【松田まなぶの論考】自民党オープンエントリーでは若い世代の立場に立った議論を。 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

●消費増税と若者世代
消費税率を予定通り来年4月に引き上げるかどうか、その是非を巡る議論が、再び、解散総選挙をにらんだ政局絡みで国論を二分している。
筆者は先日、自民党オープンエントリーのファイナリスト12人によるインターネット生中継の公開討論会に、ファイナリストの一人として出たが、この場でも、他のファイナリストが景気の現状に鑑みて、来年の消費増税に強い反対意見を述べていた。

このオープンエントリーとは、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることを機に、インターネットによる投票で政党の国政選挙公認候補者を決める新たな試みである。
デジタル民主主義の確立に向けて、ITを通じて政治に参画することを促す試みなのであるから、政治には無関心とされる若者世代を意識した発言が活発化するチャンスでもあろう。
そうであれば、いまの大人の世代の、ややもすれば短期的視野に傾きがちな声とは異なる視点からの意見が、公開討論会ではもっと強く出ても良いように思った次第である。

消費税率を上げられたら、この不景気の中で、買い物の際のモノの値段が上がる消費者も、増税分の価格転嫁が困難な事業者の方々も、困るのは当然だ。
目先の経済計算を優先すれば、なぜこんな経済状態で増税するのか、という、それ自体に反対論を唱えがたい正論になる。増税論は政治的にもマイナスだろう。

しかし、である。
いまから20~30年後に日本のタックスベイヤーの中心世代になる若者世代にとってみれば、消費増税を先送りすればするほど、将来背負う税負担は重くなっていく。

少し前のことであるが、ある高校の教室では、消費税率引上げに反対する今の大人たちは無責任だ、結局、私たちの世代の負担を増やすだけのことではないかと、生徒たちの議論が盛り上がっていたと聞く。
筆者の長女は、世界中から音楽家をめざす留学生たちが集まるウィーンで勉学していた際に、各国の若者たちから「日本はダメになる、世界で最も高齢化が進む国なのに消費税率はたった5%で、課題を解決できない国だから。」と指摘されたそうだ。
日本の子供たちも世界の若者たちも、結構、事態の本質を見抜いていることを、日本の大人の有権者は忘れてはならない。

●代表なきところに課税なし
筆者は、この公開討論会の場で、来年の消費税率引上げの是非の議論の前に、若者世代にとっては重大な問題となる消費税について、もっと考えるべきことがあると申し上げた。

まず、日本では消費税収の全額が社会保障費に回っていること自体をご存知でない有権者が多い。法律の規定により、かつて5%の税率のときは年金、老人医療、介護の「高齢者三経費」に、8%になってからは、年金、医療、介護に少子化対策を加えた「社会保障四経費」に、国と地方に入る消費税収の全額が充てられている。

そもそも社会保障とは、それ自体が保険機能である。
少子化対策を別とすれば、年金、医療、介護とも、社会保険料を財源として社会保障給付を支給する仕組みである。しかし、社会の高齢化で、現役世代が負担する社会保険料収入では足りなくなり、国や地方による公費負担で、この保険制度を補助する部分がどんどん拡大している。
その公費は原則として消費税収で賄われるわけである。

ざっくりいえば、必要な公費に比して、税率5%のときはその3分の1しか消費税収では賄えず、8%になって半分程度、10%になっても3分の2で、残りは赤字公債、つまり次の世代が税金で負担する形が続く。
もちろん、経済成長率が高まれば、税率を上げなくても消費税収は経済成長率と比例的に増えていくだろう。
だが、今後、特に団塊の世代が全員75歳以上となる2025年以降、医療や介護を中心に社会保障給付は、経済成長率を高めに想定しても、それを大きく上回る伸び率を続けていくと見込まれている。ならば、毎年のギャップの部分が赤字公債を累増させ続けていくことになる。

