顕進任を巡るスキャンダルが、最終的に統一教の信頼を完全失墜させた。この顕進任の問題が信頼失墜の真因やったんか言うとそうやない。
ここを巡って、大まかに三局に分かれてもうた。この各局の信者どもが互いを牽制、批判、誹謗、中傷などをするに従い、各局の信頼失墜を持ち直すかのようにしてるが、各信者らは別にして、今や顕進任路線だけがニッポンを除いて進歩の途にある。
ここニッポンにとって、顕進任の問題が不満を爆発させる引き金となり、今日までの信仰姿勢のあり方が暴露されるかのように、ニッポンの信頼失墜は回復されへん。ニッポンの信仰力は弱体化し続けてる。
ニッポンの信仰姿勢に疑問を呈してた人らは、天の信頼度が、ニッポンの具体的な思考に対し大幅に上回ってるんはなぜかと、長らく首をかしげてきた。その矛盾がいま解消されつつある。
「真父任の誓いと願い」と言うんが、ニッポンがこれまで高い信頼を得てきた最大の理由やったかもしれへん。今や真父任に置かれては、もうこの世には御健在ではないなってもうて、もうニッポン内で動き出した信頼失墜方向を変えるパワーが存在せえへん。
ニッポンの献金に対する高い期待感も信頼を押し上げたんやけど、献金以上に重要視せなあかん信仰のあり方やったんやけど、献金も当てにならへん今、自ら掲げた大げさなニッポン選民論(正当化論)によってお天道様は何度も失望させられ、嫌韓擁護によって希望は幻滅へと変わってった。
何よりニッポンにとって重大なのは、信仰水準が下がり続けてることや。多神八百万で出来上がってる伝統文化に亀裂さえ与えられず、結局一神教的メシア思想そのものに亀裂を与えてるんやから、信用信頼失墜してもうてんねや。
信仰水準は、顕進任を問題としてから下がる一方で、献金を詐取したと思い込む念から韓国に対する毛嫌いを現し、世間風潮の嫌韓にのまれ、のみ込んでいった。
献金などの経済運営にニッポン人は何年も耐えてきた。顕進任の問題を契機に我慢の限界に達したようや。
ニッポンは、お天道様の期待と願いを実現できひん無能ぶりに加え、傲慢で信仰姿勢の腐敗が著しくなってきた。経済的恩恵しか残ってへんかったニッポンにとって、献金だけが最先端の摂理やと思い込んでた頃の栄光感に浸ってる時やないねんで。
顕進任のスキャンダルが信仰停滞に重なったんは、一体、何を意味してるかよう考えなあかん。ほんまは、今回が初めてやないねんで。過去にもあったけど、真父任御健在によってどんだけ擁護されとったか、、、、今や嫌韓擁護で恩返しや。恩を仇で返しよりくさる。
旧来のニッポン信仰の崩壊に結びつけなあかんところと、それに続く一連の嫌韓によってニッポンはそれ自体が崩壊するかもしれへん。
混乱するやもしれへん今後のニッポンにとって最大の欠陥は、信仰観の交代を果たせる心霊的基台が存在せえへんことや。