無理無理伝説 | 評議会のブログ

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ニッポンが、否、ニッポン人の一部分でもええから、天の父(ハナ任)のみ旨と真父任、顕進任とアラインできてたならば、今日のような絶望的な未来を占うもんにはならへんかった。

存在するもんには、その理由と目的がある。創造原理がそうであるように、、、普段何気なく使うてるスマホ。スマホ自体の構造がどうなってるかなんぞ気にせんでも、スマホが存在する理由や目的はわかってるから使うてんねん。

そんなスマホが存在する理由や目的がわからへんかったら、スマホはなんら役に立たず、無用なもんとなってまう。

ハナ任のみ旨、真父任や顕進任とアラインできひん言うんは、自分らの存在する理由や目的、価値が見出せへんようなもんで、無用なもんとして生きるしかない。

俺らは無用なもんちゃうでと自ら価値観を見出そうとしても、ハナ任、真父任、顕進任の方向性にないから、どんどん無用さを露呈しだし、挙句、現状の立場を肯定すべく、更に過去までも肯定しだす有様や。

これでは、復帰どころか、既存のこの世の神まで肯定し、その肯定を正当化するまでなってんねん。

せやから、祝福家庭は長子を中心とした真の子女と一体化する、、、などカイン圏家庭を代表する祝福家庭と、アベルの立場にある真の家庭の間において成されなあかん父子協助時代に直結するような復帰なんぞできひんねん。

これが三大王権を中心としたハナ任の主権を実体化するための基盤などと言うても、顕進任のみ言をそのまま聞き伝えるだけで、天使のラッパを鳴らすようなもんで、あたかも実体と伴うことができひんくせに見下した理屈を述べるに留まる。創造目的に適用してへん。

ニッポン人の顕進任派やとぬかす今置かれた存在を肯定する理屈をこねるもんらは、原理と称しながら、復帰、蕩減、改革の意味合いを理解したくないんか、み言の一部をうまく利用しては真実のごとく既成事実を肯定し、嘘を嘘とは思わへんものを信じると言った信仰の姿を見せよる。

それ故、顕進任が再生の為に提示した内容は、こいつらにとっては、なんら存在的価値や理由、目的がないなってまうかのようになる。それを回避すれば、その位置と立場を失ってまうことになる。

また、ハナ任の目的ではなく、自分らが欲しいように動けば、顕進任が示される内容を見て、今や自分らの存在に危機を感じ出してくるようになる。

こいつらは、統一教にいてる韓国人の無慈悲な献金巻き上げに「悪」を感じるはええけど、自分らの存在価値を肯定しては、韓国を否定する言動に出た。

しかし、復帰や蕩減、改革は棚に上げ、韓国を歪める方向が正しいとばかりの言動だけに真父任からの願いの南北統一、顕進任の「Korean Dream」に相対できひん、できるわけがない。世間の嫌韓風潮と共に運命を共にすることとなったわけや。

ここに至って、自分らの間違いをうすうす感じ出したものらは、結局、真父任の家庭が最前線に来ることに希望を抱くとも、自分らの国家観から脱皮できず、一個人の信仰観で理解しようとする。

当初、世界、人類の為の救済が、韓半島をはじめとして頓挫したとも、今の時がどれ程重要かっちゅうことや。最悪、最低の状況からの再出発とは言え、ニッポンがどれ程祝福されて来たか、想像を超えてる。今や有り難みを感じてへん。

サタン領域におって、韓半島の摂理に大打撃を与えたとしても、勝利を告げてこられたんは、他でもない真父任やった。

今や、ニッポンはハナ任の摂理に対して、果たして眠ってるニッポン人どもを目覚めさる運動へと展開されると希望を持つことができる、、、とは到底思えへん。

ハナ任と真父母任と真の家庭が立つことができるニッポンなんて想像できひん。

ハナ任の実体的主権基盤が、ニッポンでの奉献なんて不可能そのものやから、ハナ任と真父母任と真の家庭、、、更に祝福家庭の解放?

無理無理


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