松田まなぶの論点 「身分」から魅力ある「職業」への公務員改革を | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

松田まなぶの質問のポイント 12月4日衆院内閣委員会

●2010年自民・みんな案とのかい離
 2010年当時の自民党は、今回維新とみんなの党との共同提案の内容の法案をこそ良しとしたはず。その後の変化は自民が政権に入ったこと。
 この乖離は、官僚主導の部分。政治への応答性を高めるための公務員制度改革を提出している立場と矛盾。「我々は官僚主導だ」とのメッセージを国民に送っている印象になってしまう。残念。
 もし自民党が今の案をベストとして提出しているなら、野党のときはそうでないものを出したことになる。わざとそうしたのなら、党利党略。わざとでないなら、やはり官僚に依存しなければ政策運営ができない政党だったことを自ら告白したようなもの。
  その汚名を濯ぐために、2010年法案への修正にぜひ、応じるべき。しかし、そうした我々の主張を自民は拒否。
  
●公募数値目標
 民間からの公募について数値目標を設定することは、そもそも現行の国家公務員改革基本法の第6条に規定されており、本法案で規定することを拒否するのは、政府自らこの基本法に違反する立場をとるものではないか。
 数値目標が色々と問題も生じさせるリスクがあるから法案に入れないというのは、まさに官僚の論理。責任を取らされたくないという官僚の気持ちが見え見え。問題はいくらでもクリアーできる。

(問) 公募を行う数値目標の設定について、具体的にどのような弊害が生じると考えているのか。今回の法案に盛り込むことで、何らかの国益が損なわれると判断したのか。
⇒稲田大臣答弁:「職員の公募に関する指針」で具体的措置を規定することになっているので、基本法違反はしていない。

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(問) ならば、本法案に言う「職員の公募に関する指針」に数値目標を設定するという理解で良いか。
⇒稲田大臣答弁:その妥当性について検討する。(⇒松田注:答になっていない)

●級別定数
 個々のポストの重要性に即した級別定数の個別査定は、本法案によって、人事院と内閣人事局の両方で行われなければならなくなるはず。査定を受ける官庁の側からみれば明らかに二重行政。政府の仕事の効率を著しく低下させる。両方に同じ規模のスタッフが必要になり、行革にも逆行。
 民主党との合意では、資料提出の一元化の検討など、効率性を損なわないための工夫をすることになっているが、いくら工夫しても、いったんこうした制度変更をしてしまえば、現状よりも行政事務の効率の低下は必定。
 この際、今回の改革の焦点は「幹部職」に絞り、人事院から内閣人事局に移管する級別定数については、「基本法」に即して「幹部職員等に係る各府省ごとの定数の設定および改定」へと限定して内閣官房が一元的に行うこととしたほうが、個人的にはまだマシではないかとすら思う。

●幹部職の一般職への降格
 この際、幹部職(指定職)を特別職として一般職から区別し、身分保障を緩和すれば、この法案はかなりすっきりする。色々な問題、矛盾も解消する。
 これに対する稲田大臣の答弁は、「大きな問題」。それでは答になっていない。こうした大きな改革をしてこそ、公務員制度改革になる。自民党は「改革政党」ではないことをアピールするようなもの。
 幹部職は国益のために身を捧げるノブレス・オブリージュの存在。そのような人々が身分保障が必要などと言うなら、それこそ「適格性」審査に外れる。そんな人を幹部職にすること自体が間違い。
 それがイヤな人は、身分保障のある一般職になったほうが幸せ。だから、一般職に降格する道があったほうが良い。身分保障が欲しいなら、出世は望まなければ良い。身分保障も出世もというのは、もう成り立たない。
 幹部職にまでなる人なら、自らの実力で再就職できるはず。
 身分保障がなくても生きていける人こそが幹部職になれることになれば、官僚全体がおのずと、プロフェッショナリズムを追求することを促すはず。
  
