そんな再起するチカラを持ってきた現在の韓国は、内戦動乱後の廃虚から製造と貿易と科学技術をリードする経済発展を成して来てる。
そんな過程で、物質的豊かさを追い、進歩的主張と大衆迎合を合わせ、天の父と共にあった伝統文化と価値が失われつつある。
これも歴史の一環として再起させる源泉に戻ればとなるが、長い歳月の苦難の道のりを歩み耐え抜いてきた韓半島民族は、五千年の悠久なる時の憂いをいつまで見つめなければならへんのんか?
そんな韓半島民族は、偉大な真父任を生み、その真父任のレガシーを継承される顕進任に置かれては、再び歴史的チャンスを見出せる韓国を通して、世界を変える新しいビジョンを提示されてらっしゃる。
そんな顕進任は、人類史はいつの時代も夢見る人らによって発展繁栄を遂げてきたとおっしゃられる。
ここニッポンにおけるFPAは、顕進任の名を掲げながらも、祝福家庭を再び復帰軌道に乗せなあかんと言われた摂理の一環のひとつだけに傾倒するかのように、統一教徒らに呼びかけては集めよるけど、集まったもんらは肝心の顕進任の摂理に向けての呼びかけには応えようとはせん。
その要因は、もう言わずともわかる思うねんけど、献金労苦に解放されようともニッポン統一教創設以来、ニッポン人らは、統一と言った意味合いが極めて認識不足にある。
上からの命令が使命感になるニッポンの伝統文化からの脱却よりも、新たに生まれようとするところからの脱却に傾倒し、ニッポンを取り戻すに至ってる。
せやから、統一に対する希望や成すべき意識がないなってんねや。
そんなニッポン人は、摂理への希望を見出せへん状態を否応なく垣間見てるにもかかわらず、途中から介入して来た韓国人に嫌悪を抱き、献金トラウマを抱いては、摂理軌道に乗ることのできひん嫌韓でにっちもさっちもいかへん。
おまえら、韓国に何してきたんかわかっとんのか? 銭で解決するか、血で解決するか腹決めたれよ、、、、と言われたんかはわからへんけど、そないなもんで受け止めてるもんらは、あの時は、韓国のインフラに貢献したから始まって、近代化させたと論点観点を変えて正当化させてく。
何より深刻なんは、ニッポンの信仰には罪観を背負う贖罪に対して極めて希薄であり、人の距離を縮める為の基台に向けて、無駄な分別で境界線を作り上げる。分別が贖罪やと思うてるかのようや。
罪観を自虐と称するかのような煽りに向けて、罪を罪とは思えへんかった戦前戦中、アジアを闊歩して来た思考にまみれることが楽にして正当性やと言うて、摂理をより困難なものとしてる。

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