松田まなぶの国力倍増論第8回、新政界往来誌に掲載「財政投融資で国力発現のチャンスを」 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

松田まなぶの国力倍増論第8回、新政界往来誌に掲載「財政投融資で国力発現のチャンスを」

 いまこそ財政投融資の出番!
 アベノミクスの財政出動を制約してきたのが財政再建路線ですが、国債には税金で返済しなくてよい国債があります。第二の予算、財政投融資の貸付金の財源となる国債である財投債です。
 プライマリーバランス目標の外側です。
 これは、調達した資金の運用で生み出される富を返済財源とする、本来の資産運用のあり方に即した国債。赤字国債とは根本的に異なります。
 今回の28兆円余りの経済対策のうち、財政投融資は6兆円超。
 日本は世界最大の対外純資産国です。超低金利の今、未来への投資で国力倍増へ。
 
新政界往来誌2016年8月号に掲載された、松田まなぶの国力倍増論、第8回は「財政投融資で国力発現のチャンスを」。



 以下は、記事の本文です。

―日本新秩序へ― 松田まなぶの国力倍増論
第8回 財政投融資で国力発現のチャンスを


 笛吹けど踊らず―。これが日本経済の現状だろう。
 今回の参院選でもアベノミクスの是非が争点だったが、3本の矢は成長の必要条件として正しく、アベノミクスそのものは本来、争点にはならないものだ。
 政策面で環境を整えても、肝心の民間がリスクテイク、挑戦に踏み出さないことに問題がある。
 成長の必要十分条件に近づけるために、何を組み合わせるかこそが経済政策の真の論点である。

日本は世界一おカネの余力がある国
 第1の矢で日銀がどれだけ国債を爆買いしてベースマネーを増やし、マイナス金利まで導入しても、肝心の民間銀行がリスクを取って融資を増やさねば市中のマネーは増えず、2%の物価目標も達成できない。ここはやはり、第2の矢の機動的な財政政策で総需要を増やして市中マネーを回転させるしかない。

 この変化の激しい時代、専ら民間投資が経済を牽引するにはあまりに先行きの不確実性が大きい。第3の矢の成長戦略こそ大事だとされるが、効果の発現には時間がかかる。民間が委縮しているときに必要なのは、国がもっと前面に出てリスクをカバーすることだ。

 だが、財政政策には先進国最悪の財政状態という壁がある。長年、消費税率引上げを先送りした結果、高齢化で膨らみ続ける社会保障給付に財源を取られ、それ以外の財政支出の対GDP比はOECD加盟30数カ国の中で日本はビリだ。先進国で最もおカネのない政府なのである。

 ただ、日本は一国全体ではおカネがあり余っている。課題は、それを国民の希望を創ることに有効に回すことにある。金融資産ストックを活かす知恵でおカネを回し、フローの成長を生み出して潜在的な国力を顕在化させる余地が日本には十分にある。

 個人金融資産千七百兆円だけでなく、非金融法人部門等も併せれば三千四百兆円余りの金融資産が日本には存在する。それが金融部門を通じて、国債など全体で千二百兆円余りの政府の借金などへと運用されてもなお、余りあるおカネが海外に運用され、日本は対外純資産残高が15年末で三三九兆円と、世界ダントツ一位の債権大国となっている。この第一位の地位は25年も続いている。

 この状態は、国全体でみれば日本国家の財政的破綻が計算上は起こらないことを示す。ギリシャのような対外純債務国なら財政悪化はデフォルトにつながるが、日本の場合、海外に潤沢な財布がある。国内で資金ニーズが高まっても、最終的に対外純資産という調整弁、バッファーが世界最大規模で存在する。数百兆円規模での国内資産の毀損が生じるような大災害でもない限り、日本は財政的に破綻しない。

 そのもとで、16年度末で八三八兆円に達する普通国債(将来の税負担で償還される長期国債)の累増の問題は、量的限界の問題ではないだろう。国債が増えても日本国全体の運用資産ストックの中身の調整で飲み込める余地が大きい。問題は、その中身の質的問題、つまり、その大半を赤字国債が占めるという金融資産のポートフォリオにある。

