東西両陣営の激しい攻防!
そんな中で敵味方に分かれた家がありました。前田家と真田家が代表格でしょう!
前田家
豊臣秀吉の盟友である前田利家が亡くなったのは関ヶ原の戦いの1年前。利家の死後前田家は窮地に陥ります。利家という壁が無くなった徳川家康は、前田家に謀反の疑いがあると前田利長を糾弾。加賀征伐も厭わぬ構えでした。
利家の妻で利長の母 まつは、家康の人質となることで前田家を窮地から脱し、利長は家康方につきました。
これに意を唱えたのは利長の弟 利政です!利政は幼い頃より秀吉に可愛がれ、武勇にも長けていました。
利長と利政は仲良い兄弟だっただけに関ヶ原で兄弟の袂を分かつとはあまりに無情。
戦後、前田利長は加賀120万石を領し、利政は失意のうちに亡くなりました。
芳春院まつは利長の死後、金沢城で暮らし71歳の生涯を終えました。
利長の跡を継いだ弟の前田利常は大坂の陣で戦功を挙げ前田家はさらなる飛躍を遂げ、明治維新を迎えました。
明治の世になっても前田家の繁栄ぶりは衰えることなく、侯爵家として一目置かれる立場を築きました。