【松田まなぶの論点】ズレまくっている安保法制論議(その1) | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

~極力少ない軍事力で戦争を回避する仕組みが集団的自衛権~

 「違憲」だの「戦争法案」だの「徴兵制」だの「自衛隊員のリスクがどうだ」など、安保法制を巡る議論がここまでズレまくっていると、私も黙ってはいられなくなる。
私の畑は経済財政分野だと見られているが、衆議院議員のときは内閣委員会で質問に立つたびに、菅官房長官や内閣法制局長官に安全保障に関する法律論をぶつけていた。特に、昨年7月、集団的自衛権を巡る閣議決定がなされる前後の時期がそうだった。安倍政権を応援するためである。応援したいのに、国民に明快に説明しきれていないと感じていたからだ。ここでは集団的自衛権をとりあげてみたい。
 集団的自衛権とは、そもそも、第二次大戦後の国連の発足に際して、どの国連加盟国もが有する権利として個別的自衛権とともに国連憲章で認められたものだったが、ここであえて個別的とは異なる「集団的」という概念が出てきたことには理由があった。
 例えば、あるトンデモナイXという国が国連加盟国に武力攻撃をしたとしよう。本来、こうした国際社会の平和を乱す行為に対しては、国連安全保障理事会の決議により、国連軍を編成するなどして国際社会全体で武力制裁を加えることになるが、それを「集団安全保障」と言う。しかし、安全保障理事会の常任理事国は米、英、仏、露、中の五カ国で、それぞれが拒否権を持っている。X国がこれら五カ国のどこかと親しかったり、傀儡国だったりするなど、五カ国のいずれかが拒否権を発動して安保理決議ができない事態が十分に想定される。
 そこで、安保理決議が出ない場合に集団安全保障に代わる代替措置として、複数国が有志連合を結成してX国を抑え込むということができるよう、どの国もが集団的自衛権を有することが定められたわけである。分かりやすい例がNATO(北大西洋条約機構)だろう。同盟メンバー国であるa国がX国から攻撃されたら、他の同盟関係にあるb国やc国等々もX国を武力攻撃できることになる。
こうなると、X国としては、a国だけが相手なら戦争ができると考えても、a国を攻撃したら他の同盟国までX国を攻撃してくることになるから、a国を攻撃することを踏みとどまることになる。a国単独であれば、日頃からX国からの攻撃に耐えられるだけの軍事力を備えておかねばならないが、こうした同盟関係を他国と結んでおけば、a国が備えておくべき軍事力はより小さくて済むことになる。
 つまり、集団的自衛権というのは、できるだけ少ない軍事力で自国の安全を図る仕組みなのである。集団的自衛権が行使できないという議論をしているのは世界の中で日本とスイスぐらいだが、永世中立国であるスイスはこうした同盟関係に入らないのが国是だから、集団的自衛権を採らない代わりに、自国防衛のために徴兵制まで営んできたものである。
 このように、集団的自衛権とは、本質的には軍事大国化と徴兵制を回避する性格のものであって、いま日本で、全く逆の批判がなされているのは理解に苦しむ。

<次回に続く>