(問) 幹部公務員を一般職から区別して身分保障を緩和することについて、稲田大臣は「大きな問題」、「根本的な問題」と答弁しているが、その意味を明らかにしてほしい。
⇒稲田大臣答弁:「幹部職も一般職と同様、政治的中立性を確保する必要がある」(⇒松田注:それを言うのであれば、今回の改革全体について大きな問題があることになる。身分保障でその懸念を払拭するのは、改革の方向からして筋違い。)

●天下りあっせんへの罰則
 前回の質疑でも指摘したように、およそ公務員制度については、次の2つの相対立する設計思想がある。すなわち、
(A)「官も民もその能力は共通の尺度で測ることができ、官と民が相互に出入りすることが国全体としての人材活用になる」。(米国型、リボルビングドア)
(B)「官の職務は民間とは異なる特殊なものであり、官に奉職する者は終身公務員として生涯をその分野の公務に捧げるべきである」。(ドイツ←手厚い恩給)
 これまで、社会全体として労働市場が流動的ではない日本では、(B)を成り立たせつつ優秀な人材を公務員に確保するために、恩給という国民負担ではなく、「天下り」でそれを担保してきた。しかし、もはやそれが成り立たず、日本も(B)から(A)への転換を迫られている。
 その答となるのが「プロフェッショナル」。これはスペシャリストとは異なる概念で、一定の学問体系に基づき、組織を超えて社会に価値を生み出し、世界共通のプロトコールに基づいて高い倫理観で行動する職能集団。そのバリューを国益に捧げるための職業として公務員に就くという論理構成であるべき。
 ⇒自らの実力での再就職は大いに良しとすべし。それが設計思想(A)である。
 その上で問題の一つは、そうした再就職も「天下り」という目で見られて批判されること。このままでは設計思想(A)は進まない。
 こうした批判に対して、実力による再就職を堂々とできるようにするための提案が、政府は再就職先の援助はしない、省庁による再就職あっせんには罰則を設けるといった、維新の提案。
 現実には、ウラであっせんが行われているのではないか。
 現行の懲戒処分では、公務員の身内で適当にお目こぼしをしているのではないかとの疑念は払拭されない。さすがに罰則ができれば、そうでなくなり、公務員の再就職は「天下り」ではないという理解になる。
 こうした改革のほうが公務員本人にとってむしろ幸せ。
  
(問) 省庁職員による再就職の依頼等の禁止について、具体的にどのように実効が担保されているのか。違反に対して懲戒処分から罰則へと制裁を強めることについて、どのような問題があるか。

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●現役出向
 自分も「現役出向」を経験したが、マイナスイメージで語られている。
 政府案はそれを払拭するものとなっていない。
 例えば、現役出向についてはNPOなどを想定しているのか。私は現役官僚だった頃、個人の立場で言論NPOの理事をしていたが、NPOというのはとにかく大変で、特に政策論の場づくりをするNPOだったため、現役の官僚に出向してきてほしいと何度も思ったものだ。役所に戻れば、政策のプロとしての幅広さが身に付き、公務に大いに役立つことだろう。
 むしろ、改正案にはそれを盛り込むべきではないか。
 稲田大臣も、本法案の趣旨説明で「我が国の課題を克服し、強い日本を取り戻すため、政府の総合的な人材戦略が急務」としている。まさに社会の課題に向き合うのがNPOなどである。民の立場で公益のための活動をすることが官にとっては最も有益な現役出向ではないか。それを前面に出す改正とすべきだったのではないか。
  
