嬉しい報告:千葉からリプロ大阪に転院 | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

2016.2.22「Q&A1008 私の経験からご相談で質問をしたものです。
 先日、無事女児を出産いたしました。一か月検診を終え、順調に成長しているとのことでした。
妻38歳 夫46歳で結婚し、5年間の不妊治療を経て、妻44歳、夫52歳で奇跡的に子供を授かりました。5年間の治療中、約20回の採卵と十数回の移植を繰り返しました。2度転院し、最後はリプロ大阪へたどり着き、女児を授かりました。
 結婚した当初は夫婦ともに不妊の知識が全くなく、健康である二人なら簡単に子を授かるだろうと考えていました。しかし、1年たっても妊娠せず、インターネットで検索し始め、私たち夫婦に“不妊”という言葉がよぎりました。しかし「まさか私たちが不妊なんて・・・」という思いが強く、今考えるとお恥ずかしいのですが、この年で、タイミングから始めました。タイミングでは、もちろん妊娠せず、医師の勧めで夫の精子を調べたところ乏精子症であることがわかり、また、妻の年齢から考えると、顕微授精しか児を授かる道はないことを告げられました。その結果に呆然とする私たちでしたが、やっと不妊治療へと足を踏み入れることになりました。
 最初の病院では、採卵15回 移植8回。採卵15回のうち胚盤胞になったのはたったの2回。移植で反応が出たのは、たったの1回。その1回は8週での稽留流産となりました。二つ目の病院では採卵2回(胚盤胞はゼロ)、移植2回。1回は化学流産でした。
 稽留流産を機に、昨年1月、ずっと拝読していたブログの著者である松林先生にセカンドオピニオンを頂きに、藁をもつかむ気持ちでリプロ大阪を訪ねました。千葉から大阪まで通院するなどとは夢にも思わず、何らかの希望を頂ければという気持ちだけでした。しかし、松林先生と石川先生に実際にお会いして、丁寧で、研究熱心で、エネルギッシュな診察、また、迅速な対応に感動し、通院したいという思いが芽生えました。松林先生の「流産で終わりではしょうがないでしょう。それで治療をやめるというのも一つの手だけれども、あなた方は流産で終わりにしたくないからここまで来たんでしょう?」というお言葉が今でも胸に残っています。そして、松林先生から、今まで考えてもみなかった、残っている凍結卵の貴院への移送や遠方から通院されている方も多くいることをお聞きし、リプロ大阪への転院を決意しました。セカンドオピニオンを頂いた2週間後には凍結卵を大阪へ移送し、翌月には夫は姫路の石川病院で精索静脈瘤の手術を受けました(正直、この期に及んで、わざわざ精索静脈瘤の手術?とも思いましたが、この手術で夫の精子はかなり改善し、これが胚盤胞ができる一要因になったと思います)。リプロ大阪のこのような迅速な対応が、千葉から大阪へ通院する不安やとまどいを払拭してくれたように思います。
 リプロ大阪では、医師だけでなく、培養師もかなり優れた技術を持っておられるのではないかと感じました。以前のクリニックでは17回の採卵で17個の卵が採取できたものの、胚盤胞になったのはたったの2つでした。しかし、リプロ大阪に転院してからは、空胞はあったものの毎回胚盤胞になりました。リプロ大阪では当たり前のことかもしれませんが、私たち夫婦にとってこの技術の高さは驚きでした。これだけでも大阪まで通う意味があると思えるものでした。
 よく松林先生は、リプロはチームであるとブログに書かれておられますが、まさにそうだと思います。通い出したころは松林先生の診察でないとがっかりすることがありましたが、どの先生に診て頂いても不満や不安を抱くことはなく、松林先生には申し訳ありませんが、松林先生の診察でなくともがっかりすることはなくなりました。特に、北宅先生、髙谷先生、竹内先生に多く診て頂きました。北宅先生は、大変紳士的で、結果が思わしくない時も穏やかにそれを受け止めることができました。人として、誰に対してもこのように対応できる人になりたいと思うような方でした。また、ブログへの質問にも丁寧にお答えいただきました。髙谷先生は、明るくはきはきしておられ、こちらの立場に立って考え方針を提案してくださいました。なんでも質問できる雰囲気をお持ちでした。また、次も頑張るぞという気持ちにさせてくださいました。竹内先生は、陽性判定後にお世話になることが多くありましたが、エコーで赤ちゃんが大きくなっている様子を共に喜んでくださり、高圧的であった以前の病院の担当医との差を大きく感じました。各先生方によろしくお伝えください。松林先生を含め、どの先生方も穏やかに接して下さり、どんな質問にも丁寧に答えて下さいました。この対応も大変感銘を受けましたが、先生方の事実をはっきりと伝える姿勢や過度な期待を持たせないことが、平静な気持ちで通院できたのではないかと思います。「ひとつひとつ、淡々と、やっていくしかない。」そういう気持ちで毎回病院を後にしていました。
