて外税方式が推奨されたことがありましたが、便乗値上げを恐れたため。今のデフレ的経済のもとでは、小売店は値上げしたくても値上げしにくいのですから、あまりその点は気にしなくてもよいのではないかとも思います。

 さらにもう一つ、消費増税が景気を悪化させないために必要なのは、負担増を打ち消すだけの財政措置を講じることです。1989年の消費税3%での導入の際には、消費税を始めとする増税措置を打ち消して余りある直接税(所得税や法人税)の減税を同時に実施することで、差し引き26千億円の史上稀にみる大減税が行われました。折しもバブル経済、税制改革がバブルを促進した面があったかもしれません。

この時は税制の制度改正ということで財政による減税という負担相殺措置は恒久的なものでしたが、増税時点での経済下振れを回避するためであれば、一時的な財政出動も考えられます。それであれば、財政の悪化は大きくありません。

(その3)で詳しく説明しますが、今回、来年度予算案では2兆円の一時的な財政措置が講じられます。これによって消費増税という恒久的な財源措置が実現するなら、財政当局にとっては高くない買い物でしょう。

消費増税の目的は財政再建よりも道義の実現にあり

以上のように述べてくると、松田は緊縮財政派だ、財務省の回し者だと、保守系に多い積極財政論者の皆さまから批判されそうです。二度にわたり延期された消費税率引上げ。まだデフレ経済から脱却していない、逆進性が強い、いまの安定政権の基盤を弱める…等々、反対論が未だ根強いようです。米国経済がトランプ減税で活性化しているのを見て、論壇には消費税減税論まで登場。財務省の陰謀との脈絡で論じる人も後を絶ちません。

「財務省の論理」という言葉があります。かつて私が国会質問で菅官房長官に、財政再建は財務省の省益なのか、国益と考えるか、と、質したことがありました。答弁は「国益」。

デフレ脱却か財政規律か…。いまの財務省は財政規律というミッションで設計された官庁です。各省庁の官僚が担う制度にはそれぞれ論理があり、それらを超えて、局面に応じて国益上の優先順位を選択することは、官僚の上に立って国家の経営者の立場にあるべき政治が責任を持つ領域。リフレ派の安倍政権にとっても、究極的には財政再建は国益です。

しかし、消費増税は財務省の論理を超えた国益である財政再建のために行うのかというと、実は、それは必ずしも正しい説明ではないと思います。国の重要な政策も、時の政治家や有識者、官僚ですら、その本質を理解していないケースが結構、多いものです。

その実例として、かつて、郵政民営化がありました。それは財政投融資の改革のためだと思っていた方々が官僚も含めてほとんどでしたが、もはや財投と郵貯とは財投債の導入で切り離されていたのであり、民営化の目的は郵便、貯金、簡保の三事業を民間の企業再生の手法で蘇生することでした。

では、消費増税の目的とは何なのか。それは本質的には、世代間の不公平を是正することにあります。前述のように、消費税収の全額が充てられている社会保障給付は、国民の懐から懐へとおカネが移っているだけのもの。消費税収が足りず、そのおカネの動きの半分程度が、赤字国債の形で、投票権を持たない子や孫の世代が60年にわたり担う国民負担で回っています。

現在を生きる私たち世代は次世代におんぶに抱っこ、親として恥ずかしい。世代として自立していないのはみっともない。消費増税とは、そんな矜持や道徳観、道義のもとに、本来は国民が主体的に選択すべき筋合いのもの。そうであってこその民主主義でしょう。

これは本来は保守の基本理念なのですが、その肝心の保守系の方々が消費増税に反対しています。次回は、それに反駁した上で、あるべき財政運営の姿を考えてみたいと思います。

 

松田学のビデオレター、第99回は「パックス・アメリカーナの財政負担、消費増税と国民の選択」

チャンネル桜20181113日放映。