国債の償還は日本では60年償還ルールであり、満期ごとに借換えを続けて60年間かけて税金で返済していく建前だから、社会保障という保険機能を維持していくために毎年発生する不足分の負担は、その都度、その後三世代にわたって続いていくことになる。

しかし、将来世代は選挙権がないから、政治では声にならない。
代表なきところに課税なし、なのだが、消費増税先送りとは、代表なきところに課税しているようなもので、民主主義の原則にも反するわけである。

●将来世代も国民である。
問題はどこにあるかといえば、今の一般会計どんぶり勘定の財政の仕組みでは、こうした関係性が見えにくくなっていることにある。

国民には、社会保障給付が集中して支給される「高齢世代」、保険料を負担する「現役世代」に加え、赤字公債の税負担をする「将来世代」が存在することを忘れてはならない。
これら3つの世代を「国民」と捉えれば、実は、消費増税は国民全体でみれば負担増にはならないのである。
消費税率をどうするかの前に、これら3つの世代の間で、社会保障の受益と負担の関係をどのように整理するのか、という本質論が、まず必要である。

将来世代以外の今の世代だけでみても、そもそも、社会保障に全額充てられる消費税は、消費税を負担する国民から、社会保障給付を受ける国民へのおカネの移転に過ぎない。
政府はそれを仲介している立場に過ぎず、政府が税収を費消しているわけではない。

では、消費税率引上げはなぜ、景気に大きなマイナスとなるのだろうか。
それは、本来は国民から国民へのおカネの移転に過ぎない消費税の税率引上げを、これまで先延ばしし続けたため、いま行われつつある消費増税のうち、借金に依存する部分を減らす分に回る額が非常に大きくなってしまっているからだ。

社会保障給付の増大とテンポを合わせた増税が少しずつ行われる形であれば、おカネが国民の間で右から左に移るだけのことになる。
しかし、次の世代に回していた負担を今の世代で負担する形に是正するということになると、その分、今の経済にとっては純粋な負担増になる。
5%から10%への引上げで、約14兆円の消費税収の増加となるが、うち10兆円あまりが、この純粋な経済への負荷部分である。

これは、これまでの増税先送りがもたらしたツケであり、先延ばしすればするほど、このツケの部分が大きくなる。人口減少を続ける日本の経済が、将来、これにどこまで耐えられるだろうか。

●「一億総納得社会」へ、財政の仕組みの改善を。
ただ、現在の経済状態に鑑みると、来年の増税を予定通り実施するなら、増税による景気マイナス効果を相殺して余りある総需要対策が必要だろう。
増税で経済を殺すようなことがあってはならないという議論は正しい。

しかし、今の財政の仕組みでは、そこにも財政再建というタガがはまるため、財政政策にも限界がある。
国債=悪と決めつけ、将来世代に資産を残す建設公債もツケしか残さない赤字国債も一緒くたにして、とにかく国債を減らせという財政運営では、あまりにガチガチで大きなことはできない。

財政にはバランスシートの考え方で運営する部分を組み立てる必要がある。
将来世代に資産が残るなら、それに対応する借金の返済は将来世代が負担することについて、将来世代も納得できる余地が生じる。

このように、国民自ら、受益と負担との関係で世代間の負担調整の判断ができ、必要なときには弾力的な財政運営を可能にするような財政インフラの整備こそが必要である。
安倍政権の「一億総活躍社会」に加え、こうした財政の「見える化」を通じて、「一億総納得社会」を実現していくことを、筆者は公開討論会で提案した。

何事もプロとしての職業意識を大事にするドイツでは、「政治家」という職業とは、「国家の本質的な課題を国民に対して明確に説明するプロフェッショナル」と定義されている。筆者は公開討論会の最後に、あえてこのことにも言及した。

人気取りでもなく、目先の短期でもなく、長期の未来に最も利害関心を有するはずの若者世代の立場に立った本質的な議論が出てこそ、オープンエントリーという試みに責任政党たる自民党が踏み切ったことの意義があると考えるのは、筆者だけだろうか。