桜井節子は、先ず自己批判すべきや。 | 評議会のブログ

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あたかも、自己の意思とは関係のない流れの中で、悲劇が起こったかのように言うてるが、自分がその中で、7年以上の間、顕進任(현진님)の御真意を測ってたわけや。主なる方を試みたことになる。

天秤に掛け、もしかしてから「やっぱり」と判断に至ったと思われるが、ズラズラと言い訳じみたことを言うても自分自身を欺くことはできひんのんやから、己をしっかり見つめ、知ったうえでの言動を表さなあかん。

7年以上の間、外面、表面を見つめ、현진님 が合うてるだけでは、ほんまの「改心」とは言えへん。

敵から裏切り行為、変節やと罵られも自己の判断に至ったことは、なんら問題はない!

せやけど、ズラズラと長々と教条的な部分を混ぜては皆がと言うて、一応、重鎮の立場を経てきたもんだけに、桜井節子の影響を受け、今後、多かれ少なかれ、현진님 側の類いに流れ込んでくるやもしれへんが、浅はかな質のないようないもんらが来えへんことを祈るわ。

そこで、その息子が、どうレクチャーするかやな。親の不甲斐なさが子へと流れんねん。母の償いを兼ねどうできるか、、、현진님 を試したんやから、今度そのガキが10倍以上試されるで。条件的にやっただけでは話しにならへんぞ!

俺も人のことは言えへんけど、口は災いの元や。本来、桜井節子のこのような類いのもんは、言葉では言い尽くせへんもんや。グッチらグッチら言えば言うほど、わかりにくく、ボヤけ、悔い改めの意味合いも薄れる。

なんでもええけど、桜井節子が言うねんからウチらもええねんなと入り口を幅広くするんはええけど、実際問題どうなるかや。

桜井節子だけにあって、摂理が「節理」にならへんよう願うわ!


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