生きる為に生きることで縛られる恐さ。 | 評議会のブログ

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ビジョンを通して物質を超える世界を見つめ、どう今のこの世界を変えることが出来るんかを実行していかなあかん。

しかし、ビジョンがあるんかないんか、実行に移してへんとなれば、理想が実現されへん絵に描いた餅となる。

ところが、仮想空間を共有しようと、実質的な結果より妥協点を見いだしては、現実を正当化さす無駄な言動が障壁となってもそれがビジョンやと間違ったもんを是とする勘違いが哀れや。

変革を求める指導者たるものは、崇高な理想を明瞭に内在化させ、ビジョンの実現化を示す先例を立てるんやけど、他のもんに期待しては、神輿担ぎをすれば、自ずと崇高なビジョンが生まれると思うてては話しにならへん。あまりにも程度が、、、

道徳的、革新的リーダーシップと言う枠組みは、この時代に必要なリーダーシップの資質を明確にまとめあげなあかん。

物質の価値から経済的資質の向上が、潜在的に人類が直面してる多くの難題の解決に至るわけがない。多少なりとも助けになったとしても、葛藤と腐敗の根源を解決することはできひん。倫理的で誠実性を備える内面性とはなんなんかから考る必要がある。

道徳的な指導者たる者は、人類の最も基本的な願いが反映されなあかん。人類の普遍的原則を遵守し、個人の利益でない全体の利益の為に、共通のビジョンに基づくようにするわけや。

人間が生まれながら持ってる創造性を活用でき、最も解き難い社会的課題をも解決していく倫理感を治める発想が必要や。

どのような状況下でも重点を置く点は、指導者たるものの資質や。物質や経済の資質やない。最も重要な目標を達成する資質がなく、そして育たへん。ただ現状を肯定し、その中でどうするかなどでできると思うてる。

それでは、はっきりした倫理基準に基づき、創造の可能性を発揮する能力を開花させるもんが生まれへん!

ただ既存枠で生きんとして、生きてる。


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