(問) 現役出向拡大につながるとされる「国と民間企業との間の人事交流に関する法律」の一部改正案について、NPOなど非営利セクターへの出向は想定されているのか。
  
●官僚の行動の自由化
 プロフェッショナル型官僚を前提とすれば、官民の人事交流だけでなく、官僚の行動の自由化も必要
 官民で共通のスペックが成り立つ職種でなければ官民「人事交流」は今のままではなかなか難しい。それができるためには官の仕事のあり方そのものを変革する必要。
 むしろ、今すぐにできる改革は官民の「交流」の促進。官の情報機能を強化し、民に触れることで民意に即した国益への自覚も高まる。意識改革にもつながる。
 かつて官僚がもっと機能していた時代には、各界との交流が活発になされていた。私の入省時の上司だった故・長富裕一郎、当時の参事官は、役所に一日三時間しかいなかったから「参事官」と呼ばれた。大平首相のブレーンもしていた彼は、朝から深夜まで各方面を飛び回り、これが官僚なのだと当時の私は思ったものだった。それがいざ、自分が管理職になってみると、言論NPOの活動を勤務時間外にしていること自体が職務専念義務違反として批判される時代になっていた。これはプロフェッショナリズムとは反する。
 今の官僚は、職務に関連する講演をした場合には、報酬を受け取ることは禁止されている。講演というものは、勤務時間の合間をみて資料を準備するなど、忙しい官僚にとっては結構大変なものだが、講演に呼ばれても、その後の懇親会費まで自己負担させられる。それならばと、多くの官僚たちが講演には出向かなくなってしまい、これは国の政策に関する情報を求める民間にとっても、民の声を吸い上げるべき官僚にとっても、不幸な事態。
 官民「交流」すべきものは人事以外にたくさんある。

(問) 官の情報機能を高め、使命感をもって行動する官僚へと意識改革を促すためには、人事交流だけでなく、民間各界との「交流」を促進する必要があるのではないか。その上で現状では官僚の行動への制約が強すぎないか。
⇒稲田大臣答弁:「官が民との交流を深めるのは大いに賛同。ただ、業者との癒着にならないようにすることとのバランスの問題がある。」(⇒松田注:そのバランスがあまりに官僚を委縮させる方向に行き過ぎていることを指摘しているもの。志の低い人に基準を置いて全体を規制するというマイナーな発想ではなく、志の高い人の志を評価する、もっとポジティブな考え方に転換することが必要ではないか。)

●公務員の職業としての魅力を高めるためのプロフェッショナリズム
 天下りがなくなり、設計思想(B)が採れず、かと言って、(A)が徹底していないことが、今の公務員の「職業」としての魅力を低下させている。日本維新の会の「身分から職業へ」を実現するには、公務の仕事を今の時代にふさわしい魅力あるものへと高める方向が必要。
 それが、プロフェッショナリズム。
 特にグローバリゼーションが進展しているこんにち、公務の分野でもグローバル社会で解決する仕事が多くなっている。官僚も国益実現のため各国間で熾烈な国際競争の時代に。
 待遇や職業としての魅力が国際標準よりも低ければ、国際標準よりも低い人材しか日本の公務には来ない。
 近年の官僚バッシングで、財務省に就職内定が出ても、親が「評判の悪い財務省には行くな」と反対する事例まであると聞く。
 また、官職に尽くしてきたキャリア官僚たちは専門的能力が不十分になっているのが実態。特に政治主導が進む中で、「官僚の政治化」が進展、政治との調整能力が出世の条件に。
 政治への応答性と専門性との間に矛盾がある。手に職のある人材が育たない。
 退職給付代替率が低く、それを天下りで補うべく「退官後の生活保障共同体」と化し、縦割りを招いてきたのが日本。
 ⇒再就職あっせんを禁止したなら、幹部公務員については身分保障をはずし、今までの公務員とは別のコンセプトの職業に転換する必要。
 そのために、公務員全体の職業のあり方も、この分野なら自分の力でも生きていけるという能力やネットワークを持った「プロフェッショナリズム」へと抜本転換しなければ、良い人材は集まらない。
 いまの時代にあって真に必要な公務員改革とは、官僚を「身分」ではなく、プロフェッショナリズムを活かすことでやりがいを感じられる魅力ある「職業」へと転換し、彼らが伸び伸びと仕事ができるようにすること。その前提として、維新が主張する提案を取り入れて政府が法案修正することを強く望む。