森の鎮守のカミサマって、独生・・・何? | 評議会のブログ

評議会のブログ

ブログの説明を入力します。

真父任は、キリスト教基盤だろうが統一教基盤であろうが、一貫した夢を持っておられた。キリスト教においても統一教のおいても超教派的だけやなく、超宗教的であられた。

自分の教派と信仰伝統の成長にだけ焦点をおいてるんやく、普遍的絶対価値を中心としてらした。

ズレまくる奴らは、超宗教運動に便乗しようと各々の宗教儀式を共に行い認め合い、相互間の親睦を持つことで、宗教間の和解と平和的共存を訴えようとするけど、それは、表面的には平和的な共存に見えるかもしれへん。

結局、各々の宗教を規定してる神学と伝統が、各宗教の霊的な教育の主要源泉になってる為、それぞれの宗教伝統によって人を分離し派閥化させてまうねん。自分らだけの信条を信じ、ほんまの意味で超宗教してへん。

各々の信条の大部分は、各宗教の神学と宗教伝統の形式として今の自分を形成したもんやから、多くの場合、その枠から外れてまうと、自分が自分から外れると言った心境に陥る。

せやから、互いに異なる神学と宗教伝統に焦点を合わせるんやなく、絶対的かつ普遍的な創造主(ハナ任)の原理に焦点を置かなあかんねん。せやけど、原理は教義や特定神学ちゃうねんで。

ハナ任は宗教と共におられるけど、宗教だけにおられるんちゃう。宗教伝統の中に内在してるハナ任は、共通の天の伝統から導かれた共通の原理が働くとこにおられんねん。

どこもかしこも宗教的様相があれば、ハナ任が無条件におられる思うてるんやなく、原理の運動作用の働くとこに焦点を置くことが、超宗教ビジョンの根本的あり方や。せやから、統一教会やなく統一協会や。キリスト教会やなくキリスト協会や。

真父任は、UN内に超宗教議会を設立する為、超宗教的ビジョンをお持ちやった。それを顕進任が実現されようとしてはる。

今のUNは、ハナ任を信じる世界代表になってへん。無神論的になってる。

しかし、顕進任は One Family under God のグローバルな超宗教運動を主導され、超宗教に関する観点に、全世界が注目するようされはってる。

こないな摂理的方法による顕進任通りに動けば、どないな可能性がもたらされるやろか?

しかしニッポンは出遅れもええとこや。こないな運動が妨害されてる段階ちゃうねんで。動いてへんねんから、妨害もクソもあったもんやない。なんで動いてへん言うたら、内輪で関心がないからや。即ち、内輪同士で妨害してるみたいなもんや。

共通の原理に基礎を置く以前にまだまだ原理が一つの宗教だけの神学から抜け切れてへん。原理は神学の枠を越え、どんな宗教にでも根本価値観として所有させなあかんねんで。

自分らが生きようと都合よく歴史を歪曲する。どうしようもない状況から共産主義が台頭し、統一教が生じたように、ニッポンもしょーもない状況から摂理に組み込まれたんやで。にもかかわらず、独生女国家気取りや!

どこもかしこも、絶対的かつ普遍的な天の真理道理にならへんねん。



にほんブログ村