☆受精卵のゲノム編集の是非:紙面上バトル | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

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今月の紙面上バトルは、受精卵のゲノム編集の是非についてです。

 

Fertil Steril 2023; 120: 737(英国、米国)doi: 10.1016/j.fertnstert.2023.08.009

Fertil Steril 2023; 120: 735(米国)コメント doi: 10.1016/j.fertnstert.2023.08.008

要約:受精卵のゲノム編集の是非について、4名の産婦人科医に意見を伺いました。

 

賛成派:2018年ゲノム編集技術CRISPR/Cas9CRISPR)を使用した受精卵により中国で双子の女の子が生まれたという報道があり、世界中が大きな衝撃を受けました。多くの方がこの技術の臨床応用に反対であるのは、安全性と有効性に関する懸念と倫理的問題があるからです。受精卵へのゲノム編集技術の臨床応用は時期尚早であるということに、私たち賛成派も同意します。

 これまでにも「3人親の赤ちゃん」や「デザイナーベイビー」など、新しい方法が提案されるたびに、さまざまな反対意見が出されてきました。現在、遺伝性疾患を防ぐために羊水検査や絨毛検査などで出生前診断することはできますが、唯一の治療は妊娠中絶になります。しかし、宗教的な理由などで妊娠中絶できない方がおられるのも事実であり、これらの方にとって現在の出生前診断は意味がありません。また、着床前診断としてPGTが導入され、染色体異常などによる妊娠中絶が回避できるようになりました。しかし、PGTによりすべての疾患を回避することはできません。また、移植に適した胚が存在しない場合には、繰り返し採卵と検査をすることになり、多額の費用がかかります。ゲノム編集は「行き過ぎた」過激な介入であると言われますが、ゲノム編集は、個々の遺伝子を正確に標的にして破壊することが可能であるため、ゲノム編集によりすべての胚が移植の対象となり、受精卵を廃棄する必要がなくなります。これは、宗教的あるいは倫理的問題の一部を回避することでしょう。遺伝的突然変異によって引き起こされる1万を超える単一遺伝子性疾患の多くは、受精後数日以内にすでに不可逆的な影響を及ぼすものと考えられ、ゲノム編集による早い段階での突然変異の除去は、病気の表現型が完全に回避される可能性が高いと考えられます。また、ゲノムに加えられた変更点は次の世代に受け継がれますので、子孫の疾患も回避できます。このため、米国科学アカデミーと米国医学アカデミーは、ゲノム編集が遺伝性疾患によって引き起こされる苦痛を軽減する可能性があり「生殖細胞または胚におけるゲノム編集が唯一の、あるいは最も受け入れられる選択肢となる状況が存在する」としています。同様に、英国ナフィールド生命倫理評議会は「将来の世代に影響を与えるゲノム編集は、状況によっては倫理的に許容される可能性がある」としました。

 ゲノム編集がヒト胚に適用されることになれば、安全性への懸念に対処する必要があります。初期胚の細胞では、CRISPR/Cas9技術による二本鎖DNA切断の処理に苦戦しています。一方、ゲノム編集技術は進化し続けておりDNAに対して「より優しい」方法が誕生しており、安全性に対するリスクを軽減する可能性があります。ミトコンドリア置換療法(MRT)は、ゲノム編集といくつかの類似点があり、ゲノム編集導入の際のモデルとなるでしょう。英国でのMRTの導入は倫理と安全性に関する深刻な問題を引き起こし、広範な協議が行われ、2015 年に法的な規制が成立しました。同様のプロセスにより、安全な受精卵のゲノム編集を担保する必要があります。将来の疾患の根絶という潜在的に大きなメリットがあるため、非常に価値のある挑戦だと考えます。

 

反対派: CRISPR/Cas9を用いた受精卵のゲノム編集により、移植可能な胚が多くなる可能性は確かにありますが、技術的および倫理的な問題から、現段階で臨床応用することは受け入れられません。

 まず、CRISPRは二本鎖DNAを切断し、その後修復されます。最も一般的な修復過程は非相同末端結合と呼ばれるエラーが発生しやすい経路であり、胚自身の修復機構を利用する相同性指向修復はあまり起こりません。DNA損傷に対する修復過程が脆弱であることは、CRISPRの臨床使用に反対する大きな理由になります。また、これまでのデータからは受精卵のゲノム編集が胚の発生に悪影響を与える可能性があります。

 現在のところ、病気の原因となる突然変異を受精卵のゲノム編集により修復できるかどうかを調べている段階です。中国の最初の報告では、CRISPRの効率が低いだけでなく、重大な的外れな結果やモザイク現象がありましたが、洗練された現在の方法を用いると、受精卵のゲノム編集精度の向上(>90%)が示されています。しかし、受精卵のゲノム編集により別のDNA損傷を引き起こす可能性も報告されています(オフターゲット効果)。したがって、ヒト受精卵のゲノム編集技術の安全性を評価するための基礎研究が重要です。

 倫理的および法的に重大な懸念材料があるため、2015年ヒトゲノム編集に関する国際サミットでは、厳格な法的および倫理的ガイドライン下でのみ研究を行うべきだとしました。2017年全米科学工学医学アカデミーは、遺伝性疾患のゲノム編集は許されないとしました。現時点では受精卵のゲノム編集は研究ツールであり、臨床的な手法ではありません。安全性を裏付ける根拠はほとんどなく、子孫および将来の世代の健康に重大なリスクありとする証拠が豊富にあるからです。現時点では単一遺伝子疾患の伝播を防ぐためにPGT-Mまたはドナー配偶子治療が可能ですが、将来的には受精卵のゲノム編集が臨床で使われるようになるものと考えます。実際に、多くの医療的手法は、かつては不適切で受け入れられないとされてきたものばかりだからです。 

 

解説:このバトルは毎回そうなのですが、全く議論がかみ合っていません。まさに平行線です。その最大の理由は、両者のスタンス(立ち位置)にあると思います。受精卵のゲノム編集賛成派は少しでも可能性があるならその可能性に賭けるという考えであり、受精卵のゲノム編集反対派はリスクを重視し原則やらないが行う場合は条件を絞って実施するという考えです。ただし、今回の両者の言い分はほとんど同じようにみえます。

 

コメントでは、まずCRISPR/Cas9技術の歴史を述べています。2020年にジェニファー・ダウドナとエマニュエル・シャルパンティエがCRISPR技術の発見によりノーベル賞を受賞しましたが、CRISPR配列は当初日本の研究者によって発見されています。次にCas遺伝子(CRISPR関連遺伝子)が発見され、Cas9がin vitroでDNAを切断するヌクレアーゼ活性を備えた「遺伝子のハサミ」のようなものであることが示され、ガイドRNA配列がCRISPR/Cas9を特定の遺伝子領域にターゲットして遺伝物質を除去または導入できるようにすることが確認でき、ゲノム編集が可能になりました。現在、病気を治すことを目的として、体細胞のCRISPR/Cas9によるゲノム編集の臨床試験が多数進行中です。一方で、受精卵のゲノム編集は技術的にも倫理的にも困難な状況です。オンターゲット効果によって1つの病気が解消される可能性はありますが、オフターゲット効果によって別の病気が引き起こされる可能性があるからです。

 

1978年、エドワーズとステップトーが世界初の体外受精によりルイーズ・ブラウンを誕生させてから、ART(生殖補助)治療は世間の厳しい監視下に置かれてきました。ゲノム編集も同様の道を辿る可能性があります。