 通常、資産運用とは、それが富を生み、その果実で利回りを得るためになされる。国債のうち、公共事業などの財源として財政法で許されている建設国債は、将来世代に対して資産を残す使途に回る。しかし、高齢化に伴って増大する社会保障費を主因に累増してきた赤字国債は、将来に何ら資産を残さないまま、60年償還ルールのもとで、三世代にわたって将来の国民の税負担でツケを返していくことになる。

 16年度末で赤字国債の残高は五五五兆円にのぼり、日本の金融資産運用の中で、富の増大どころか毀損につながる部分が大きくなっている。これはいずれ、日本の国力や成長力を損うことになる。赤字国債は将来世代に、彼らの受益につながらない税負担を強いるから、納得感なき税負担にもなる。これは「代表なきところに課税なし」の民主主義の基本原則にも反する。建設国債なら、インフラなどの資産によって将来世代も便益を得るから、まだ納得できる税負担といえる。ただ、それが将来世代にはありがた迷惑な資産となってはならない。

税負担に結びつかない国債がある
ここにもう一つ、税金で返済しなくてよい国債がある。財政投融資の融資財源となる国債である財投債だ。国債は運用サイドからみると、赤字国債が「将来の富を削減する資産」、建設国債が「富は生んでも赤字国債同様、将来世代に選択の余地のない税金で返済される資産」とすれば、財投債は「それを財源に生み出される富からリターンを得る資産運用」といえる。

 国の予算が税金や普通国債を原資として無償資金(やりっ放しのおカネ)を配分するのに対し、国の予算と一体となって編成される財政投融資は有償資金(返済が必要なおカネ)を扱う第二の予算である。

 ここでは国が財投債で調達したおカネを、公共目的に沿って融資し、民間への貸付金やインフラなどの形で資産となり、財投債の償還財源は税金ではなく、融資の返済金が財源になる。財政投融資の貸付先である政策金融機関(日本政策金融公庫など)の場合は、中小企業など貸出先の経済活動を促進し、その果実でおカネが返済される。事業実施機関(有料道路など)の場合、それで整備されるインフラの使用料金収入が返済財源になる。これはインフラの利用者が得る便益に見合って利用者が負担するもので、一般国民が強制的に負担させられることになる税金とは性格が異なるものである。

 財投債なる国債は、他の国債とは区別なく、国債という一本の金融商品として金融市場で発行されている。かつて財政投融資は官を肥大化させる元凶として批判されたが、それは郵貯や年金などの強制預託制度の時代の現象だった。01年の財投改革で、今やそれらと財政投融資との間には金融市場が介在し、市場の規律が働いている。往時に比べ財政投融資全体の規模も3分の1にまで縮小した。長期金融市場で最も低利な国債が財源だから、国は公共目的のもと、民間では提供できない長期・固定・低利の資金を供給できる。

いまこそ政府の出番
秋にも予定されている大型経済対策に向けて、「ゼロ金利を活用した超低金利活用型財政投融資」や、リニア新幹線の大阪への延伸時期の前倒しなども提案されているが、異次元緩和の今、将来に向けた成長の基盤づくりへの投資に財政投融資で国が役割を発揮すべきチャンスだろう。

 日本ではこれまで、新自由主義の影響が強く、政府の機能は民間企業的な規律付けで制約されてきた。確かに行革は必要だが、そもそも政府は民間には担えない、政府にしかできない仕事をするために存在する。

 例えば、国際協力銀行にも民間銀行と同じ規律を求めていては、アジアのインフラ整備で中国に対抗できない。

 巷の行革論に不足しているのは、機能する政府を構築するという視点ではないか。金融政策だけでは民間が踊らないなら、政府の出番だ。税負担につながらない財投債で日本の金融ストック力を顕在化させ、将来の国民に必要なインフラなどの資産を生んだり、資金さえあれば成長する事業に金融をつけて富を生むチャンスを実現できるようにする。

 国家の将来に向けた方向づけに財政投融資が機能を発揮することで、民間が納得してチャレンジできる環境が強化されることを期待したい。