武田勝頼(1546~1582)
大河ドラマ「真田丸」で武田家と武田勝頼 最期のシーンが話題になりました。
武田信玄の息子なのに武田家の後継者として一門や家臣に認められず、陣代として武田家を統率しました。
よっぽどの覚悟がないと出来ません。
武勇にも優れ、信玄の治世よりも領土を広げています。
長篠の戦いでは山県昌景や馬場信春、秋山信友の重臣を失い、兵力数も減りましたが、すぐさま軍を立て直しています。
武田家を守るため、過去のプライドも捨てるなどしています。
かつての宿敵 越後上杉家と同盟。
勝頼は家族も大事にしています。
これだけ御家のために戦った武将が群雄割拠の戦国乱世でいたでしょうか。
おそらくいないでしょう!
最期、織田軍の猛攻に遭い、家族とともに自害して果てます。最後まで勝頼に付き従った家臣はわずか40人ほどだったといいます。
甲斐武田家は滅亡します。