真田家
真田家は関ヶ原の戦においても真田流を発揮します。
「生き残るためなら手段を選ばず」
真田昌幸の長男 信之は徳川四天王 本多忠勝の娘 小松姫を妻としていて、次男 幸村は大谷吉継の娘を妻としていました。
家康方につくか三成方につくか
真田家中は割れていきます。
昌幸はある考えを打ち出します。
信之は家康方、昌幸と幸村は三成方に与することを決めます。後に「犬吠の別れ」と言われる逸話は有名ですよね!
昌幸と幸村は信濃・上田城で徳川秀忠軍3万5000の大軍を足止めすることに成功しました。第二次上田合戦!
昌幸と幸村は紀州九度山に謹慎!
信之は上田領を安堵されました!その後、松代に移り、松代藩主として真田家は生き残ることができました。
昌幸は謹慎中のときに死去。
真田幸村は大坂冬の陣で真田丸という出城をつくり徳川軍を苦しめ、大坂夏の陣では家康本陣に斬りかかり、最期は戦場で華々しく散っていきました。