 松林先生はよくニュートラルな気持ちが大切だとブログに書かれています。私は、リプロ大阪に通うことでこのニュートラルな気持ちになれたような気がします。リプロ大阪の方針に100%の信頼をおいていたので、インターネットで治療方針について無駄な検索をすることがなくなりました。以前は病院の治療方針や医師の高圧的な姿勢に不信感を持っていたので、常に治療方針を検索し、心が乱れていたように思います。リプロ大阪では、良い結果が得られなくても、冷静にその結果を受け止めることができました。医師をいかに信頼できるかが大切ですね。また、通院回数を減らすように配慮していただけたので、遠距離通院は大変でしたが、不可能ではありませんでした。自宅から近いけれど治療に不満や不信感を抱きながらの不妊治療よりも、遠くて交通費も嵩むけれど、安定した気持ちで通院できる方が良い結果に結びつくということでしょう。
 リプロ大阪に転院を決めた理由は、もちろん子供を授かるためでしたが、今まで受けてきた不妊治療に肯定的な気持ちで終止符を打ちたいというものもありました。不信感を抱いていた治療の末の流産で不妊治療が終われば、不妊治療がつらく暗い過去で終わってしまうような気がしていました。また、「妊娠できない=人間として欠陥がある」という思いを払拭できないのではないかという不安もありました。リプロ大阪で納得のいく診療を受けたうえで、それでも妊娠できなければ、「いままで良く頑張った。夫婦二人の人生も悪くない。」という気持ちで終止符を打てるのではないか?という期待を持っての転院でした。リプロ大阪で受けた最後の治療は、初期胚を高谷先生に、胚盤胞を松林先生に移殖していただきました。その移殖で治療をやめようと考えていました。不思議と、「これで終わりでいいんだ。」という気持ちで移殖に臨めました。信頼している先生方の移殖でしたので、何の不安もありませんでした。この移殖が出産に結びついたのですが、良い結果でなくとも、すっきりと治療を終え夫婦で共通の趣味探しを始めていたように思います。
 我が家に小さい小さい女の子がやってきました。おむつ替えの際中やお風呂でうんちをしたり、夜は泣き続けたり、新米両親は右往左往しています。今でもこの子がやってきてくれた奇跡が信じられません。あの長くてつらかった不妊治療の先にこの喜びがあるとは、治療中は想像もつきませんでした。家族を「愛おしい」と思う気持ちとは違った「愛おしさ」を初めて感じています。言葉では言い表せない感情です。「千万分の一の奇跡が起きた夏の出会い」という意味を込めて千夏子と名付けました。高齢出産には様々な批判があります。子供が退職するまでに成人しないとか、体力的に子育ては厳しいなど。不妊治療は親のエゴであるという人もいます。確かにそうかもしれません。それだからこそ、授けて頂いた命をどの夫婦にも負けないくらい大切に育てていきたいと思います。チームリプロ大阪が起こしてくれた奇跡に感謝いたします。
 リプロ東京を開業されて、ますますお忙しい日々を送っておられると思います。ご自愛ください。リプロ大阪・東京のますますの発展をお祈り申し上げます。

追伸
38週1日で帝王切開しました。36週くらいから、胎児の成長が思わしくなく、2300gを切るかもしれないと言われていました(生まれてみたら2500g以上ありましたが)。担当医から成長が思わしくなくなる原因の一つはヘパリンの使用であると言われました。素人の私が考えても16週までしかヘパリンを使っていなかったですし、36週までの胎児の成長には何ら問題がなかったので、ヘパリンの影響だとは思えないのですが。ヘパリンはそれほど忌み嫌われているのでしょうか?医師の知識不足が患者を不安にさせると感じた場面でした。

 

コメント:読んでいるうちに涙が溢れてきました。本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。辛い治療を乗り越えられた家族の絆は、掛け替えのない命と宝物になると思います。なお、保険適応に収載されているヘパリンを患者さんに使用するとのお考えの医師が少なくないのは、使用経験が乏しいからだと思います。実際は逆で、ヘパリンを長期間使うと赤ちゃんは大きくなります。私自身がデータを出して、啓蒙活動をしなければならないと考えています。