松田まなぶの論点】ズレまくっている安保法制論議(その2) | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

~平和憲法を守るからこそ実質的には個別的自衛権にとどめている~

 前回述べたように、NATOのような集団的自衛権が本来の国際標準の集団的自衛権だとすれば、今般、安倍政権が行使できるようにしようとしている集団的自衛権は、これとは大きく異なるものである。平和憲法を持つ日本国は、通常の意味での集団的自衛権の行使は控えようとしているのだ。この点は従来と全く変わらない。
 今般、日本が集団的自衛権を限定的に行使できるようにしようとしているのは、あくまで自国の「存立危機事態」においてである。だが、よく考えてみると、自国の存立に関わるような事態に必要最小限の武力を用いるというのであれば、それは本質的には個別的自衛権と変わりはない。ただ、自国の領土領海が攻撃されていない以上、形式的には、国際法上、集団的自衛権に分類されるため、これを個別的自衛権だと言うと国際法違反になってしまう。だから、たとえ実質は個別的自衛権であっても、国際法と齟齬を来さないよう、憲法解釈の変更や立法措置が必要になったわけである。
 これは本当に「違憲」と断ずるべきものなのだろうか。
 日本国憲法には個別的自衛権も集団的自衛権も、これを認めるとも認めないとも明文としては書かれていないし、集団的自衛権は違憲であることを明確に言っている最高裁判決も存在しない。政府の憲法解釈しかないわけであるが、それは日本国憲法の趣旨に即して、その時々になされてきた解釈に過ぎない。これまでの解釈が確立したのは1972年とも81年とも言われるが、当時の政治情勢のもとで与党が革新政党と政治的取引をした結果だったという指摘もある。
 それはさておき、国際情勢や世界の安全保障の概念の変化、あるいはグローバル化で日本人や日本の設備が海外で活動を活発に展開するようになった現状に即応して、自国を守るという個別的自衛権を全うするためには、国際法上の定義では集団的自衛権に引っかかることも時にはしなければならなくなっているのが現実であろう。その範囲であれば、今回の憲法解釈の変更(いや、「是正」ともいえる)は、武力行使は個別的自衛権に限られるとする専守防衛の現行憲法の趣旨を逸脱するものとまではいえないだろう。
 例えば、ホルムズ海峡での機雷除去などは、日本人の生命線である原油が途絶することを防ぐために必要なら、国家として必要不可欠な自国防衛措置である。米国は、自国の船舶に対する攻撃は自国への攻撃とみなしているようだ。態様はどうあれ、それ自体は実質的には立派な個別的自衛権である。機雷を敷設した国を攻撃するのではない。日本人の生活を脅かす要素が発生したことに対し、受動的に、その状態を除去するだけである。

<次回に続く>

<前回(その1)「極力少ない軍事力で戦争を回避する仕組みが集団的自衛権。」の記事は、こちらをご覧ください。>